1-1 「記憶喪失」
閉鎖的な施設。周りは巨大な塀に囲まれていて、まるで刑務所のような場所。この中に自由はなかった。部屋には外から電磁ロックが施され、すべての行動は分刻み。
ここは子供の教育施設。といっても普通の教育をする場所ではなかった。
ここの館長と思しき白衣の男は子供たちの前に立ち言った。
「お前たちにはいまから殺し合ってもらう。そうだな……、半数になるまで殺し合ってもらおうか?」
映画でも見ないほど残酷を子供に強いる。殺人鬼でも育てているのか?
しかし、子供たちは疑問を持たなかった。なぜなら、感情なんてものは存在しなかったのだから……
「ねぇ、君。私を連れて逃げて」
名前も知らない少女が話しかける。感情のない自分にこの一言が歯車となり、すべてを動かし始め
た。
◇
午前7時。空間上に文字が浮かび上がった。立体ビジョン。現在世界では主流になっている生活ターミナルである。そして、そのターミナルはマスターの設定通りに起動し、そして――
ジリリリリリリリリリリ――ッ!
古典的な音。デジタルな端末からアナログの目覚まし時計の音が鳴り響く。
「ん……、う……さいな」
布団にうつ伏せに寝転がりながら、立体ビジョンを覗き込み時間を確認した。
「7時……、まだ、1時間しか寝てないじゃないか……。今日は帰りが遅かったんだ、後10分頼む」
『命令を確認……、それは命令実行不可能です。ただちに起きてください』
そして、目覚ましの音量が増し、部屋中に鳴り響いた。あまりの爆音にたまらず布団を被った。そして、横に寝がえりを――
むにっ――
布団の中にある何やら柔らかい感触。しかも温かい……。その気持ちよさに両手で抱きつく。こんな枕もっていたか?
「あっ……んぅ……」
かすかに喘ぐ女性の声。って――――
声に気がつき、慌てて布団から跳び起きた。
「な、なんでこんなところに……」
しかもこの子は裸じゃないか!? どうやってここに。って思い出した。昨晩、プロキシのミッションをこなし……、この少女を保護したんだった。もうすっかり朝だったし、とりあえず連れて帰って、事情を聞こうと思ったんだっけ?
「しかし、ちゃんと別の部屋に寝かせたはずだが――」
少女に毛布をかぶせてやった。
「んっ……」
少女はゆっくりと目を開け、薄らとした目でこっちを見てきた。
「悪い。起こしちまったか?」
「あなた……は?」
「俺か? 俺は猛だ」
「た……け……る? たける!」
「あぁ。君の名前は?」
「わたしの名前……。わからない……」
「じゃあ、どうしてトランクで連れ去られていたんだ?」
「トラン……ク……? それもわからない……」
彼女は悲しそうな顔を浮かべていた。もしかして、記憶喪失?
「どこに住んでいたとかも思い出せないか?」
「住んでいた場所もわからない……」
「そうか」
彼女の目からは涙が流れていた。それを見て思わず慌てた。
「お、おい?」
「うぅ……、わたし、すんでいた場所も自分の名前もわからない……。わたしはいったいだれなの……。うわぁああああ」
記憶を失った不安。それは分からないが、似たような経験はあった。そのせいか気がつくと彼女を抱きしめ、頭を優しく撫でた。
「いろいろ聞いて悪かった。分からないことだらけで不安だよな……。もう聞かない」
「ひぅ……うぅ……」
しばらくそうしていた。そして、彼女は落ち着いたのか泣きやむ。記憶のない少女。どこかに保護してもらおうと考えていたが、どこか放っておけなかった。
「俺が君の記憶が戻るまで傍に居てやる。だから安心しろ。な?」
少女は涙をぬぐい、こくっと頷いた。その少女の姿を見て思わず目をそらした。
「とりあえず、俺の服を着ろ!! えっと――」
名前を忘れた少女。このままじゃ不便だよな……。
キョトンとこちらを覗き込む少女の目をみて考える。よし――
