101.魂の言伝屋と新たな依頼
ここから第四部が開始です。
司祭、ハインツ・カーテは苦悩していた。
苦悩していたのだが、その苦悩している現場は高級娼館の青薔薇館であったし、彼の隣では馴染みの高級娼婦の一人、アグネスが侍っていた。ついでに言うと、頬には口紅がべったりとついていた。ある意味通常営業である。
それを大理石の石像よりも白けた目で見つめているのが、彼とは長い付き合いになる傭兵、ギルベルト・フリーデマンである。
「おい、何でこっちを待ち合わせ場所にした」
「教会に厳つい傭兵を入り浸らせると、上がうるさいからだ」
「てめえ、同郷のよしみで付き合ってやってんだぞ、こっちは。俺にも奢れ」
「やだー、ギルってばその無精ひげ剃ってから出直してぇ」
アグネスがむすっとしてハインツにまとわりつく。ギルベルトの眼差しがますます白けたが、ハインツにだって言いぶんくらいはあった。
「君がいない間に、かの大魔術師が大暴れして大変だったんだ。私が癒しを求めるのは無理ないことだろう。……それで、戻ってきたということは、ある程度調べはついたのかな?」
「まあな」
ギルベルトはどこか諦めた様子で頷く。オステンワルドの一件で中断していたのだが、ハインツはギルベルトにアローの出自について調べてもらっていた。
グリューネを出た後、ちょうど知り合いの商人が入れ違いに王都を出ようとしていたので、ギルベルトは護衛をを買って出たのだという。そうして彼は休む間も無くまた旅立って、その帰りにハインツの用事も済ませてきたのだった。
「あいつの生まれまでは辿れなかったが、大魔術師様とやらがあいつを拾った村はわかったぜ」
アローは村の墓地で死霊に育てられていたところを、クロイツァに拾われて黒き森で育てられている。十数年前の話とはいえ辺境の村としてはそれなりの事件であっただろう。記憶に残っている者がいたようだ。
その村は身重で旅をしていたアローの母親が倒れた場所であり、厳密にはアローと関わりはない。しかし、恐らく追っ手から逃げてきたのであろう、アローの母親が、どこから来たのかの推測はできる。
そして、その場所がわかれば、アローを『作った』人物が、当時どの辺りに潜伏していたのかも推測できるというわけだ。
「北の果て、ヴァルトエンデってぇ村だった。ノルドネーベとの国境近くだな」
ノルドネーベは北部の山脈を越えた向こう側の王国である。ゼーヴァルトとは同盟を結んではいない。むしろ敵国といっていい。険しい山脈と深い森のおかげで、過去の侵攻は大規模なものにはならなかった。しかし、何をきっかけにして均衡が崩れるかはわからない。
あの国は肌寒い上に霧が多く、あまり豊かとはいえない。しかし、鉱山は豊富に所有しているので、それなりの国力はある。鉱山資源によって国庫を支えているが、正直を言えばゼーヴァルトの森と草原の豊かな恵みは欲しくてたまらないはずだ。
「……なるほど、それでは北の国境は警戒した方が良いと進言しなければならないな。ヴァルトエンデ付近は探っておくか」
「やめとけ、もうないから」
「……は?」
ギルベルトの言葉に、ハインツは首をかしげる。ない、と。それはどういうことなのか。
「ヴァルトエンデの村はもうない。少し前に消えた。俺は一番近ぇ村からわけ知りのやつを見つけて聞いてきたんだ」
「………………は?」
「ハインツ、こういうことみたいよ。ちょうどお姫様の方からも依頼が来たわ」
気だるげに寝台に寝転んでいたアグネスの手には、いつの間にか一通の書簡がある。王族や教会上層部の諜報機関としても機能しているこの娼館では、いつどこでそういう風に通達がくるか、頻繁に出入りしているハインツでも完全には把握しきれていない。
封蝋にある紋章は大教会の最高司祭のものであったが、一番上から話が来るということは即ち、これは王命に近いものだ。
ハインツは粛々とその書簡を広げ、そして頭を抱えた。
「これは…………」
「それで?俺は次はどこに飛ばされるんだろなぁ?」
ギルベルトの極めてどうでも良さそうなぼやき声に、ハインツはうなだれたまま、答える。
「ヴァルトエンデに戻ってくれ……」
■
青薔薇館が不穏な空気に包まれていたその頃。
「はっ!」
キン、と鋼のぶつかり合う音がする。
今日も客が全然来ない『魂の言伝屋』の前で、アローことアーロイス・シュヴァルツは剣を振るっていた。
対するは、戦女神との名声名高い少女騎士ヒルダこと、ヒルデガルド・ティーヘ。アローの攻撃を彼女はやすやすと受け流しながら、舞踏をしているかのような軽やかな足取りで剣を繰る。
そして。
「あっ……!」
ギィン、と思い音がして、アローの手から剣が弾き飛ばされた。
非番のヒルダに剣のけいこをつけてもらって数刻。かなり手加減をしてもらっているはずなのに、未だ一太刀の攻撃も彼女には届いていない。
「それまで、勝者ヒルダさんでーす」
同じく、非番だった少年騎士のテオが、やる気のない審判を下した。
テオドール・カペルマン。つい数日前にやっと十三歳になったばかりのこの少年は、一応このゼーヴァルト王国の正当な騎士だ。正騎士なのだが、アローとヒルダに借金があるために、非番の時はこうして借金のカタに小間使いをさせられたりしている。
一応、これでもこの国でも随一と言っていいほどの弓の名手である。その技量で正騎士になれたのだし、年齢を考えればこれからもまだまだ伸び白はあるのだが――。
