105.心象最悪の捜査開始
夕餉の頃合いよりも少し前に、ミステルは戻ってきた。
「どうだった?ミステル」
「見事に情報が錯綜してますね。言ってることがバラバラ、ぐちゃぐちゃです」
ミステルはそこはかとなく疲れた様子で肩をすくめて見せた。
「あと、麦の収穫時期も近いので、正直それどころではない感がありますね」
「もう秋だもんなぁ」
アローがグリューネに来た頃は春の盛りを終えて夏に差し掛かろうという頃だった。それを考えると随分すぎたものだ。
「とりあえず、現時点でわかったことを整理しよう」
当然といえば当然だが、ツェーレフルスの村民は断片的にしか情報を得ていない。中には人影を見たとか、魔物がはびこっていたなどという話もあったが、そもそも現地に行ったのは例の元ヴァルトエンデの村民だっという生き残りの二人だけらしい。
あとは、興味本位で遠目に様子を見に行ったものの、近づくのは恐ろしく逃げ帰ってきた者が数名、といったところだ。
当然、この者たちの証言はアテにならない。麦の収穫時期にそんな肝試しのような真似ができるほどの暇人がいるとも思えない。本当に行ったとしても、こういった輩は木の陰ひとつでも勘違いして大騒ぎするだろう。
「どうやら、事件が起こったのは夕方頃だな」
「何でんなことわかるんだ?」
ギルベルトの問いに、アローは暖炉を指差した。
「火にくべた食べ物が残っていたのだろう?だったら食事時だ。昼間は仕事もあるし、悠長に料理なんてしない。固いパンをぶどう酒や残り物のスープに浸して終了だ。だから、多少手の込んだものを作ってたなら夕餉だろう」
女神フライアの信徒は夕餉の前に祈りを捧げて、一日で一番整った食事をする。フライアは豊穣の神だから、農民のほとんどは敬虔なる信者だ。
「なるほどなぁ」
ギルベルトはそれ以上の感想はなかったらしく、退屈そうにあくびをかみ殺す。
「ツェーレフルスにいたおかげで助かった二人。この村に嫁いだ娘の父兄だった。花嫁も頭数に入れるとヴァルトエンデ生き残りは三人か」
「何というか、素直に祝えない複雑な状況ね……」
「全くだな」
ヒルダのため息交じりの言葉に、アローも同意を示した。祝福されたと思ったら故郷がわけのわからない事件で消えるなんて、不憫どころではない。
「お兄様、ひとつ、問題が」
「どうした、ミステル」
「お兄様はヴァルトエンデの生き残りが自分を知っているかもしれないことを気にされていましたよね」
「ああ、まぁ……知られると面倒な予感しかしないからなぁ」
「何か問題があるのですか? ええと、確かお母様を亡くされて村はずれの墓場で育ったんでしたっけ」
パウラは首を傾げる。彼女にも一応さらりとアローの特殊な身の上を説明してはいた。
しかし、何せ死霊に育てられていたなどと話したら怯えて会話が成立しなくなりそうな相手だ。墓版云々の説明だけでもだいぶ顔を青くされた。適度にごまかしていたので、彼女がピンとこないのも無理はない。
「あそこに僕がいたのは事実だ。ついでに僕の母親は、身重のまま『何か』から逃げてきてあの村で亡くなってる。その『何か』が全くの無関係というのも不自然だろう。むしろ関係あると考えた方がいい」
パウラも、怖がりが過ぎるだけでそれなりに聡い女性だ。この言い回しでも、アローの母親がまずい相手に追われていたのであろうことはしっかり伝わったようだった。
「いらぬ誤解を生む可能性がある、ということですね」
「本当に誤解だったらまだいいけどな」
もし過去にヴァルトエンデにいた死霊に育てられた子供と、今回の怪異が関連しているとしたら、それがアローだとしたら、生き残りの村人はどう思うか。
諸悪の根源がやってきたと思われても、仕方がない。アローだって好きでこんな風に生まれたわけではないが、簡単に理解を示してもらえるような問題ではないことくらいはわかる。実際に、アローを『作った』連中が関わっている可能性も高い以上、事実無根とも言えないのだ。
