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シュークリーム協奏曲(あのしっとりとした薄皮と、とろける生クリームと)

 佳奈は、スイーツ特集の女性雑誌から顔を上げる。

 頭の中はもうシュークリーム状態。


 時計は午前11時45分。

 昨日買った雑誌を見て、朝から着実に計画を実行してきた。

 やるべき仕事はすべて終わらせ、足元にはいつものヒールではなく、スニーカーを装備済み。

 少しでもウェイトを下げるため、鞄の中にはギリギリの硬貨のみ。


 回りの同僚たちも、佳奈の分まで仕事も引き受けてくれて協力している。

 みんなの期待を裏切ることは出来ない。

 佳奈はデスクの上を片付け目を閉じて集中する。昔、陸上部部員(幽霊部員)であった事が抜擢の理由。

 

 目指す場所は、オフィスから繁華街を抜けて、一つ向こうの通称スイーツ通り。

 スイーツの本番で修業したというパティシエが作る、奇跡のスイーツ。超薄皮シュークリーム。


 午前11時50分。そわそわとみんなが目を合わせる。

 鳴り響く電話。

 ディスプレイにはいつもクレープから漏れ出たクリームのようにクレームを垂れ流す顧客。


 綾音がすかさず受話ボタンをタップする。


「社長は席を外しております。その件でしたら総務にどうぞ」


 素早く内線をタップしてディスプレイを消した。

 後で総務からうるさく言われけど、関係ない。


 午前11時55分。 

 立ち上がった課長が書類を片手に、佳奈の席に向かって歩いて行く。 

 部下に厄介事を押し付ける時の顔。オフィスに緊張が走る。

 佳奈の席の横に立つ課長が口をあけようとした瞬間、


「課長、この企画書なのですが」


静香が立ち上がり、書類を持って課長に詰め寄る。シフォンのように大きく膨らむ胸を強調しながら。


 午後0時

 オフィスに昼休みを告げるチャイムが流れる。


「よーし、昼飯にするか」


 オフィスを見回す課長は、すでにもぬけの空になった佳奈のデスク、閉まっていくドアを見て首を傾げた。


     *


 黒ゴマアイスクリームのような灰色の雲に覆われた外に踊り出た佳奈は、折り畳まれた傘を持って歩く人々の間を縫うように、ひたすら走る。

 繁華街が前方に見えた頃、佳奈は道路の向こう側を走る女性達に気づいた。

 向こうも佳奈に気づいたらしい。ちらちらと視線を交差させる。

 舌打ちをする佳奈。思わぬライバルの出現。

シュークリームは先着20個。負ける訳にはいかない。


 繁華街に入る手前、速度を上げて、角を曲がる。

 最短距離である繁華街を避けて並木道の裏通りへ。

 予想は的中。佳奈の顔に雨粒が当たる。

 通行人が傘が広げると、繁華街ではまともに走ることも出来ない。

 事前リサーチの賜物。伊達にリサーチ会社に勤務しているわけでは無い。


 目の前に大通りが見えた。この計画の最大の難所。


 信号の周期は5分20秒。 このロスは大きい。大き過ぎる。

 一方、繁華街の信号周期は3分30秒。ここでの遅れは致命的である。


 降りしきる雨をものともせず、出来たばかりの水溜まりの水を跳ね飛ばしながら佳奈は速度を上げていく。交差する道路の信号が黄色に変わる。

 完璧なタイミング。

 顔を拭い、更に速度を上げる。


 拭った腕を振った瞬間、目の前に赤色が広がる。

 急停止した佳奈は、足をもつれさせて、派手に道路にダイビングした。


 降りしきる雨の中、いい大人がこんな町中でダイビング。恥ずかしくてすぐに顔を上げる事が出来ない。


「すみません。大丈夫ですか?」 

 

 黄色の傘の女性が佳奈の顔を覗き込む。

 佳奈は、ぐしゃぐしゃに濡れた髪を掻き分けてなんとか上半身を起こした。


 赤い傘の女の子が女性にしがみついていた。


 突然、タイヤが軋むけたましい音が響き、反射的に交差点を見る。


 青信号に変わったばかりの交差点をクラクションを鳴らしながらスポーツカーがタイヤを軋ませて走っていた。


 あのまま走っていれば……


 女性に支えられて立ち上がる。

 擦りむいた膝から血が流れていた。


「ほんとにゴメンなさい。ほら、あんたも謝りなさい」


 女性に促されて、赤い傘の女の子が傘を上げる。


 赤い傘の透過光の下、女の子は、柘榴の様な目で、

不気味に笑っていた。佳奈は痛みを忘れて身震いした。


     *


 近くのコンビニで消毒液と絆創膏を買ってもらった佳奈は、女性から簡単な手当を受けた。

いつの間にか、雨が上がった空を見上げた時、遠くで救急車のサイレンが聞こえた。

 女の子が赤い傘を広げたまま、クルクルと回している。


     *


 佳奈は、雨に濡れて、泥まみれ、半ベソ状態でオフィスに戻った。


 シュークリームを買えなかったことを謝ると、皆が気まずそうに顔を合わせた。


「実はね……」


 あのクレームばかりの顧客が、総務の担当者と意気投合したらしく、お土産を持ってオフィスに来たらしい。 

 タオルで雨と泥を拭きながら、シュークリームを口に運ぶ。

 薄皮が口の中でとろけ、甘い、甘いクリームが体中に広がっていく。


 溢れ出ようとする甘いクリームを包み込む、存在すら忘れそうな薄皮。

 それは、危うく、繊細なバランスの上で成立する、まさに、奇跡のスイーツ。




 ―― おしまい ――


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