9.情報収集の基本は酒場から
ヒルダが案内してくれたのは、食堂だった。掲げられているのは赤く塗られた牛の頭を模した看板。店名は荒ぶる暴れ牛亭。もう少しマシな店名はなかったものかと、アローは自分の微妙なセンスを全力で棚に上げて考えていた。
「ここ、昨日お兄様の宿泊を断った店ではありませんか」
しばらく大人しくしていたミステルが、腕を組んでぷりぷりと怒り出す。昨日はとにかく宿を探すこと(と女の子に声をかけまくること)に必死で店名など気にしていなかったが、確かに店構えに覚えがある。
「……僕は行かない方がいいんじゃないか? 門前払いはごめんだぞ?」
「心配しないで。そのために貴方を着替えさせたんだから」
ヒルダにフードをひっつかんで、ずるずると引きずられていく。
「あああ、待ってくれ。せめて顔を隠す猶予をくれ」
「だめよ。それ、逆効果だから」
「そこの女騎士、こちらが大人しくしていたからといって図にのらないでいただけますか? お兄様の扱いが雑すぎます。もっとこう、繊細に扱ってくださいませ!」
ミステルのどこかズレた擁護を聞かされながら、アローはヒルダに引きずられて空いていた丸テーブルの席についた。すぐさま給仕の女性が、ニコニコと葡萄酒を持ってくる。
「まずは葡萄酒をいかが? あら、ヒルダじゃない。かわいい子を連れているじゃない。あんたもコレができたの?」
コレ、と女性が小指を立てたのを見て、ヒルダは少しだけ頬を赤らめて目をそらす。
「そういう関係ではありません」
「またまたー。もう、貴族のお嬢様なのに剣一筋だし、こんな大衆食堂に出入りするし、浮いた話のひとつも聞かないから心配してたのよ?」
「だから本当に、そういう関係じゃないんですってば。それくらいで許してください、カルラさん。私は情報をもらいに来たんです」
カルラ、と呼ばれたこの女性は、ヒルダと懇意にしているようだ。口ぶりからするに、ヒルダはこの店の常連なのだろう。
「今日は非番じゃないのかい?」
「非番です。彼らが都の事件について知りたいというから、紹介しにきたんですよ」
「ふーん。ねぇ、あんたたち、宿は決まってるのかい?」
「は?」
突然話をふられて、アローは慌ててフードで顔を隠そうとする。が、ヒルダにその手を止められた。無言の威圧により断念し、少し顔をそらすことで妥協する。
「い、いや、決まってはいない……今は教会の世話になっている」
「教会? あんな固いベッドで雑魚寝なんてやめときな。ヒルダの知り合いみたいだし、宿代ちょっとまけてやるからうちに泊まっていきなよ!」
「……へ?」
顔を隠すのを忘れてまじまじとカルラの顔を見たが、彼女は妙齢の女性らしい艶っぽい笑みでじっと見つめ返してくる。
「ふふ、ちょっと細くて頼りなさそうだけど、綺麗な顔じゃない? ヒルダの好みがこういうのだったとはねぇ」
「だから違うっていってるじゃないですか!」
真っ赤な顔で否定するヒルダをよそに、アローは釈然としない気持ちでいっぱいだった。何せ昨日は速攻で門前払いをくらった店である。服装を変えただけで見せに入れて、しかもヒルダの知りあいとわかっただけで割引までついてしまった。解せない。解せないが、あのローブは本当に色んな意味でまずかったのだけは理解した。いくら森に引きこもっていた生活が長いとはいえ、自分にも環境に順応する能力くらいある。
「ミステルさん、何でこういう時に限って割って入らないの?」
「ナンパするには私と年齢層が違いすぎますし、現実的な問題として、宿の割引は魅力的です。ヒルダ様との関係を揶揄されたことについては、お兄様は気づいておられませんし、気づかれましたところで、私の啓蒙活動で修正できる範囲ですから」
「い、意外と打算的ね……」
「綺麗ごとだけでは生きていけない世の中ですよ」
「何かよくわからない話をしているが、ミステルはもう死んでいるぞ」
「そうでした」
「ははっ、こんなピンピンしているのに死んでいるわけないでしょ! ヒルダ、オーダーはいつものやつでいいね!」
ミステルが幽霊だと言うことには全く気付いていないカルラが、勝手に葡萄酒を満たしたゴブレットを三人分置いて、厨房へと戻っていく。今のミステルは見た目だけなら普通の人間とかわらない。触らないかぎり気づかないだろう。
「はぁ……すみません。騎士見習いの時からここにご飯食べに来てたから、私にとっては姉のような人なの。この酒場は宿屋も兼ねているし、騎士から傭兵、商人や職人まで利用するから、一般人が知りえる情報なら大体ここで手に入る」
確かに、まだ昼前なのに賑わっている店内には、様々な身なりの客がそれぞれに語らっている。