「それで、お兄様。その、申し上げにくいのですが、どうやらヴァルトエンデの生き残りの二人が、調査の際の同行者となるようです」
「ああ……そうきた、か」
それも考えてみれば当然のことだ。村に実際に住んでいた人間が同行した方が、調査がはかどるに決まっている。
「面倒ごとになってツェーレフルスでまで肩身が狭くなると今後が大変だな。魔術で髪の色、変えるか?」
「思い切り村長にありのままの銀髪で会ってしまいましたし手遅れかと」
「しかも杖二本持って目立ちまくったものね……」
「んんん……」
何せアローは、つい今しがたまで自分の見た目が目立つものだという自覚に乏しかった。だから目立たないようにすると言う意識が欠けていた。自分のぼんやりぶりが憎い。
今まで浮きに浮きまくっていたのは、自分の見た目がイマイチなせいだと思い込んでいたし、美少年云々もお世辞か身内のひいき目だろうと脳内で処理されていたからだ。
確かに王都では様々な髪の色の人間が歩いていたが、銀髪は自分だけだった気がする。
最近はヒルダやテオも慣れきってしまって特にツッコミがなかったのだが、師匠譲りの魔法道具である手持ちの杖は趣味が悪いと言われてしなかったか。さらにベルの杖を持っている。もうツッコミどころしかない。
「アロー、私、考えた」
ベルが突然喋りだしたので、パウラが「ギヒャァ」と妙な声を上げてひっくり返る。ヒルダといい、人は怖がると色々と残念な声が出るものだ。
「パウラ、この杖は意思を持ってるが害はない。安心しろ。少なくとも僕が持つ分には害はない」
「何で後半強調しました!?」
「僕が持っている分には害はない」
「二回も言いましたね!?」
ガクガク震えるパウラを、ヒルダが「まぁまぁ」となだめる。
ちなみにギルベルトはアローの問題については興味がないらしく「飯遅えな」などとボヤいている。良くも悪くも、彼は傭兵だ。戦う以外は飯と酒と金以外は割とどうでもいいのだろう。
「こうすれば、杖を一本にできる。
ベルの杖は一本でできていた木の杖の形状から、細かい枝に分かれてアローが元々持っていた杖に絡みつき、一体化する。
「なるほど。合体すればいいと。……ええと、『剣』」
杖を剣の形状に変化させると、ベルも自然と剣の柄と鞘に分かれる。機能面でも一体化できるらしい。
「杖の問題はこれで解決だな…………今更だが」
「本当に今更ね……いいだけ目立っちゃったものね」
遠い目をするヒルダに、アローもため息を返した。
「こればかりは仕方がない。できればその二人が僕のことをたまたま知らないでいてくれることを祈ろう」
ミステルはどこか納得いかなさそうな顔をして、頬を膨らませる。
「お兄様に害をなすようなら私が呪いますけど」
「気持ちはわかるけど、それをやったら更にややこしくなるからね、ミステル……」
ヒルダのとりなしに、ミステルは「わかってますけど」とブツブツと呟いた。
■
結論を言えば、当然と言えば当然だがアローの正体はあっさりとバレた。
「おい、親父……あの銀髪」
「しっ、聞こえるぞ」
ヴァルトエンデの村民二人が、アローを見て明らかに動揺している。
(うーん、僕のことはさぞ語り草になっていたんだろうなぁ)
アローがヴァルトエンデから師匠に連れ去られたのは恐らく三歳くらいの頃。目の前にいるのは二十代は半ばの青年と、壮年の男。憶えがあっても仕方があるまい。
ましてや師匠のことだから、アローを拾っていく時に絶対にひと悶着をおこしている。絶対に覚えられているし、村中で話題になったであろうこと間違いなしだ。
「え、ええと……これから、その、ヴァルトエンデに、む、向かいます。こちらの方は、その、王国騎士団から、いらっしゃった方で、こ、こちらは教会の、い、依頼で……」