「アリス。それがとりあえず君の名前だ」
「あ……り……す?」
彼女はキョトンとした顔をしていた。
「そうだ。君から見たら不思議な世界だろう。それにその透き通った金髪。まるで不思議の国のアリスを思い出させた」
「ふしぎ……のくに……のありす?」
「あぁ、嫌なら別の呼び方でもかまわないが……」
「ううん。アリスがいい……」
「そうか。じゃあ、記憶が戻るまでの当面の間はアリスと呼ぼう。よろしくなアリス」
「うん。たけるもよろしく」
少女はにっこりと笑い、こっちへと微笑みかけてきた。この少女――アリスはようやく笑ってくれた気がする。
「えへへ、ありすかぁ――」
よほど気に入ったのか何度も自分の名前を呟いていた。って――
空間上のタッチパネルに刻まれた文字を見て驚愕する。
『DANGER』
赤文字で刻まれ奇妙な音が鳴っていた。この文字の表示の意味はdead lineを意味する。つまりは学校へのデッドライン――遅刻だ。こう見えても日本の一高校生にすぎない。遅刻すれば、教師にペナルティを課せられるだろう。正直やばい……。
慌てて着替え、鞄を素早く手に持つ。
「えっと――、アリス。俺は学校に行くから家にある物は好きに使っていい。ただ、家をでるなよ? 夕方にはもどる。それと――」
アリスに向かって無線小機のようなものを手渡す。
「これは衛星電話だ。俺にしか通じない。何かあったらそれでよびだせ」
「うん。わかった……」
「じゃあ、行ってくる。大人しくしてろよ」
猛ダッシュで家を飛び出し、学校へと向かった。
◇
時刻は9時10分――。明らかに遅刻だ。すでに登校する生徒は見かけなかった。
(これは本気でやばい……)
完全に遅刻だ――――
この学校のルール。そんなに重たいものではないが、遅刻の回数が一定を超えるとペナルティを与えられ、放課後補修となってしまう。それだけは避けないと……
すでに閉じられた校門を強引に飛び越え、教室へと向かった。教室はHR中。こっそりと教室の中へ侵入して、自分の席へと向かう。
ヤバい。担任に見つかる……。そう思った瞬間――
「先生! 昨日の提出物の回収はまだでしょうか?」
一人の女子生徒が訪ねていた。その女子生徒は後ろを向き、借しだからね☆ とばかりにウインクしてきた。
郁美め……。嫌な奴に借りを作ってしまった……。まぁ、そのおかげで見つかることなく、席に座れたのは事実だが……
そして、無事HRも終わり、案の定、女子生徒――――夜那川郁美はこっちの席へと近づき、顔を近づけてきた。
「感謝しなさいよね」
そして、両腕を腰にあて、自慢げに言ってきた。
「あ? 何をだ?」
「私がって私があの時、機転を利かさなかったら、あんたは補修確定よ?」
本当に予想通りの展開。こいつは何かにつけて俺に張り合ってくる。
「あー、それはありがとな」
棒読みで感情を込めずに言った(もちろんわざとだが)
「あんたねぇ……」
「じゃあ、おまえどうすればいいんだよ?」
「駅前のこの前オープンしたカフェでケーキセット……」
「――――――はっ!?」
「それで許してあげるわ」
「ちょっとまて!?」
そもそも、許してもらう意味も分からない。
「だから……、それでチャラよ」
「チャラってどんだけ押し売り何だよ!!」
「補修の時間をケーキセットぐらいで買えるわけだから安いものでしょ?」
「そもそもだな、俺はお前に助けてくれなんて一言も――」
彼女はおもむろに、空間上に端末を展開して、動画を映し出した。
その動画に見えていた人物――。なんとも間抜けに教室へと入る――――って俺じゃねぇか!!
「こんなもの撮っていたのか!?」
彼女は不敵にニヤリと笑みを浮かべた。
「で、どうするの?」
このやろう……。ここまで来ると完全に脅迫じゃねぇか!!
