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勝手に書かれた恋文に、どうして私の名前まで!? 〜王宮図書館の記録官ですが、紙が恋を始めました〜  作者: ふみきり


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7/10

第7話 風の記録

 王宮の庭を抜けて温室へ向かう途中、風が少し強くなった。

 前回ここを訪れたときは曇っていたが、今日は空が高い。

 白薔薇の香りが空気にほどけて、薄く乾いた匂いになる。

 紙の匂いに似ている――湿度を含まない分、軽い。


 扉を押すと、硝子の向こうで光が砕けた。

 前より明るい。

 同じ場所なのに、記憶より広く見えるのは、たぶん心のせいだ。


 アーヴィンはすでに来ていた。

 窓際の花壇の前に立ち、資料の束を手にしている。

 淡い灰の上着。

 肩越しの光が輪郭を柔らかくしていた。


「来たか」

「はい。報告書の確認ですか」

「いや。今日は、記録官がいない」


 そう言って彼は振り返る。

 声が、少し違う。職務の響きが薄い。

 昨日の”私信”を、そのまま続けるような声だった。


「沈黙のあとを見ておきたかった。――本当に、何も書かれないのか」

「私も確かめたくて来ました」


 私は鞄から簡易記録紙を取り出した。

 昨日、メルクが持ってきたものと同じ型だ。

 触れると、冷たい。

 光にかざすと、波形は平らなまま。

 反応の気配はない。


「静かですね」

「静かなのが正常だ」

「そうですね。……でも、少し寂しい」


 その言葉が出た瞬間、空気が揺れた。

 風が温室の屋根を抜けて、花弁を舞い上げる。

 白い花びらが数枚、紙の上に落ちた。

 アーヴィンが手で払おうとして、途中で止める。

 風が、その手より早かった。


「寂しさは、記録には残らない」

「だからこそ、言葉にしておきたいんです」

「私信に?」

「……そうです。沈黙の続きを書く私信として」


 私は便箋を取り出した。

 風の中で書くには不向きな紙だが、構わない。

 指で押さえ、短く記す。




  沈黙を破る風は、音ではなく、息のように。

  ――レティシア




 アーヴィンはそれを受け取り、目を落とす。

 沈黙が長く続いた。

 やがて彼は、胸ポケットから金属のペンを出す。

 反射光が一瞬、薔薇の花びらに映った。




  風は、言葉よりも正直だ。

  だから、沈黙の証人にする。

  ――アーヴィン




 彼が書く文字は、いつもと違い、少し丸い。職務の記録では見たことのない筆跡。

 私は紙を折り、ポケットにしまった。

 それだけで、胸の奥に小さな熱が残る。


「これで、”再反応なし”の報告に付記が要りますね」

「何と?」

「”沈黙継続。ただし、風による変化あり”」


 彼は笑った。

 ほんのわずかに、息を混ぜた笑い方。

 それは初めて見る種類の笑いだった。


「記録官ギルバートが見たら、何と言うだろうな」

「”風は観測不能”とでも」

「君らしい回答だ」


 外で鐘が鳴った。

 時間の区切りを告げる音。


 私たちは同時に顔を上げた。

 硝子の天井を透かして、雲の切れ間から光が差し込む。

 花弁の白がいっせいに輝いた。


 アーヴィンが静かに言った。


「沈黙を信じるのは、勇気がいる」

「でも、沈黙のままでも、動くものはあります」

「たとえば?」

「……息。風。心拍。それから――」


 言いかけて、やめた。

 言葉にしてしまうと、印記になりそうだった。

 沈黙の方が、まだ安全だ。


 彼は私を見て、わずかにうなずいた。

 その動きに、了解と共感と、もう一つ、何か別のものが混ざっていたように感じた。


 それが何かを確かめる前に、風が強くなった。

 白薔薇の花弁がいくつも舞い、空を満たす。

 その中で、一枚が私の手元に落ちた。


 軽く、指先で挟む。

 そこに、薄い墨色の線が一瞬だけ走った。

 それは文字ではなかった。

 ただ、風の軌跡のような線。


「……今の、見えましたか」

「見えた。けれど、読めない」

「読めなくても、いいと思います」


 私は花弁を掌に包み、そっと息を吹きかけた。

 線が消える。白だけが残る。

 それで、ちょうどよかった。


「これも”記録”に入れますか」

「入れよう。”観測不能の現象、確認。安全性に問題なし”」

「了解しました」


 私たちは軽く笑い、温室を出た。

 外はすっかり晴れて、光がまぶしかった。

 足元に影が二つ、並んで伸びる。

 重なりかけて、また離れる。

 その距離が、今の関係にちょうどよかった。


 廊下を抜けると、メルクの声が背後から響いた。


「風の記録はどうだった?」

「静かでした」

「静かか。いい報告だ」


 老司書の声が遠ざかり、私は小さく笑った。

 静かであることが、ようやく怖くなくなっていた。


 ――沈黙は終わらない。

 けれど、その中にも、風がある。

次回は、第8話「沈黙の監査」です。

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