第10話 終わらない記録
通達は、昼の鐘と同時に届いた。
王宮事務局印。
封を切ると、短い文が一行だけ記されている。
印記書の沈黙を確認。本件を閉鎖記録とする
それだけだった。
終わりという言葉はなかった。
けれど、文面には終息の静けさがあった。
私は紙を折り、机の端に置いた。
風がわずかに入り、書類の角をめくる。
隣の席で、メルクが眼鏡を外して目を細めた。
「終わり、か」
「形式上は」
「形式上、という言い方が、君らしい」
老司書は笑って、椅子を揺らした。
笑い声は低くて温かい。
それだけで、部屋の空気が少し明るくなる。
「摂政殿は?」
「宮務に戻られたと聞きました。でも、書簡が一通、届いています」
「ほう。私信か?」
「……そうです」
便箋は封をされていなかった。
開くと、短い行が並んでいる。
報告の余白は、まだ空いている。
風が動くたび、そこに線を引こう。
――アーヴィン
それだけ。
署名も印もない、ただの名前で結ばれた文。
私信として、完璧だった。
紙を見つめていると、外から白い光が差し込んだ。
冬の終わりの光。
淡く、けれど確かにあたたかい。
私は机の上の古い印記書を手に取った。
再装丁されたばかりで、表紙の革がまだ硬い。
ページをめくると、最初の一枚目――あの日と同じ位置に、淡い痕跡がうっすらと残っていた。
墨ではない。
風の跡のような、灰色の線。
指先で触れても、何も感じない。
けれど、そこにある。
メルクがそれを覗き込み、静かに息を吐いた。
「紙は、人より記憶力がいい」
「だから、記録官がいるんです」
「なるほどな」
老司書は笑って立ち上がった。
杖の音が遠ざかる。
部屋には私だけが残った。
私はペンを取り、報告書の末尾に小さな一文を加えた。
印記書、沈黙継続。
ただし、風による変化を観測。
――備考:記録官レティシア
書き終えたペン先を拭い、インクの匂いを胸の奥で吸い込む。
この匂いが、世界をつないでいる気がした。
窓を開けると、外の空気が入ってくる。
風が紙をめくり、花の香りを運んだ。
白薔薇の季節にはまだ早い。
けれど、どこかに予感のような匂いがした。
その風に向かって、私は小さくつぶやいた。
「沈黙が続く限り、書きます」
誰に向けた言葉かは分からない。
でも、言葉にしたことで、
沈黙がひとつ、柔らかくなった気がした。
風が頁を閉じた。
音はなかった。
けれど、確かにそこに、終わらない記録の気配があった。
――紙の上の沈黙は、ゆっくりと呼吸を続けている。
―― END ――
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
言葉と沈黙のあいだにある”余白”の物語を描きたくて、この短編を書きました。
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