103.北への旅路は不穏な気配
固い馬車の床で足を伸ばし、アローはあくびをかみ殺す。客人待遇の馬車旅は暇なものだ。やることがない上に肩がこる。
例のごとく、馬車は教会からの借り物だ。ヒルダ、ギルベルト、それと一応正規の騎士になったので、テオも、交代で二人ずつ馬車の外に出て護衛をする。
テオが護衛なのは大丈夫なのかと思わないでもなかったが、よく考えたら魔獣の類が出ても彼なら馬車に近づく前に射落とすことができるのだ。ある意味護衛には適しているともいえた。
必然的に、馬車に常にいる面子がアロー、ミステル、パウラとなる。
そしてパウラは今、石化したかのごとく固まっていた。原因はわかりきっているのだが。
「私、姿を消しておいた方が良いですか?」
「手遅れだろう。それに、ミステルに姿を消されても、ずっと話さないわけにもいかない。そうなると僕はずっと虚空に話しかけることになる」
「それはダメですね」
「虚空に話しかけることがまずいことだと自然に考えつくようになったあたり、アローの圧倒的な成長を感じるわ」
ぼやきながらヒルダが馬車に入ってきた。昼時なので、今は馬車を止めて休憩中なのだ。
「朝にミステルの正体について話して以来、パウラがずっと石像のままでな」
「見た目が強くなければ簡単に慣れてくれるヒルダは、だいぶ軽傷だということをひしひし感じますね」
「そうね、ミステルは割とすぐに慣れたわ」
ヒルダの怖がりポイントは見た目のグロさと『剣で斬れる相手が否か』だ。
ミステルは見た目が普通の人間であるし、アローの使い魔なので斬る必要が無い相手だ。これはアローの契約妖精であるリューゲに対しても同様。
要するにヒルダは剣技で対処できない『敵』が怖いのであって、それ以外はそうでもない。だから魔法剣で実際に死霊と戦う時は、割と早い段階で立ち直れる。
しかし、非戦闘要員のパウラには、そんな脳筋な解決策は見出せなかったようだ。
馬車の隅で三角座りをしたまま、動かない。うなだれているので彼女の亜麻色の髪が顔に落ちてきて、ある意味ミステルよりも死霊めいた雰囲気を漂わせている。
「……パウラさん、ご飯にしましょう、パウラさん?」
「…………ほぁ! ふぁい!」
固まっていたパウラがはっと顔を上げた。
「大丈夫ですか? お昼にしますよ」
「はははははい、大丈夫です」
カクカクと頷く彼女に、アローは頭を抱える。そのうち慣れてくれると思っていたが、先は長い。
とはいえ、数日過ごしてミステルが飲食をしてないことに疑問をもって、尋ねてきたのは彼女の方だった。ずっとうまくごまかせるはずもない。
本格的に事件の調査が始まってからこの調子でいられたらたまったものではないから、今のうちに明かしておいて正解だったのだろう。
「見てください、ちょっとその辺で鳥を狩ってきたんで干し肉以外のご飯食べられますよ!」
「ギャヒィ!」
テオがぬっと死んだ野鳥の首をつかんで馬車の中に突っ込んできたので、パウラはガラドッシャンと派手な音を立ててひっくり返った。
本当に先は長そうだ。
幸いにもパウラは頭に小さなこぶを作った程度で済み、鳥は羽根をむしって内臓をとり、焚き火で炙る。内臓を見せたらパウラがまた卒倒しかねないので、土に埋めた。
(これ、下手に怪我をしてもパウラじゃ治癒術使えないんじゃのか……?)
