死にたい僕と、生きたい君。
僕は、死ぬ方法を探していた。
心臓を貫いても、首を切っても駄目だった。
毒を飲んでも駄目だった。
火山の火口へ飛び込んだときは、さすがに少し期待したけれど、三日後には何事もなかったように麓の村で目を覚ました。
服だけは燃えていた。
あれは困った。
近くに干してあった毛布を拝借して帰ったせいで、村ではしばらく「白布の精霊」が出たという噂が流れた。
僕だ。
精霊ではない。
ただの不老不死だ。
ただの、と言っていいのかは知らないけれど。
僕はもう千年以上生きている。
昔は錬金術師だった。
いや、今も錬金術師ではあるのだけれど、最近は世間から勝手に「大賢者」などと呼ばれている。
別に賢くはない。
長く生きていたら、知っていることが増えただけなのだ。
しかも僕は、見た目がほとんど変わらない。
不老不死になった当時のまま、背は低く、顔つきも幼い。
鏡を見るたびに思う。
せめて、あと十年遅く完成させるべきだった。
せめてもう少し背が伸びてから飲むべきだった。
不老不死の薬を完成させた当時の僕は、若かった。
死ぬのが怖かった。
時間が足りないと思っていた。
学びたいことも、見たい景色も、作りたい薬も、全部ひとつの人生では足りないと思っていた。
だから僕は、不老不死を望んだ。
そして叶えた。
最初の百年くらいは楽しかった。
二百年目も、まあ悪くなかった。
三百年を過ぎた頃から、少しずつ数えるのをやめた。
友人は老いた。
弟子も老いた。
僕を好きだと言ってくれた人も、僕が好きになった人も、みんな先にいなくなった。
何度仲良くなっても。
どれだけ愛し合っても。
僕だけが残った。
だから今度は、死ぬ方法を探すことにした。
不老不死になる方法を探していた頃より、ずっと長い時間をかけて。
その日も僕は、森の奥にある小屋で新しい毒薬を調合していた。
古代種の毒草。
黒竜の胆石。
冥界苔の抽出液。
どれも普通の人間なら一滴で死ぬだろう。
僕は完成した液体を小瓶へ移し、光に透かした。
「今回は、少し期待できそうだな」
色は濃い紫。
匂いは腐った卵と焦げた靴下を混ぜたような感じ。
味はまだ分からない。
苦くないといいな。
小瓶を口元へ運んだ、そのときだった。
小屋の扉が、勢いよく開いた。
「大賢者さまは、どちらにいらっしゃいますか!」
少女が立っていた。
肩までの髪は雨と泥でぐしゃぐしゃ。
大きな荷物を背負い、息を切らしている。
年は十六か十七くらいだろう。
腰には錬金術師が使う収納袋。
胸元には、王都錬金術院の紋章が付いていた。
「僕だよ」
「え?」
「君の探しているその大賢者は僕」
少女は僕をつま先から頭のてっぺんまで、まじまじと観察した。
僕と目があった。
「いやぁ、そんなわけないでしょ」
「そんなわけあるんだよ」
「お弟子さんかな? 大賢者さまに憧れるのは分かるけど、なりすましはよくないよ」
「なりすましじゃないわ! 本人だわ、ほ・ん・に・ん!」
「ええっ!?」
少女は目を見開いた。
そして、もう一度僕の容姿を確認した。
「こんなちっちゃいのが大賢者さまなの!?」
「ちっちゃい言うな!」
反射的にツッコんだ。
少女は慌てて口を押さえた。
「す、すみません。でも、もっとこう……」
「もっと何だよ」
「白い髭を生やしたおじいさんかと」
「不老不死なんだから」
「あっ」
少女は今さら気づいた顔をした。
僕は小瓶を机へ戻した。
このやり取りの途中で毒を飲むのも、なんとなく締まらない。
「本当に大賢者さまなら、三百年前の王都大飢饉で、腐敗を止める保存薬を作ったというのも……」
「開発したのは僕だよ」
「やっぱり!」
「でも、何万本も作ったのは僕じゃない。各地から集まった錬金術師たちだ」
「そうなんですか?」
「うん。僕ひとりで作れる量じゃなかったからね」
少女は目を輝かせた。
「あと、腐敗は止められないよ。せいぜい半年もつかどうか」
「じゃあ、黒竜を一撃で倒したというのも?」
「倒してない。巣から追い払っただけ」
「西方の山脈を真っ二つにしたというのは?」
「してない。あれは地震」
「死者を千人蘇らせたというのは?」
「それは完全な嘘だよ」
「伝説、結構盛られてません?」
「千年も経てば、だいたいそうなるだろ。」
僕はため息をついた。
そして、少女はとりあえず納得したらしい。