「別にこれを担任に見せてもいいんだけど?」
1週間の補習とケーキセットの天秤。結論は言うまでもなかった。
「ぐっ……、ぜひおごらせていただきます……」
「よろしい」
完全な敗北感。なんでこんな気分を味わわなければならないんだ……。そして、脱力感が抜けないまま授業へと突入した。
◇
そして放課後。
「ほら、歩くの遅いぞー!!」
駅前へと続く道――
「はぁ……、何でこんな事に……」
「つべこべ言わずにさっさと歩く!」
学校が終わると同時に、郁美に手を引かれ強制的に拉致。何度か逃げ出そうと考えたがことごとく失敗。そもそも弱みを握られている時点で逃げ切れるわけがないのだが。
こんなことしている場合じゃないんだが……
昨晩、世界的犯罪組織『ジ・ハード』から機密文書を奪還する依頼を受けた。そこでトランクに入れられた少女を見つけ、現在自宅にかくまっている。それが気がかりで仕方がなかった。奴らが何の目的で誘拐をしていたかは分からない。再び狙われる可能性は十分ある。何かあったら連絡をしろとは言ったが……
携帯には着信が一切ない。襲撃に合えば自宅の防犯システムが知らせるようになっているが……、心配だ。
「さっさと来なさいっていってるでしょ!」
そう言って、彼女は無理やりと掴み
「ちょっと待てって! 服が伸びる――」
問答無用に引きずられていった。そして、駅前のメイン通りに辿り着き、その一角にあるにぎわう場所。人が行列を作り、整列させるスタッフ。スタッフの持つ手には小さな看板を持っていて『カフェリトルOPEN』の文字。郁美の言っていた場所はここだろう。
「これは……、また今度にしようかしら」
行列の長さを見て落胆していた。まぁ、普通はそうだろう。この長さだと軽く1時間は並ばなければ入ることもできない。そして、1時間も並べばあっという間に晩ご飯二重なる。なんとも中途半端な時間だ。
「次でいいんじゃないか?」
「そ、そうよね……」
こっちとしても都合が良かった。アリスの事が気がか――――
「たけるぅううううう」
俺を呼ぶ声。そして、小走りの足音。声を聞き振り返った。そこには家に居るはずのアリスの姿――
ぐふっ!!
アリスは勢いよく腹へと飛び込み、みぞおちに見事に決まり、その場に腹を抑え軽く悶絶した。
「いてて……、――ってなんでこんなところにいるんだよ!?」
「あのね。寂しかったから会いに来たの」
「会いに来たっておまえ――」
はっと我に返る。後ろで茫然とこっちの様子を眺める女子生徒の姿。
「あんた……、その子……」
軽蔑するようなまなざし。そして、一歩退き、ドン引きしていた。これは明らかに何か勘違いを受けている。
「その子はまさか……、あ、あんたの子?」
「ち、違うぞ! アリスは昨日偶然――」
うかつだった。思わず口を紡ぐがすでに遅く。
「あんた……、もしかして――」
バレるのはいろいろとまずかった。アリスの事だけでなく、プロキシとして活動していることも秘密にしていた。
「誘拐……?」
「はぁ――!?」
「あんた……、この子を誘拐したんでしょ? このロリコン!!」
「ちょっと待て! なんでそうなるんだ?」
「だって――、どう考えてもおかしいでしょ? こんな金髪の女の子があんたの妹なわけもないし……」
もっともな意見。さてどう言い訳をするか……。いや、そもそもアリスはどうやってここに来たんだ?
「ふふふ、取り込み中だったかしら?」
後ろから歩いてきた女性。ミリアだ。昨晩プロキシとして依頼を受けたのも彼女である。
「なんでいるんだよ? 昨日帰ったんじゃないのか?」
「ええ、本隊は帰ったわ。ただ、今朝連絡があったの」
「連絡?」
「えぇ、奴らは奪われた何かを血眼になって探しているっとね」
「奪われた何か?」
「それは後ほど――――ね?」
ちらりと郁美の方へと目線をやるミリア。少し不思議そうに見ていた郁美が
「この美人な人は誰?」
クラスメイトに向かって抱きついてくる金髪の少女とハリウッド女優も顔負けの美人が話しかけてきたわけだから当然の疑問だろう。親戚――とは言えないしな……。だからと言って本当のことを打ち明けることもできない。
ミリアはクスリと笑い
「あら、あなたはタケルのガールフレンドかしら?」
「ガガガガ、ガールフレンド!? じょ……冗談じゃないわ!!」
彼女は手をバタバタさせながらあたふたしていて、それを見て笑っていた。ミリアの奴、からかってやがる。これ以上面倒事はごめんだ。
「郁美、悪い用事が出来た。また今度な」
そう言って、ミリアとアリスの手を退き、全力でその場を離脱した。