生傷など見せたら、治癒術を見せる前に気絶しそうだ。それではアテにできない。
(せめてガタガタしててもしっかり剣は持てるヒルダくらいには強くなってもらわないと)
ヒルダは怖いものの基準が『得体の知れないもの』であって、剣術をやっていることもあって血は見慣れている。基本的に教会でぬくぬくと過ごしていたのであろうパウラにそこまで求めるのは酷だろうか。
いずれにしても、彼女の目の前でベルとリューゲとの会話をするのは、様子見した方がよさそうだ。もっとも、リューゲは気まぐれにしか話しかけてこないし、こちらが話しかけても返事はまちまちだ。教会の人間であるパウラがいるからだろう。グリューネを出てからずっと、だんまりを決め込んでいる。
「ギルベルト、ヴァルトエンデまであとどれくらいだ?」
黒き森を大きく迂回するオステンワルドに比べて、ヴァルトエンデへの道は北にほぼまっすぐだ。天候さえよければ七日ほどでつくとは聞いていた。
「遅くとも明日の昼過ぎにゃつくぜ。正確にはヴァルトエンデの手前の村だな。ツェーレフルス」
「ヴァルトエンデに行くんじゃなかったのか」
「そりゃお前、もぬけの空になって空き家だらけだからって、まさか誰もいねえ村で寝泊まりするわけにゃいかねぇだろ」
「ひぃ、それは勘弁して下さい!」
「俺も嫌です!絶対に嫌です!」
パウラが座ったまま尻込みして、テオも全力で首を横に振る。
珍しくヒルダが何もコメントしないと思ったら、完全に遠くを見つめている。想像することを放棄したらしい。
「まぁ、普通に考えて、いくらへんぴな村でも人がいなくなったら盗賊が入り込み放題だからな。死霊とか呪いとか抜きでオススメしねえな」
「そうだなぁ、僕もいくら故郷……っぽい場所といっても、知り合いが住んでいるわけでもないしな」
そもそもアローは、村がどんな場所だったかも覚えていない。薄ぼんやりと記憶にあるのは、墓場の不揃いな石や古ぼけた木の墓標が並ぶ光景と、ひたすらに赤い一面の炎。
物心がついた時、アローはまだ力を全く制御できていなかった。だから普通の人間と同じように世界が見えていたわけではない。
普通の子供だって記憶があるかないかくらいの歳で、死霊と煉獄の炎にあやされて育っていたアローに村人の知り合いなどいるはずがないのだ。
「でも、もし村人がいたら僕のことは覚えている人もいたかもな。墓場育ちの子供なんて、忘れたくても忘れられないだろう」
「アロー、割と見た目も目立つもんね」
ヒルダが肉をもぐもぐとしつつ、しみじみと呟く。
「……目立つのか? それは僕の顔があまりに見るにたえないからだろうか?」
「アローのその基準が不明な自虐、久しぶりに聞いたわ。安心して、それとミステルの話を一から十まで信じる前に、ちょっと色々疑って? 一応、アローは黙ってれば美少年の類だからね、黙ってれば」
「ヒルダ、お兄様を惑わすことは言わなくていいです。それとお兄様の魅力はこの、ちょっとズレズレなところも含めてですので、そこのところよろしくお願いします」
「何かよくわからないが二人とも僕を何だと思ってるんだ?」
王都にくるまで散々(主にミステルのこじれた愛によって)モテないのは主に見た目のせいであり、モテるには内面を見せていくべきだと啓蒙され続けていたアローには、どちらの言い分も釈然としない。
実際に、少なくともアローが最初のナンパに失敗しまくっていたのが見た目のせいであったのは、事実である。あまりにも怪しすぎる、顔すらほとんど見えない死霊術師の正装のせいだ。
その正装は王都についた翌日、早速ヒルダに着替えさせられたわけだが、結局その後もずっとナンパに成功した試しはない。
それはアローが死霊術師だと正直に名乗りすぎて引かれたり、その後は『意味不明なナンパを繰り返す何か怪しい店の店主』として有名になりすぎたせいなのだが、アローは気づいていなかった。
今となってはミステルの身体づくりは急ぐことでもなくなったので、モテの道はじっくりと目指そうと思っているところである。諦めるとは言っていない。
「話が逸れた。で、何で僕が目立つって?」
「銀髪ってあまりいないし、それだけでじゅうぶん目立つわよ」
「意外と単純な話だった……」
しかし、単純だけに意外にこれは問題かもしれない。教会から派遣される使者については、村には先に通達が行っているはずだ。宿などを借りる必要があるからだ。
隣の村にはヴァルトエンデの災厄を運よく逃れた村人がいるという。つまり、もしかすると、ヴァルトエンデにかつていた、恐らく村人から見て相当気味悪い子供であったであろうアローのことを知っているかもしれないということだ。
そうなると、今回の災厄とその『気味の悪い子供』を結びつけて考えられるかもしれない。そこに銀髪の、丁度、生きていればこれくらいの歳、といった少年が現れる。別人ならまだ誤解の解きようがあるが、ご本人様だ。実に厄介なことになる。
「うーん、これは……思っていたよりも別の意味で大変かもな?」




