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傘とビールとレモンパイ(私の物語はいつも雨の日に始まる)


 妹が失恋した。


 あんなに明るかった妹がふさぎ込んで、肩を落として大学に通っていく。

 声をかけてあげたいけど、家族会議の結果、今はそっとしといてあげるのが一番と、何も無いように過ごして行くことになった。


 私だって、完璧ではない。付き合って随分経つ彼が最近よそよそしい。

 倦怠期、なのかもしれない。

 そろそろ将来を考えて決断しなくちゃならないのは分かるけど。



 雨の中、赤い傘をさして商店が立ち並ぶ繁華街を歩く。


 私は雨の日が好き。

 私の物語はいつも雨の日に始まるから。


 広げた傘に深く入って顔を隠す。

 私の顔には火傷の傷跡がある。幼い頃、母親が目を離した僅かな隙にやかんをひっくり返し、煮え立つお湯が顔にかかったらしい。

 火傷の跡を隠してくれる傘が好き。


 いつも待ち合わせるレンガ広場で彼の黒い傘を見つけた。

 駆け寄り、傘の下の彼を覗き込む。

 彼がはにかんで笑う。


 体を重ねる私達。

 薄暗い部屋の中。ベッドの上で彼は私の傷跡に指を添わす。私はその指が愛おしくて、愛おしくて、そっとキスをした。


     *


「彼を信じるしかないわよ」


 雨が上がり、オフィスの入るビルの屋上で昼食を広げる。えんどう豆を器用に箸でつまむ同僚の言葉に、私はいつもの様に首を少し傾けて頷く。

 最近、幼なじみと再開して付き合い出した彼女は、まさしく恋する乙女。相談する相手を間違えたかな。


「やっぱり倦怠期よ。すぱっと決断してコンパ行こうよ」


 もう一人の同僚がサンドイッチを口に含めたまま言う。

 入社当時からの弁当仲間の恋ばなしに嫌気が差したと見える。私は顔にかかる長い髪をかきあげて頷く。


     *


 ソファーに座り、ディスプレイに映るサッカーを見る。片手には缶ビール。

両親は揃って帰りが遅くなるとのことで、簡単な料理を作り、妹と二人でもくもくと食べた。

 特に会話も無く二階に上がった妹の皿を下げて、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。


 どこかの国で行われているサッカーの大会。彼が興奮してその魅力を語っていたが、私の聞きたい話しはそんな話しではなかった。


「お姉ちゃん」


 今の扉が開き、妹が顔を覗かせる。


「ビールっておいしい?」


 私は首を振って笑う。妹は頷くと、冷蔵庫のオレンジジュースをコップに入れて、私の横に座った。

 

 雨の降りしきるサッカー場。水しぶきを上げて選手達が躍動している。


「じゃあ、何でビール飲んでるの?」


 歓声がディスプレイから響く。集まり抱き合う選手達。


 一杯目は、甘い恋の味。二杯目は、苦い恋の味。そのあとは、快楽だけ。


 どこかの飲み会で酔っ払った上司の話しを思い出した。


「ビールってどこか恋愛に似てるからじゃないかな」


 何気なく言った私の言葉に、妹の目から涙が溢れ出す。驚いた私が缶ビールをテーブルに置く。妹は私に抱き着き、胸に顔を埋めた。


「信じてたのに」


 嗚咽しながら繰り返す妹の頭を撫でてあげた。

 苦い、苦い恋の味を知った妹。


     *


 雨の中、いつもの待ち合わせ場所に向かう。

傘を並べて歩く私達は、最近オープンしたスイーツの店に入った。

 一番人気のシュークリームを注文するも、既に売り切れ状態。しかたなく、横に陳列されていたレモンパイを注文する。

 焼き色のついたボコボコのパイ。爽やかなレモンの香り。口に広がる甘酸っぱさ。

 はるか昔、まだケーキが一般でなかった頃の精一杯の贅沢だったという。

 シュークリーム無くてゴメンと彼は言ったけど、甘いだけのシュークリームよりは、このレモンパイの方が私は好き。


     *


 店を出ると雨が止んでいた。眩しい光に目を細めて折り畳んだ傘を掴む。


 いつものレンガ広場。

 いつもの様に俯く私。


「あのさあ」


 高台から行き交う人々を見ていた私に彼が話しかける。


「最近、ちゃんとデートしてやれなくてごめんな」


 二つ並んだ、折り畳まれた傘を見ながら私は頷く。 水溜まりに映る私の顔。ひどく醜く見えた。


「部署が変わってちょっとイライラしてたんだ」


 太陽を映し込む水溜まりから顔をあげる。

 彼は、まっすぐ私を見ていた。

 ずっと。

 ちゃんと見ていなかったのは私の方だった。


「結婚しよう」


 彼は言いながら、私の髪をかきあげる。

眩しい光が私を包み込む。


「うん」


 新しい私の物語は、晴れた日に始まりました。


     *


 レモンパイ。


 一口目は、甘い恋の味。二口目は、すっぱい恋の味。そして、キスの味。




 ―― おしまい ――




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