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晦冥の街~under ground~  作者: ルリト


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「話が無いなら帰ります」


那智のその言葉と同時に、セイが目の前に辿り着いた。そして、細く長い人差し指で顎先をクイっと持ち上げられる。


「情報をやるって言っただろ。あまり生き急ぐと損するぞ」


極々間近でニヤリと笑う顔。端正なだけに迫力がある。


セイは、抵抗すればするほど喜んで追いつめてくるタイプだ。


目前から放たれる怪しげな空気から逃げたい気持ちはあるけれど、それがセイの起爆スイッチになる事が想像付けば大人しくしているしかない。


「…情報を提供してくれるからには、何か見返りが必要なんですよね?まずはそこから話し合いましょうか」


先手必勝。


いきなり情報を聞かされてしまった後に、法外な見返りを要求されてはたまらない。


案の上セイの眉間に皺が寄せられた。そして更に顔が近づく。


どちらかが後一ミリでも動けば鼻先がぶつかってしまう程の距離。


「…相変わらず可愛くないな…。もう少しくらいお馬鹿ちゃんでもいいんじゃない?」


「もし俺が今よりもお馬鹿さんだったら、セイさんは見向きもしなかったでしょう?違いますか?」


那智が呆れたように言うと、図星だったのかセイはとても楽しそうな笑みを浮かべた。


目を細めて笑うその表情は、まるで機嫌の良いサーベルタイガーのよう。


「しょうがないな。今回は特別サービスで安くしてやるよ」


「ハッキリとどんな見返り要求か言ってくれるまで油断はしませんよ、俺は」


ニッコリ笑って告げた那智に、セイの顔から機嫌の良さが消え失せた。そして、面白くない…といった表情に移り変わる。


まずい…と思ったのは一瞬だけ。


「…セ…ッん」


静止を掛けようと口を開いた瞬間、その時を狙われたかのような絶妙なタイミングで那智の唇が塞がれた。


驚きに目をみはり、慌てて目の前の体を押し退けようとしたけれど、セイの強引で巧みな舌使いによって閉じようとした唇を割られる。


後頭部をガッチリと片手で押さえつけられ、口腔内を執拗に舐めまわされて吐息すらも奪われるかと思いきや、次の瞬間、下唇を柔らかく甘噛みされる。舌先でなぞられて思わず背筋を震わせれば、喉奥だけで笑う微かな震動が伝わってきた。