「お腹減りましたよぉ、もうご飯にしましょうよぉ……どうせアローさんがヒルダさんに勝てるわけないんですからぁ」
「テオ、君は本当になんというか、イイ性格をしてるな」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてない。それと君に食わせる飯はない」
「そこを何とか! 借金返済で貧乏なこの少年騎士にお恵みを!」
「奢れということか。本当にイイ性格だな」
このテオという少年は、とにかく色々と残念と小賢しいの間をうろちょろとしているのである。
「うーん、でもこのままやってもアローが私に勝てないだろうっていうのは同感。結構手加減したんだよ?」
「そ、そうか……」
ヒルダの容赦ない一言にそっと傷ついたところで、黙って様子をうかがっていたミステルがため息をついた。
「お兄様、なんだって今更、剣術なんてはじめたんです?」
「ミステルの魔法は基本、遠隔攻撃だ。そして、僕の魔法はそのまま使うには大味すぎる。広範囲攻撃だ。敵が一匹でも周囲全部を吹き飛ばす。魔力効率が悪すぎる……ということをこの前師匠にぶっ叩きこまれた。一点集中攻撃ができる魔術を開発したいところだが、そのためには僕自身が近接戦闘をこなせないと意味がない」
「……なるほどですね」
アローの使い魔として、思う所はあるのだろう。ミステルは静かにうなずいた。
「ベルの杖もどういう風に活かせるか模索中だしな……っと」
ぐうううう、とお腹がなる。テオが目を輝かせた。ヒルダはため息をひとつ。
「お腹すきましたよね? そうですよね? おごって! ください!」
「「出世払い!!」」
アローとヒルダに声を揃えて返され、テオはしょんぼりとうなだれたものの、すぐに気を取り直して「荒ぶる暴れ牛亭ですねー」と一人先にかけていく。恐るべし鋼の精神力である。
「久しぶりにカルラさんにも会いたいし、まぁ、いいか」
「そうだなぁ。僕もたまには美味しいものが食べたい」
「お兄様、一人だと割と適当に済ませますものね……」
いつもなら露天商から買ってきたパンに干し肉や適当な果物をはさめただけのものを食べたり、朝晩は薬草スープで済ませてしまっている。ヒルダはじっとアローを見つめて、二の腕のあたりをぺたぺた触りだした。
「な、何だ、ヒルダ……」
「いや、剣を握るつもりならちゃんと肉とかもっと食べないと。細すぎ。筋肉つけて。そして素振り百回」
「お、おう」
現役騎士の言葉は重い。ヒルダも見た目はドレスさえきれば貴族の令嬢で通るし、実際に貴族のご令嬢ではあるのだが、確かに全体的に引き締まっている。オステンワルドの舞踏会で見たような、折れそうな細腰の令嬢とは程遠い。露天商をしている町娘よりもはるかに均整がとれた体つきをしている。
「細い……か」
「アローの場合お師匠様が武術の基礎は叩き込んでくれてるし、森育ちだからヒョロヒョロってわけじゃないけど……。腕の筋力が足りてないから、簡単に剣先をずらされてほいほいやられるのよ」
「耳が痛い……」
剣に関して言えば、ヒルダは師匠クロイツァよりも厳しいかもしれない。
「アローさん、ヒルダさん、早く行きましょうよぉ……ってアレ?」
先に行こうとしていたテオが振り返り、そしてきょとんと眼を丸くする。つられて、アローとヒルダも彼の目線の先を追った。
そこに立っていたのは、ひとりの女性の僧侶とギルベルトの姿。
「よう。久しぶりだな」
ギルベルトはぞんざいに手を挙げる。そして、僧侶の女性があたふたと言葉を並べた。
「あ、あのこちらが、『魂の言伝屋』でよろしいでしょうか? あの、その、店主の方は」
「ああ、店主は一応僕だが」
僧侶は青ざめた顔でカタカタと震えながら、まるでからくり人形のようなぎこちない動きで書簡を差し出す。
「わ、私はパウラ・グラマンと申します。この度、ハインツ・カーテ司祭より使者として使わされました。その、教会から、こちらに依頼を!」
「ハインツから?」
その時点で嫌な予感が満載だったので、アローはおろか、ミステルも、ヒルダも、テオですらも若干引いた顔になる。その反応で招かれざる客だと察してしまったのだろう。パウラはますますあたふたとしはじめた。言葉にならなくなっているので、ギルベルトがかわりに書簡をとってアローに放り投げる。
「お前向けの話だとよ」
「うーん、つまり死霊とか怪奇現象とか?」
「うわー……」
隣でヒルダが遠い目になる。教会絡みとあって、騎士団から駆り出されることがほぼ確実となったからだろう。
アローは書簡に目を通し、その地名を見て一瞬動きを止めた。
ヴァルトエンデ。生まれてから師匠に拾われるまでを過ごした場所。もっとも、村民としてではなく、墓場の住人としてではあるが。
しかし、続きを読んでアローは思わず書簡を取り落した。
「どうされましたか? お兄様」
「………………なるほど……僕向きだ」
北方の辺境、ヴァルトエンデ村。
その村の住人達は、ある日突然ひとり残らず姿を消した。無事だったのは、たまたま所用で隣の村に行っていた数人だった。
食卓の上には食事が用意されたまま、腐っていた。燃え尽きた薪が暖炉にくべられていた痕があった。
だが、一人も残らずに消えていた。
「きょ、教会が依頼したいのは……ですね」
パウラがわたわたと説明しようとするのを、アローが引き継いだ。
「今回の依頼は、村まるごとの集団失踪事件の真相究明だ」




