・時間の考えかた
男「日本の従来の小説は、時間の考え方が非常に甘い、と言わざるを得ない」
女「時間? つまりどういうことさ」
男「紙媒体の小説と違ってネット小説は空白をふんだんに使えることで、その時間的推移を表現できる。また、話の本筋とは関係ない描写を詳しく書くことで時間の推移を表せる」
女「本筋と関係ないって、これかな? 『貴方は実は私と血が繋がってないのよ』とか言われた息子の視点で
『彼女の言葉は、どこか非現実的な響きに聞こえた。彼女の顔は俯いて前髪に隠れ、その陰りは読み取れない。あるいは、その細い髪の向こうにはひどくうつろな彼女の顔が見えるのではないかと、私は思った。
存在意義をそこにしか見出せないでいる彼女のことだ、きっと自己否定された気持ちにあるに違いない。彼女の存在意義など、作ろうと思えばいくらでも作れるだろう。
彼女自身もそうとは頭でわかっているはずだ。私の優柔不断さと不器用な優しさぐらい、それとなく察しているはずなのだ。ただ、そんなことが彼女の救いになるのかは、果たして私には見当が付かなかった。』
みたいな?」
男「今回はシリアスだね」
女「『私は、そのまま彼女のやつれた髪を持ち上げ、慈しむように声をかけた。「愛してるよ、姉さん」』」
男「そこは妹だろうが!」
女「知らんがな!」
男「母親だと思ったか? 実は妹なんだぜ」
女「姉の方がいい」
男「文章が現在形だったり過去形だったり、いろいろあるけれど、当然そこには意味があるはずなんだ」
女「ははあ、意味ね」
男「過去形と現在形の違いについてだけど」
過去形で描写がされている場合は、「そういう事実があった」という説明の形。昔にこんなことがありました、という伝聞を示し、古文では「けり」で表現する。
君の言葉を借りると、「彼女の言葉は、どこか非現実的な響きに聞こえた」「ただ、そんなことが彼女の救いになるのかは、果たして私には見当が付かなかった」がちょうどそれだね。
時間的に考えて「読者から遠く離れている」ものだと推測できる。
一方現在形で書かれているのは「語り手が現在だと思っている」状況の説明の形。
「彼女の顔は俯いて前髪に隠れ、その陰りは読み取れない」がまさにそれだ。
これにはいくつも種類がある。これらが複合しているケースもしばしばある。
1:一般普遍の真理の説明。
2:登場人物から見た人の動作。
3:時制の引き付け。
女「一般普遍の真理ってなんぞ?」
男「まって、まずは2について説明するほうが早い」
2については、A「彼女の顔は俯いて前髪に隠れ、その陰りは読み取れない」
B「存在意義をそこにしか見出せないでいる彼女のことだ、きっと自己否定された気持ちにあるに違いない。彼女自身もそうとは頭でわかっているはずだ。私の優柔不断さと不器用な優しさぐらい、それとなく察しているはずなのだ」
の部分だね。
Bは私が彼女のことを見て、彼女の動作を説明している、あるいは推察している。
女「こんな彼氏いいよなあ」
男「俺」
女「はい、続きを」
男「……うむ」
重要なのはAの方だ。Aは彼女が俯いているという動作をしていることと、陰りが読み取れないという状態を、私視点で語っている。
こっちは他にももう一つ意味がある。
「読み取れない」というのは私の動作である。しかし、ここ以外は動作が過去形である。これはいったい何を表現したかったのか。
女「多分、あれだ。語り手は野球の解説をやってるんだ」
男「お?」
女「今2ボール2ストライク、1アウト、パワプロ投手の投球は非常に鋭く、いとも簡単に2ストライクを手に入れました。ここまで過去形」
男「ぱわ、いやなんでも」
女「打った!これは大きい!大きいぞ!のびる、のびる!どうだ、大きく伸びる!外野が走る!フェンスはそこだ!どうだ、はいるか。入るか、入るのか!?入ったーっ!起死回生のホームラン!
