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レインコート(ある母親の回想)

 泰子へ。


 雨が嫌いな子供でした。朝起きて、雨戸を開けるのが貴方の仕事でしたね。

 雨が降っていると、学校に行きたくない、ってごねていつも私に抱き着いていました。

 貴方がその小さな体で受け止める事が出来ない程のつらい思いをしていたことに気付いたのは、ずっと後の懇談会でした。

 貴方が発した精一杯の心のSOSに気付いてやれなかった私は母親失格ですね。あの時、慣れない仕事を始めたばかりだったとはいえ、抱き着いて泣き叫ぶ貴方を煩わしく思い、邪険に扱ってしまったことを許して下さい。


 そんな貴方でしたが、ある日、人が変わったように、雨の日を喜ぶようになりました。

 私が何気なく買ってあげた、真っ白のレインコート。今まで、あれだけ雨の日を嫌がっていたのに、あのレインコートを着た貴方は、雨戸を開けて、降り続く雨を見て喜ぶようになりましたね。

 あのレインコート、私が初めて貰ったお給料で買ってあげたんですよ。

 嬉しかった。水溜まりを元気よく飛び越えて走っていく貴方を見る度に。

 でもね、寂しい気持ちもあったんですよ。

 貴方が抱き着いてくれる度に私は母親を実感していたのかもしれませんね。

 貴方の本当の気持ちも知らずに。


 梅雨の晴れ間、玄関先に干していたレインコートを見つめる貴方に、何故雨の日が好きになったのか尋ねた事を覚えていますか? 

 だって、レインコートが、私の顔を隠してくれて、話をしてくれるから。


 私ね、今まで生きてきて、一番泣きました。


 貴方を強く抱き締めました。

 貴方の気持ちを知ろうともしなかった私。レインコートは、貴方の頭を覆い、貴方の話だけを聞いてくれていたのですね。

 レインコートはどんな話をしてくれたのかしら。

 貴方は私の耳元で教えてくれました。

 何て言ったか覚えている?

 同じ言葉を最近、貴方から聞きました。


 あのレインコート、まだ家に置いてあるの、知っていましたか。

 私は、気持ちがささくれて貴方にきつく当たってしまった時、いつも、そのレインコートを取り出して見ていました。

 そして、レインコートに耳を当てて聞いてみるんです。

 そしたらね、私にも、聞こえました。


「ガサガサ、ゴソゴソ」


 貴方が必要としていた物は、優しい言葉でも、同情でもなかった。

 ただ、貴方の全ての行動に応えて欲しかっただけだったんだよね。

 貴方だけを見ていて欲しかったんだよね。

 気付いてあげれなくて、本当にごめんなさい。



 真っ白なウェディングヴェールを被る貴方へ。


 結婚おめでとう。



     *



「どうかしら?」


 メモに書いた文章を読み終えた私は、旦那に尋ねる。


「お前、そりゃ、反則だろ……」

 

 呆気に取られた顔で、目を腫らして私を睨みつける旦那。


「だって、会場を思いっきり泣かして下さいって言われたから」


 気が付けば、私も大粒の涙を流していた。メモ紙にポタポタと涙が落ちる。


「うぐぅ…… やっぱり、こっちのお笑い路線でいくね」


 私はメモ紙を、椅子の上の、薄汚れたレインコートの覆いの中に差し入れた。


「ちょっと、何してるのよ、もう式始まるわよ」


 控室の扉を勢いよく開けて真っ白なウェディングドレスを着た泰子が入ってきた。


 私と旦那は、慌てて立ち上がり、控室を飛び出す。


「まったく、いつもギリギリなんだから」

 

 腰に手を当てた泰子は、ふと、椅子の上のレインコートに目を遣る。


「なつかしい。まだ置いてあったんだ」


 少し体を曲げて、レインコートを取り上げる。

ハラリと、メモ紙が床に落ちた。


何気なく拾い上げる。



レインコートの声が聞こえた。




 ―― おしまい ――


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