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繁栄と虚飾の帝国

(アンジェ・ビースト視点)

ヴェスタード帝国の「永遠の光」――皇宮の頂点に浮遊する、直径五十メートルを超える巨大な魔晶石が、夜明けの淡い紫色の光を放ち始めたとき、帝国首席秘書官としての私の長く険しい一日が幕を開ける。

私は皇宮九十九階にあるテラスに立ち、冷たい朝風に金髪をなびかせながら、眼下に広がる「世界の心臓」と謳われる首都を見下ろしていた。

この高さから見れば、魔法軌道の街灯はゆっくりと動く蛍のように見え、神殿へ祈りを捧げに行く信徒や早起きの商人を運んでいる。雲の上では、第七軍団に所属する三隻のリヴァイアサン級浮空戦艦がゆったりと巡回していた。それは大陸全土を威圧する帝国の象徴であり、巨大な影が市街地を横切るたび、眠りの中にいる人々でさえ、その窒息しそうなほどの安寧を感じ取ることができる。

この帝国は強すぎる。

ユーキ陛下が国境線で咳を一つするだけで、隣接する三つの小国が即座に降伏文書を提出するほどに。最高位の龍族でさえ、帝国の領空を通るときは翼を畳み、地上を歩かねばならないほどに。

しかし、この繁栄と威圧のすべては、紙一枚よりも脆い前提の上に成り立っている――**「玉座に座るあのお方は、無敵である」**という前提だ。

私は視線を戻し、宮殿の奥へと足を進めた。深紅の絨毯が私のブーツの音を吸い込むが、胸の内の焦りまでは消してくれない。

三日前のあのアクシデント以来、私の世界は崩壊してしまったのだ。

私は龍の鱗と精金が嵌め込まれた、重厚な黄金の扉を押し開けた。

書務室の中、本来ならば大陸全土で最も冷酷かつ最強であるはずの男が、数百万人の生死を左右する羊皮紙の山に突っ伏して、小さないびきをかいていた。

私はズキズキと痛むこめかみを押さえ、深く息を吸い込むと、並の衛兵ならその場で膝をつくほどの威厳ある声を張り上げた。

「国王様! まだ朝ですわよ。何を寝ぼけていらっしゃるの? しかも泣いて!」

男は飛び起き、驚愕の表情で私を見つめた。

「あ、アンジェさん、来てくれたんだ……。ごめん、今……ちょっと考え事をしていて」

彼の名はユーキ。ヴェスタード帝国の最高統治者。だが、分かっている。彼は彼ではない。

本物のユーキ陛下は、万年凍土のような冷徹な瞳を持ち、眠りの中でさえ周囲の空気を歪めるほどの魔圧を放っていた。だが目の前のこの男は、その瞳があまりにも純粋で、愚かと言っていいほどだ。顔にはこの世界に対する恐怖が露骨に張り付いている。

「陛下、涙をお拭きになって」私は無表情にシルクのハンカチを差し出した。「現在午前八時。予定では、九時までに対南方連合貿易体との関税紛争を処理し、その後に閣僚軍事会議に出席していただきます」

「関税? 軍事?」彼は不器用に顔を拭きながら、ハンカチを持つ手を震わせていた。「アンジェさん、俺……本当にこの字が読めないんだ。おたまじゃくしが動いているみたいで、さっぱり分からないんだよ!」

私は、彼のしなやかで白い手を見つめた。その手はかつて一瞬にして反乱軍の山城を消し去った。しかし今、その手には羽ペンを握る力さえ宿っていない。

「陛下、私について来てください。『共鳴の間』へ向かいます」

私は苛立ちを抑え、どんな男をも萎縮させるほどの距離感で、半ば強引に彼を立ち上がらせた。

共鳴の間へ向かう廊下には、「聖騎士」の位階を持つ守護者たちが幾重にも立ち並んでいる。

「陛下に敬礼ッ!」

鉄甲がぶつかり合う音が整然と響き、鼓膜を震わせる。背後のユーキがビクッと肩をすくめるのが分かった。足取りはふらつき、あろうことか私の背中に隠れようとしている。

嫌悪感がこみ上げるが、それと同時に言いようのない滑稽さを感じていた。

医師の診断結果――いわゆる「記憶解離症」――が出る前、私は何度も鑑定魔法で彼を試した。

それは帝国の最高層のみが知る禁忌のテストだ。

ヴェスタード帝国において、魔力は身分の象徴である。個人の魔力の流れは呼吸と同じくらい自然なものであり、最も卑しい奴隷でさえ、体内には小川のような魔力が流れている。