「あちらの武芸について話している者たちは恐らく騎士、そちらで少々たるんだ腹をさらしながら相場の話をしている者たちは商人でしょう。その横の卓でこんな時間から飲んだくれているのは、商隊の護衛に雇われた傭兵といったところですね」
世情に疎いアローに、ミステルが見解を述べる。実際に見たことはなくても、知識としては知っているので、素直に納得した。ヒルダも特に否定しないから、ミステルの判断は正しいのだろう。
耳を澄ませていると、ちらほらと件の事件についてのうわさも耳に入ってきた。どこかの下級貴族のご令嬢が危ないらしい、とか、前に亡くなった商家の三女は結婚の話が持ち上がったばかりだったとか。
美しい若い娘ばかり死ぬので、病気ではなく魔物の仕業では、などと囁かれている。そこから先は古臭い伝承の話や眉唾ものの怪異譚の話ばかりだった。
魔物は確かに存在する。アローとミステルが暮らしていた黒き森は魔物の巣窟だった。だからこそ平和なこの国においても、旅商人やあまり多くの兵を抱えていない下級貴族の旅の護衛として、傭兵の需要はそれなりにあった。だが、魔物が森からはぐれて王都までくることはまずない。それこそ、王都に来る前に傭兵や騎士によって討伐されるだろう。
森で暮らしていただけあって、アローとミステルは魔物に関しては見慣れている。生活していた小屋の周囲には魔物避けの結界を作っていたし、多少の魔物ならば自力で撃退していた。
たとえばレイスとなった今のミステルのような「元は人間だった魔物」であれば、王都にいても不思議ではない。が、そうなるとやはりこれは魔物による災害ではなく意図的におこされた人間による事件である可能性の方が高い。
「呪殺事件ということにはしていないんだな」
声を潜めてそう尋ねると、ヒルダがうなずく。
「表向きは、全員病死ということになってる。不可解な点が多いので、騎士団内では呪殺の線が濃厚って話ね」
「ふぅん……思ったんだが、その死者の埋葬場所はわかるか?」
「え? さすがに騎士団ではそこまでは……」
「たとえば、昨日会ったハインツなら、それを調べることは可能か?」
「ちょっと……まさか」
「まさかだ。目の前にいるのが誰だと思っている?」
アローは死霊術師だ。死者の魂を呼び戻し、死者の想いを聞き、代弁する者。
「わからないなら、死者に聞けばいい。君は運がいいぞ。僕はその手の術に関しては絶対の自信を持っている」
「ほ、本気で言ってるの? 大体、カーテ司祭だって、騎士団からの正式な依頼ならまだしも、私たちの個人的なお願いではお墓の場所を教えてもらうことはおろか、会うことすらできないわ」
そういえば、やたらと気さくで俗っぽい登場だったが、彼はかなり高位の司祭だった。今朝もお礼を言おうとしたのに、彼は本当に忙しかったのか面倒だったのかわからないが、少し顔を合わせることもできなかったのだ。正面から昨日宿を借りただけの死霊術師と非番の女騎士がいって「はい、お通ししますよ」とはならないだろう。
「ミステル、彼はしょーばいおんなのところにいたのだと言ったな」
「はい。商売女がつける香水の匂いをぷんぷんさせていたようですね。私は生身ではありませんので、実際の香りがわかるわけではありませんが」
「なら、そのしょーばいおんなのいるところに行けばいいんじゃないか」
「やめてください!」
「それはやめて!」
女子二人から瞬時に止めに入られて、アローは目を瞬く。しょーばいおんなとはどれほど危険な商売なのか。
女二人が大きな声をあげたせいか、周りの視線を集めてしまった。ヒルダはハッとして、少しだけ気まずそうに咳払いをする。
「今日もいるとは限らないし、ね」
「そうですよ、お兄様。どこにいるともわからない男を探すのは容易ではありません」
ヒルダとミステルに説得されて、アローはしぶしぶうなずく。
「じゃあ、墓場でしらみつぶしに聴き取りを……」
「ま、まさかそれに私を付きあわせるの!?」
ヒルダが青ざめた顔で首を横にぶんぶんと振る。ミステルは許容できたようだが、やはりダメなものはダメらしい。
「うーん、どうするかな」
思案していると、不意に影が差した。見上げると、屈強そうな男が一人、にやにやしながら立っている。飲んだくれていた傭兵のうちの一人だった。
「よう、兄ちゃん。美人を二人もつれていいご身分だなぁ。俺らの卓には華がたりないもんでね、ちょっとお連れのお嬢さんたちにお酌してもらいてえんだが」
ヒルダがムッとした顔で、剣に手をかける。ミステルが呪文の詠唱を開始しようとするのを、アローは片手で制した。
見た限りでは、そこそこ経験をつんだ戦士のようだが、完全に酔っぱらいだ。騒ぎを起こせば面倒になるかもしれない
だからアローはにっこりと笑って答えたのだ。
「うん、断る」