その場で背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「大賢者さま。お願いがあります」
「嫌な予感がするな」
「不老不死の秘法を教えてください!」
「お前には教えない」
即答すると、少女は顔を上げた。
「どうしてですか!」
「昔のやつと、同じ目をしてるからだ」
「昔のやつ?」
「ああ」
「誰ですか、それ」
僕は黙った。
少女は待った。
仕方なく、僕は小さく答えた。
「……僕のことだよ」
「大賢者さまも、不老不死になりたかったんですか?」
「なりたかったから、なったんだよ」
「じゃあ、教えてくれてもいいじゃないですか!」
「よくない」
「どうして!」
「とても後悔してるからだ」
少女の表情から、少しだけ勢いが消えた。
僕は椅子へ座り直す。
「君は、不老不死を何だと思ってる?」
「永遠に生きられることです」
「それだけ?」
「病気にもならない。老いない。時間を気にせず、好きなことができる」
「まあ、だいたい合ってる」
「なら――」
「ただし、君の周りにいる人たちは、誰も永遠には生きない」
少女が口を閉じた。
「友人も、家族も、恋人も、君より先に老いて死ぬ。新しく誰かと出会っても、その人もいつかいなくなる。君だけが、ずっと同じ姿で残る」
「……それは」
「知り合いが死ぬたびに、また別の誰かと仲良くなればいいと思うかもしれない。でも、そのうち怖くなる。仲良くなった瞬間から、別れが決まってるから」
僕は机の上の小瓶を見る。
「僕はもう、それを繰り返したくない」
「だから、死のうとしてるのですか」
「ああ」
少女はしばらく黙っていた。
小屋の外では、葉を揺らす風の音がしていた。
やがて少女は、僕の机に並んだ薬瓶へ視線を移した。
「それ、何ですか?」
「毒薬」
「どう見ても毒薬ですね」
「今回は少し期待してる」
「飲むんですか?」
「そのつもりだった」
「やめてください!」
少女が机へ飛びつき、小瓶を奪った。
「返して」
「嫌です!」
「それ、黒竜の胆石が入ってるんだぞ。採るの大変だったんだぞ」
「そんな問題じゃないです!」
「三年かけて手に入れたんだ」
「だから何なんですか!」
「材料が惜しい」
「命を粗末にする人が、材料を惜しまないでください!」
妙な説教だった。
少女は小瓶を背中に隠し、僕を睨んでいる。
「死ねるとは限らないよ」
「成功する可能性が少しでもあるなら駄目です!」
「死ねたら、不老不死とは言わないだろ?」
「だからって、試していい理由にはなりません!」
「君、僕に不老不死の秘法を聞きに来たんじゃなかったの?」
「そうですよ。大賢者さまに死なれたら、秘法も聞けなくなります」
少女は小瓶を背中に隠したまま、僕をまっすぐ見た。
「でも、それより先に、目の前で死のうとしている人を放っておけません」
少女は強かった。
僕が千年かけて得た威厳など、まるで通用しない。
「そもそも、君はどうして不老不死になりたいんだ」
「やりたいことが、たくさんあるからです」
「例えば?」
「新しい薬を作りたいです。空を飛ぶ船にも乗りたいし、北の氷原も見たい。海の底にある都市も探したい。魔族の国にも行ってみたいし、まだ読んでない本もいっぱいあります」
「ふぅん……」
「あと、世界中のお菓子を食べたいです」
「それは別に不老不死にならなくてもできるだろ」
「新しいお菓子は、これからも増え続けるじゃないですか!」
少女はどことなく真剣だった。
「でも、人間の寿命じゃ全部できません。もし、これらが全部達成しても、新しくやりたい事が増えるかもですし、だから、不老不死になりたいんです」
昔の僕と同じだった。
時間が足りない。
世界には、まだ知らないことがありすぎる。
死ぬには早すぎる。
その気持ちを、僕は知っている。
「大賢者さまは、全部やったんですか?」
「何を?」
「やりたかったこと」
僕は答えられなかった。
世界を見た。
数えきれないほどの薬を作った。
国が生まれ、滅びるところも見た。
けれど、全部やったのかと聞かれると分からない。
「……途中で、どうでもよくなった」
「どうしてですか?」
「一緒にやりたいと思った相手が、いなくなったから」
少女はまた黙った。
今度は、少し長かった。
それから、小瓶を机へ戻した。
「分かりました」
「諦める?」
「いいえ」
僕はてっきり、話を聞いて怖くなり諦めたのかと思っていた。