しかし、彼にはそれがない。

どれほど観測しても、どれほど誘導しても、彼の身体の中は巨大な真空の空洞のようだった。

絶対的なゼロ。

呪文で封印されているわけでも、魔力を使い果たして消耗しているわけでもない。根源から、彼の存在は「魔法」という言葉と絶縁している。魔力ゼロの人間は、この世界では自動ドア一つ開けることができず、まして魔法を基盤とするこの帝国を統治するなど、本来あり得ないことだ。

もしこの事実が漏れれば、明日の朝、私は断頭台の上で彼の首と、そして自分の首を見ることになるだろう。

私たちは共鳴の間に入った。ここには二人きりだ。

部屋の中央には真っ黒な感応石が鎮座しており、それは首都上空の巨大魔晶石と直結している。国王は毎日自ら「共鳴」を行い、その存在を証明し、首都防衛網のコアコードを更新しなければならない。

「手を置いてください、陛下」私は冷たく告げた。

「あ、ああ……分かった」ユーキは震える手を伸ばし、冷たい黒石に押し当てた。

一秒、二秒、十秒。

石は無反応だった。ただの道端の鉄屑のように静まり返っている。

私は素早く、幅の広い袖の中に隠していた代替装置を起動させた。それはこの三日間徹夜で作り上げた違法な魔道具で、私自身の魔力の大半が貯蔵されている。

感応石が私の魔力を感知し、ようやく淡い紫色の光を放った。かつての、世界を震撼させるような眩い輝きに比べれば蛍の火のようだが、事前に仕掛けていた隠蔽術式と合わせれば、外の感応器を欺くには十分だ。

「ふぅ……」ユーキは陸に上がった魚のように地面にへたり込み、大量の冷汗を流しながら荒い息をついた。「アンジェさん、ありがとう。俺……本当にどうしたらいいか分からなくて。君がいなかったら、今頃バレてたよね?」

彼は私を見上げた。その瞳には純粋な感謝、恐怖、そして病的なまでの依存心が混じり合っていた。

私はこの馴染み深く、それでいて見知らぬ顔を見つめ、複雑な感情に囚われた。

「これは始まりに過ぎませんわ、陛下」私は彼を引き立たせ、服の埃を強く払った。「次の軍事会議では、あの古狐たちが国境拡張令への署名を求めてくるでしょう。貴方はただそこに座り、一言も発しないでください。返答はすべて私が誘導します」

会議室に入る前、私は身なりを整え、重い扉を開いた。

室内には帝国の最高幹部である十人の将軍が座っていた。彼らは皆、濃密な血の匂いと傲慢さを漂わせている。中でも第三軍団長――「鉄血公爵」と呼ばれるアウグストゥスが、鋭い独眼で入ってきたユーキを射抜くように見た。

「陛下、顔色が優れませんな」アウグストゥスの声は地鳴りのように低い。「あのアクシデントについては、我々も案じております。陛下の『武威』が健在であることを示すためにも、本日の会議の後、演武場へお運び願えませんか。新人騎士たちの魔法運用にご指導を頂きたい」

ユーキの顔が瞬時に石灰のように白くなった。彼は私を見つめ、瞳で必死に救助信号を送ってきた。

私は冷笑を浮かべ、優雅に前に出た。

「公爵、陛下は未だ回復期にあります。そのような些事に陛下を煩わせる必要はありませんわ。それとも……陛下の権威を疑っていらっしゃると?」

アウグストゥスは鼻を鳴らして口を閉ざしたが、疑念の空気は確実に室内へ広がっていた。

会議が終わると、ユーキは逃亡兵のように寝宮へと走り去り、毛布にくるまって震え始めた。

私は自分のオフィスに戻り、鍵をかけた。引き出しの奥底から、半分ほど焦げた日記の断片を取り出す。

それは先代の国王――あの本物の「怪物」が、失踪の直前に私に手渡したものだ。

そこに書かれた筆致は乱れ、震えていた。あの御方の普段の優雅な書体とは似ても似つかない。

『勇気とは力ではない。勇気とは、世界の真実を知った後でも、なお選択し続ける……』

後半は黒い血痕で汚れており、どんな復元魔法を使っても読み取ることはできなかった。

私はその一行を見つめ、先ほど玉座で震えながらも、私の期待に応えようと必死に背筋を伸ばしていたユーキの姿を思い出した。

もし先代国王が「強すぎた」ゆえに禁忌に触れて消えたのだとしたら、目の前のこの山田勇気という、身体の中が空っぽの男は、本当にただの偶然なのだろうか。

「もし、あの魂が本当に封印されているのだとしたら……」私は誰もいない部屋で独りごちた。

この偽りの玉座の下から、世界を飲み込まんとする巨大な影が音もなく忍び寄っているのを感じる。そして、帝国一精明な秘書官である私もまた、この巨大なペテンの共犯者となってしまったようだ。

窓の外では、夕陽がヴェスタード帝国を血のような赤に染め上げていた。

そして私の王は今、寝床の中で、砕け散った前世の夢を見ている。

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