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勝手に書かれた恋文に、どうして私の名前まで!? 〜王宮図書館の記録官ですが、紙が恋を始めました〜  作者: ふみきり


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第6話 窓辺の線

 午後の光は、図書館の窓へ斜めに差していた。

 硝子越しの光がゆっくりと埃を照らし、紙の匂いにあたたかさを混ぜる。

 昨日までの雨の湿り気は抜けて、風が軽い。


 私は閲覧机の上を整えながら、手帳の余白を一度開いた。白い頁の隅に、小さく折った便箋を挟んである。



 

  明日の午後、図書館の窓辺で。報告の”あと”に、話を。




 たった一行の約束。けれど、文字があるだけで時間の形ができる。


 外の鐘が三度鳴ったとき、扉の音がした。

 アーヴィンはゆっくりと入ってきて、周囲を見回し、それから帽子を取った。

 いつもより少しだけ簡素な外套を着ている。官の服装なのに、色が柔らかい。

 メルクはその様子を遠くから見て、無言のまま退室した。

 老司書という生き物は、察しが良すぎる。


「報告書、拝見した」

「修正箇所は?」

「ない。完璧だ。……だが、”完璧”は紙の苦手な言葉なのだろう?」


 彼の微笑みは、昨日よりも穏やかだった。

 冗談のように言っておきながら、目の奥は冷静だ。

 私は手帳を閉じ、机の上の一角に向かい合う形で座った。


「沈黙の理由を、”私信化”と報告に記しました。異論は?」

「ない。むしろ妥当だ。上層も受け入れるだろう。……ただ、それを公文書にした時点で、”私信”ではなくなる」


 アーヴィンは淡く笑った。

 報告書の表紙に手を置き、軽く叩く。音は低く、乾いている。

 私は息を整えた。昨日と同じく、心拍の速度が少しだけ早い。


「では、私信を先に」


 便箋を取り出し、折り目を広げる。

 昨日の紙よりも少し厚手のもの。

 触れると、指の腹に細かい凹凸が感じられる。

 そこに短く書く。




  沈黙のあとの言葉は、慎重に選ぶ。

  けれど、選びすぎても、紙は冷える。

  ――レティシア




 彼はそれを受け取り、読んで、すぐに視線を上げた。


「君は”慎重”を口にする時、少しだけ筆圧が強くなる」

「……観察眼が過ぎます」

「職業病だ。職務で人を読む癖がある」


 そう言って、彼も便箋を取り、書く。

 筆の運びは早く、迷いがない。




  慎重な人は、失うよりも守る方を選ぶ。

  君の書く線は、守る線だ。

  ――アーヴィン




 私は一瞬、文字の形を眺めた。

 整っていて、少しだけ角がある。

 あの目のようだ、とふと思う。

 触れようとすれば、真っすぐに返ってくる。

 それでいて、拒まれた感覚はない。


「これで、”線引き”は完了ですか」

「いや。線は動くものだ」

「動く?」

「状況とともに、形が変わる。……だから線を引くのが好きなんだ。動かす自由がある」


 私は笑ってしまった。胸の奥の緊張が少し解けた。

 彼も微笑む。


 窓の外では、風が白いカーテンを揺らしていた。

 その揺れが音を立てないのは、きっと紙の静けさと同じ仕組みだと思う。

 言葉が多いと、風は聞こえない。


「――ところで」


 彼が机の上の花弁に触れた。

 昨日、封をしなかったあの白薔薇の花びらだ。

 まだ形を保っている。


「これを、どうする?」

「乾燥標本にします。記録とともに保存して」

「つまり、”私信”の証拠を残すわけだ」

「証拠というより、資料です」

「それでも、どちらかが見返せば、思い出になる」


 ――思い出。


 その語を、彼の声で聞くとは思っていなかった。

 私は返事を探して沈黙した。

 けれど、沈黙の中に、言葉よりも多い温もりがあった。


「メルク殿が見たら、どう言うだろうな」

「”詩人まがいの管理”とでも」

「違いない」


 私たちは少し笑った。

 笑いの音が、紙の匂いに溶けていく。


「次は?」

「次?」

「”手順”の話だ。君は昨日、”開始”と言った」

「あのときは……勢いで」

「勢いは、線を引くときに必要だ」


 アーヴィンの声がやわらかく落ちる。

 それは忠告ではなく、肯定に近かった。


 私は机の端に置いたインク壺を見た。

 光の角度で黒が青く見える。

 文字を綴るための、世界の小さな入口。


「次は、”報告のあと”と書きました」

「報告は終わった」

「……では、ここからです」


 便箋をもう一枚取り出した。

 そして、ほんの短い言葉だけを書き入れる。




  あなたの線が、動く先を見てみたい。




 アーヴィンは便箋を受け取り、しばらく見つめていた。

 風が窓を叩く。硝子の影が机に揺れ、光が線のように走った。

 やがて、彼はゆっくりと頷く。


「では、動かしてみよう。次は、外で」

「外?」

「温室だ。沈黙した場所を、もう一度見ておく。――”次”の線を引くには、現場がいる」


 その言葉に、心がわずかに揺れた。

 怖さと、期待と、少しの迷い。

 けれど、言葉は素直に出た。


「はい。……行きます」


 アーヴィンは立ち上がり、外套を羽織った。

 私は机の上の花弁を標本用の箱に入れ、軽く蓋をした。

 箱の中の白は、まだ光を吸っている。


 廊下を並んで歩くと、遠くでメルクの咳払いが聞こえた。

 まるで”見ているぞ”と言うように。

 私たちは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。


 ――沈黙の次は、風。

 紙はそれでも、言葉を待っている。

次は、第7話「風の記録」です。

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