舌を吸われて、誘導されるようにいつのまにか自らも舌を絡ませるような事態に陥り、気づけば腰に回された腕に一部の隙間も無いほど強く抱きしめられていた。


喰らい尽くすような激しさに、呼吸が乱れる。


「…も…ぅ…、離し…て、くださ…い…っ!」


角度を変える為か一瞬だけ離れる合間を狙って拒絶の言葉を投げかけながら、セイの二の腕をグッと掴む。そして向こうへ押しやった。


確かにセイの方が上背もあるし、一見細身の割には鍛えられた身体をしている。


それでも、完全に上から圧し掛かられているわけではない今、それなりに修羅場の経験もある那智にとって、逃れられる勝算はじゅうぶんある。


ただ、敵ではないぶん手加減をしなくてはいけない。そこが難しい。


それでもこのまま甘んじて受けるつもりはない那智は、セイを押し退ける両腕に込めた力を瞬発的に開放した。


瞬間的に放たれる力は、同じ強さだとしてもゆっくり与えるそれとは相手に与えるダメージの種類が違う。


さすがのセイもこれには重心を揺らめかせた。半歩後退したことによってお互いの間に隙間ができる。


そこに肩をグッと押し込むように上半身を捻って、更に距離を作った。自然と腕が離れる。


ここまでくれば、さすがにもうセイも続きをしようとは思わないだろう。


上がる息を押し殺しながら見たセイの顔には、呆れとも諦めともつかない微妙なものが浮かんでいた。


「…そこまで抵抗する事ないだろ」


「抵抗するに決まってるじゃないですか。そういうのは恋人にでもすればいいでしょう」


「那智が恋人になれば済む話だと思うけど」


「そんな危険な選択を俺がすると思いますか?」


「どんなものからもお前を守ってやるよ。ボクにはそれが出来る」


「…………」


顔を近づけ、囁きに混ぜた甘い声と色気垂れ流しの眼差し。


実際にセイの言うとおり、恋人になればどんな脅威からも守ってもらえるだろう。


けれど、那智は安寧を望んでいるわけではない。そんな退屈な日常なんていらない。


別の意味では、セイの恋人になれば退屈はしないだろう。刺激的でもある。


でも、それは那智が望むものとは種類が違う。欲しがっているのは、そういうものじゃない。


セイの表情だけを見れば、本気で那智を望んでいるように思えなくもない。けれど、その真意は簡単には計り知れない。


奥が深すぎて途中までしか読み取れないセイの内面は、あまりに複雑すぎて那智の手に負えるようなものではない事は、過去の経験から痛いほどよくわかっている。


ある程度は踏み込みたいけれど、一線を越してはならない。


セイとの付き合いで、那智が一番気をつけているのはその距離感。


今も、一歩間違えればその距離感がおかしくなってしまうギリギリのやりとり。


そして、間近で見つめあうこの緊迫した空気を払拭したのは、珍しくセイの方だった。


「…なんでそこで黙り込むんだよお前は…」


呆れたように溜息を吐くセイの様子に、何故か笑いが込み上げてきた。


なんでも自分の思う通りに動かしているだろうセイが困惑している。それが嬉しいと思う自分は、少し性格が歪んでいるのかもしれない。


緊迫感から解き放たれた緩んだ空気に、那智はようやく体の力を抜く事ができた。


「セイさんが変な事ばかり言ってるから、俺は黙るしかないんですよ。返事が無いのは自業自得だと思って下さい」


「…お前ね…」


ニッコリ笑った那智を見たセイは、しょうがないな…と両肩を竦めただけだった。


そしてその後、部屋の奥にあるソファに座らされて、ようやくここに来た目的である「情報」を得る事が出来た那智は、告げられた内容に眉を顰めた。


「Vercheの背後にヤクザの影…ですか…。やっぱりそうか…、それしかないとは思っていたけど…」


机上の空論である単なる予測だった時と、それが確かなものだと確信を得られた今では、気持ちのあり様が変わる。



裏高楼街の掟には、


『派閥に属する者は、ヤクザの構成員(準構成員含む)に属する事を禁ずる』


『高楼街においての銃器・薬物売買の全面禁止』


というものがある。そして更に、


『派閥に属する者は、裏高楼街での金銭がからむ利益を生じる行動を禁ずる』


というものもある。



この全てにVercheは背いている事になる。


利益を生じる行動…、これはバイトなどの個人行動の事ではなく、派閥としての利益行動を指し示す。


組をバックにつけ、ドラッグを流し、金銭のやりとりをする。


これはもう裏高楼街に属する派閥の行動としては許されるものではない。単なる暴徒だ。野放しにする事はできない。


あまりに馬鹿馬鹿し過ぎる相手の動きに、“叩きのめしてやる”という高揚感よりも、規模が小さいから入りやすいのかもしれないが・・・こんな訳のわからない派閥に所属しようと希望する人間がいる事に疲れを感じる、といった気持ちの方が大きい。


入ろうとする人間さえいなければ、派閥なんてものは作れないからだ。


そして更に、もしバックについている組が広域指定暴力団とされているならば、暴対法第十二条のいずれかに引っ掛かるのではないだろうか。


特に、Vercheに対して、Blue RoseとMoonlessを襲えと命じたのがその組の人間であったなら、確実に暴対法に引っ掛かる。逆にVercheの方が組に依頼していたとしても引っ掛かる。


まさか暴対法を知らないヤクザはいないだろう。組の存亡に関わる法律だ。


面倒な事になりそうだな…。


多少の苛立ちに双眸を眇めた那智は、鬱陶しそうに片手で前髪をかき上げた後にセイを見つめた。


「この先、少し騒々しくなるかもしれませんけど、すぐに片付けるのであまり気にしないで下さい」


Verche排除の抗争が起きる事を示唆する那智の言葉に、目の前のソファに座っているセイはフッと鼻で笑った。


「ボクがそんなくだらない騒ぎを気にするわけないだろ」


「ですよね」


「ただし、ボクの気分を不快にさせるような事があれば、保障できないけどね」


「………ですよね」


二度目の那智の返事は、思いっきり溜息混じりのものとなった。







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