満塁ホームランです!これは大きい! これはほぼ現在形。過去形は二つしか使われてないのに、時間は進んでいる」
男「ふーむ、なるほど」
女「つまり、語り手がnow、今を語っているときは、現在形。さっきのでは、順番に現在を語っていって、時間が進んでる、と」
男「そのとおり。そしてAだけを現在形にした意味は?」
女「当然強調したいから!」
男「正解。時制をずらしてスポットを当てる手法でもあるし、あるいは読み手を語り手の時間にぐっと近付ける狙いもある。と言う意味でAは2と3でしたー」
1については
C『今この地球は回っている。どこかで朝が始まっている。澄み渡るように冷たい朝もやの大気が、街行く人の肺を満たす。どこかで電車が走る。人に押しつぶされそうになっているサラリーマンがいる。
世界が回るには、人が回るしかない。歯車一つが欠ければ、どこかがいびつになる。それでも世界は、たった一人なんかどうでもいい。
人が回る場所だなんて、世界とはぜんぜん関係のないところ。勝手にこまのようにきりきりまいに回って、勝手に崩れて足を折る。このとき世界にとって人間は、朝もやを消費するだけのベーゴマでしかない。』
の「今この地球は回っている。どこかで朝が始まっている」の部分と「どこかで電車が走る」の部分。
女「どんなときでも成立するから、かな」
男「そう、これら自体はどんな現在を切り抜いたとしても、おおよそ成立することだろう?
もちろん『どこかで朝がはじまっていた。どこかで電車が走った』にしてもいい。その場合は、『「どこか」という場所では朝が始まり、電車が走っていたのさ』、という過去の説明になる」
女「なるほど。現在形にすることで、こういう事実があっ「た」んだというように動作を終わらせる、じゃなくて、続かせる。
こうすることで、今この地球が回っているのと、サラリーマンが押しつぶされそうなのは同時ですよ、という意味がでるね」
男「そうだ。ちなみにこの例文は、2の意味も含んでいる。全体が『語り手=世界視点から見た、物体の動作の説明』になっている。まあ、これはどうでもいいとして」
3はもう説明したよね。時制をずらしてスポットを当てる。ところがCについては、強調の意味ではつかっていない。
つまり、現在形にするのは必ずしも強調の意味を含むわけではない。一番最初の例は基本が過去形だったから、一箇所現在形にすることで、そこが強調されるわけだ。
Cは、「このとき、世界にとって人間は、」のこのとき、を薄く延ばして説明しただけの、その情景を説明した文章。
女「つまり、昔説明してたぱちーん!の写真のこと?」
男「いや、むしろムービーだね。このとき、っていうのは一瞬じゃない。時間的広がりがある」
女「ああ、ここは動詞が連続して用いられているからね。しかも同時に。一連の動作を使って『このとき世界にとって』のこのときをあらわしたから、『このとき』は比較的長時間になるね」
男「しかも、それぞれの動作の開始時間、完了時間はかなりまばらだ。あるムービーを眺めたときにだけ、みんな同時にそれぞれの動作をしている最中ってだけで、共通点は無し。
つまり、このとき、という時間はかなりあやふやな時間である」
女「世界にとっての、人間のあやふやさを説明した文にもなりうる訳か」
男「とまあ、時間については非常にいろいろとある」
女「ふむ」
男「不必要な文章はテンポ的に削ったり、逆に緩急を付けるために無駄に描写を太くしたり薄くしたりする。……しかし!ネットの文章は贅沢ができる!緩急つけたかったら改行改行改行!」
女「うむ、確かに……」
男「プロってその点すばらしいと思います」
女「ですよねー。改行便利なんです、ごめんなさい」
文章の過去形や現在形の意味の違い、時間的含みを持たせる動詞と一瞬を指し示す連体修飾語の違い、等位接続による順番列挙の時間経過、などなど。
「カップが割れた」「カップが割れる」
「カップが割れた」「割れたカップ」
「カップが割れる。音が響く。僕は立ちすくむ。彼女は微笑む。店内の時間が止まる。「別れよう」の言葉がリフレインする」
男「とにかく、時間に対しての認識ってのは、かなり重要です。時は金なり」
女「沈黙は金なり。つまり改行も金だね!」
男「それはちょっと違う。そもそもかねときんだし」