昨日の村長宅での堂々とした話しぶりはどこへ消えたのか、パウラは完璧に浮き足立っている。無理もない。これから彼女の最も苦手とするであろう、怪異のあった村に向かうのだ。
しかもアローがいるおかげで、ヴァルトエンデの二人は完全に疑いの眼差しをむけている。
「アローさん、こちらはヴァルトエンデから逃れてこられたという、その、エルマーさんと、オドさんです」
「……よろしく頼む。アーロイス・シュバルツだ。怪異調査を担当する……魔術師だ」
死霊術師と言わなかったのは、一応アローなりに空気を呼んだつもりだった。……のだが。
「あんた、出身はどこだ?」
オド――父親の方が、固い表情でそう尋ねてきた。
「黒き森の近くだ」
正確には森の中だが、そこまで言うこともないだろう。教会の使者であるパウラがいてもここまで疑いの目を向けられているのだから、きっと二人の中では完璧に原因は十五年近く前にいた「呪われ子」のせいというころになっているのだろう。
確かにこの案件は『自分向け』ではある。ヴァルトエンデがアローの生まれた場所でなかったとしても、死霊術と呪術に精通しているアローとミステルは、この怪異調査についていえば極めて適任だ。
ただ、巡りあわせが悪かったとしかいいようがない。
「あんた、魔術師に拾われて育てられたんじゃあないか? 確か、黒髪の……クロイツァだとかいう……」
「早く行きますよ。日が暮れますので」
見かねたヒルダが横から口を挟む。
「おお、さっさと行って調査して、敵がいるならぶっ飛ばして帰るぜぇ」
ギルベルトもさっさと先を歩きはじめる。息子のエルマーの方は渋々といった様子でついて歩こうとしたが、オドは動かなかった。
「あんたら、本当に教会の使者か? 王国の騎士団か? おかしいだろぉ、なぁ。村が一つ消えて、教会が寄越したのは女一人と騎士とも思えんガキどもと、うさんくせえ魔術師と傭兵だ?」
「オドといったか。別に僕を疑うのは勝手だが、ヒルダたちは――」
アローが言い終るよりも早く、ヒルダの剣閃がひらめく。
オドの足先にパラパラと細切れになった枝が落ちてくる。それがすぐ隣に生えていた木の、一番近くにあった枝の残骸だと気づくのに、アローですら少し時間を要した。ほとんど音もしなかったからだ。
「テオ、あそこのリンゴ撃ちおとして」
「……矢がもったいないですよ」
「いいから。騎士団の威厳のために撃ちなさい。茎のところを狙って、この不躾なおっさんの頭の上に落として」
「はぁい」
ヒルダが差したのは、さきほどヒルダが枝を切った木になっている、ほぼ真上にあるリンゴ。
それをテオは数歩だけ後ずさって、矢を引き絞る。角度を考えれば、茎を狙って更に落とす位置も計算するなんて正気の沙汰ではないが、何せテオは弓に関しては達人だ。
スコン、とリンゴはオドの頭の上にぴったりと落ちてきた。
「オドさん、何か勘違いしているようですけど」
ヒルダは微笑む。その微笑みが怖い。いつも真面目で明るいヒルダが、怒っている。本当に、本気で、この上なく怒っている。
「私はこの歳ですが王国騎士団の武芸大会で三連覇しています。ついでにそこの普通の子供にしか見えない彼は、弓の腕前だけで十三歳で正騎士になっています。はっきり言えば、こんな辺境に寄越すのはもったいない騎士ですよ、私たちは。……それとシュバルツさんは、王国の怪事件を解決に導いていますし、辺境伯の城でも客人待遇で迎えられるくらい、教会で重用されている要人ですので、あんまり無礼を働かないように」
オドは納得のいかないような顔をして、しかし反論もできずに、リンゴを道に投げすてる。
「いきましょ、アロー」
「あ、ああ……」
(ヒルダは怒らせないようにしよう)
密かに冷や汗を流しながら、疑心暗鬼に包まれた一行はヴァルトエンデへと出発したのだった。