「話を聞いてた?」
「聞いてました」
「僕がどれだけ後悔してるかも?」
「聞きました」
「じゃあ、どうして」
少女は胸を張った。
「ひとりで不老不死になるから駄目なんです」
「何?」
「私が不老不死になったら、大賢者さまはひとりじゃなくなります」
「話が飛躍してるよ」
「どこがですか?」
「まず僕は、君と今日会ったばかりだ」
「でも、これから仲良くなればいいじゃないですか」
「ずいぶん簡単に言うな」
「大賢者さま、友達少なそうですし」
「余計なお世話だ!友だちになってもどうせ先にいなくなるんだ。なら最初からいないほうが悲しい思いをしなくて済む」
「それに、私が先に不老不死になれば、大賢者さまが死ぬ方法を探すのも手伝えます」
「それだと、僕が死んだあと君がひとりになるだろ」
「じゃあ、そのときは私が後を追うだけです」
「不老不死になる前から出口を考えるなよ」
「大賢者さまが言ったんじゃないですか。面倒だって」
「だから、ならないほうがいいと言ってるんだよ」
「でも、大賢者さまも昔は望んだんでしょう?」
その言葉に、僕は黙った。
「だったら、私が望むのも分かるはずです」
「分かるから止めてるんだぞ」
「私は、大賢者さまと同じ失敗をするかもしれません」
「するかもじゃない。いずれいつかはそうなるだろうから」
「でも、大賢者さまがいるなら、同じ失敗をしてもひとりじゃありません」
少女は、まっすぐ僕を見た。
昔の僕と、同じ目だった。
知らないことを知りたい。
見たことのないものを見たい。
まだ終わりたくない。
昔の僕なら、誰に止められても聞かなかっただろう。
不老不死の苦しさを説明されても、自分なら大丈夫だと思ったはずだ。
「名前は?」
「え?」
「君の名前」
少女は嬉しそうに笑った。
「ミアです」
「ミア」
「はい」
「不老不死の薬は、そう簡単には作れない」
「分かってます」
「材料もほとんど残ってない。作り方も、僕が完成させたものと同じでいいとは限らない」
「それでも探します」
「失敗すれば死ぬ」
「死なないために作るんです」
「屁理屈だな」
「大賢者さまに言われたくありません」
僕は机の上に積まれた古い紙の束を見る。
死ぬ方法を探すために集めたものだ。
呪いを解く方法。
不死を終わらせる術。
魂を肉体から切り離す研究。
そのどれも、まだ完成していない。
けれど、逆に辿れば、不老不死の仕組みをもう一度調べることもできる。
「条件がある」
「何ですか?」
「僕の言うことを聞くこと」
「内容によります」
「今すぐ帰ってもらおうかな」
「聞きます! 聞きますから!」
「それから、勝手に薬を飲まない」
「はい」
「危険な材料に触らない」
「はい」
「僕をちっちゃいと言わない」
「それはちょっと……」
「帰れ」
「い、言わないように善処します!」
「まだ言う可能性あるのなんなの……」
ミアは笑いながら、机の向かい側へ座った。
僕は一冊の古い研究記録を取り出す。
千年以上前。
僕が不老不死を求めていた頃に書いたものだ。
表紙は擦り切れ、文字もところどころ消えかけている。
「これが、最初の記録だ」
ミアは恐る恐る本を開いた。
「大賢者さまの字、汚いですね」
「昔は急いでたんだよ」
「今もあんまり変わってません」
「まだ一行しか見てないだろ」
僕は、死ぬ方法を探すのをやめた。
正確には、少しだけ後回しにした。
不老不死になりたい君と一緒に、もう一度、不老不死になる方法を探すために。
それが正しいのかは、今でも分からない。
君がいつか後悔するかもしれない。
僕と同じように、死にたくなる日が来るかもしれない。
それでも。
今度は、ひとりにはしない。
「大賢者さま」
「何?」
「この材料、どこで手に入るんですか?聞いたことないです」
「もう絶滅した」
「最初から詰んでません?」
「だから探すんだよ」
「千年かかります?」
「かかるかもね」
「それじゃ、完成する前に私の寿命が尽きます」
「それは困る。君がいなくなったら、僕はまた生きる理由を失うじゃないか」
「……なんか、私のために生きるみたいですね。あっ、告白ですか?」
「違うわ!」
死にたい僕と、生きたい君。
正反対だったはずの僕たちは、いつの間にか、同じものを求めて探し始めていた。
君が永遠を手に入れるために。
そして僕がもう一度、永遠を生きてもいいと思えるようになるために。




