優しい呪いをありがとう〜とある令嬢の最後の時間〜
お立ち寄り頂きありがとうございます。
ハッピーエンドかどうか、最後の時間を見届けて頂けると幸いです。
視点から情報が偏りますので、状況を想像しながら読み進めて頂けると嬉しいです。
「もしもし、そこのお嬢さん。あんたに呪いがかかっているよ」
「へっ?」
間抜けな返事をした私は、その言葉に立ち止まる。振り向くとマントを羽織った老婆がいた。
ここは町の大通りなのに、今は私とその方だけ。めずらしく他に人がいなかった。
背中が曲がり、小柄な身体を杖で支える老婆の姿を見て、違和感を感じたのはなぜだろう?シワシワの顔に穏やかな笑みを張り付けたその人は、どこか作り物めいた感じがした。
一方、通り沿いの店の窓に映る私は何処にでもいる容姿の、くたびれた娘。見るからにお金は持っていないから、この老婆は強盗目的ではないはず。
ならば変な勧誘かな?通常なら早々に立ち去るところ、今は警戒ではなく興味が勝った。
「どんな呪いでしょうか?」
私は老婆に向き直る。
「死を迎える呪いだ。だんだんと眠りが深くなって最後は目覚めなくなる」
「……そうですか」
『死』と聞いてショックだったが、少し意外に思った。呪いという言葉から、苦しんで死ぬ想像をしたからだ。そしてそれを望んでいる人達を知っているから。
「これを飲むといい。呪いが解ける」
老婆から手のひらに収まる大きさの、ガラスの小瓶を渡される。小瓶に入った少量の液体が、ガラスごしにキラキラと輝く。
「ご親切にありがとうございます。何かお礼をしたいのですが、あいにく私には差し上げられるものがありません。だからこちらも頂けません」
私は手のひらを出して、小瓶を老婆に返そうとした。老婆が驚いたようにこちらを見る。
「呪いが解けるのに、いらないのかい?」
「いらないわけではないのですが、代わりに差し上げられるものがないから」
「変わったお嬢さんだ。みんな自分の命大事さに薬を欲しがるのに」
「……身の丈以上のものを欲するわけにはいきませんので」
小瓶が私の手のひらから離れる。
「本当にいいのかい?」
「はい、呪いのことを教えて頂いただけでも助かりました。ありがとうございました」
私は深々とお礼をして、老婆と別れた。
宿屋に戻り急いで荷物をまとめる。予定を早めてチェックアウト、旅路を急ぐことにした。
ウェールズ地方に向かう荷馬車を見つけ、頼み込んで同乗させてもらう。ガタゴトと荷馬車に揺られながらひと心地ついて、先程の老婆の言葉を思い出した。
『死を迎える呪い』
呪いをかけたのはあの人だろう。
家から追い出すだけでは気が済まなかったのだ。あの人とあの人の娘には、私の存在そのものが気に入らないのだから。
私は目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは蛇の様に睨む目。私を睨め付ける憎悪の瞳。追い出される時に言っていたことは本当だったのだろう。「惨めに死ねばいい」と罵る声が今も聞こえてくるかの様だ。
もう慣れてしまったとはいえ、何も思わないわけではない。だが未練もない。
そして、もう疲れた。
荷馬車がウェールズ地方に入り、私はある村で馬車をおりる。見渡す限りの畑が広がる長閑な風景に、落ち込んでいた気持ちが軽くなる。緑の中に点在する建物を目で追うと、丘の上に教会を見つけた。走り出そうとする心を抑えながら、足を進める。
「……ここだ!あの、ごめんください」
教会の門を潜って声をかけると、老神父様がお見えになった。穏やかで優しそうな方だ。
私は意を決して頼む。
「突然申し訳ありません。しばらくこちらに置いてもらえないでしょうか?」
✳︎✳︎
「じいちゃん、ただいまー。
今日は遅くなった……って、あんた誰?」
俺がいつも通り帰宅すると、キッチンに見慣れない女の子がいた。この辺りにはいない金色の髪をしていて、病弱そうな白い肌をしていた。俺を見たその人は、すぐに頭を下げた。
「しばらく御厄介になります。よろしくお願いします」
アイリスと名乗った女の子は、俺と変わらない歳くらいだろうか?大人しそうでおっとりした雰囲気だが、テキパキと夕食の支度をしている。
俺はこっそり祖父に話しかける。
「おい、じいちゃんどういうこと?
また『訳ありさん』を拾ったのか?」
「彼女が教会に来てな。しばらく置いてほしいというから」
「完全に訳ありじゃねーか!」
田舎の小さな教会の神父である祖父は大らかな人で、このように訳ありの人も簡単に受け入れてしまう。以前は元盗賊とか、駆け落ちしてきた男女とかを受け入れて散々な目に遭ったのだが、それでも懲りてないらしい。
「アイリスさん、これは儂の孫でナットだ。
これでも腕の良い職人だから頼りになるぞ」
「孫と言っても血の繋がりはねーけどな」
俺は赤ん坊の頃に教会の敷地に捨てられていたらしい。その頃の教会には孤児院が併設されていて、俺はそこで育てられた。孤児達は皆独り立ちしていき、孤児院の最後の1人である俺も、昨年見習いを卒業し職人として働いている。
「孤児院の話、ぜひ聞きたいです!」
アイリスさんが明るい茶色の瞳を輝かせて言う。
既に閉めた孤児院の話を聞きたいなんて、なんか変わった人だ。取り入ろうという魂胆なのかと疑ったが、彼女の様子を見ると本当に興味があるらしい。
その日は食卓を囲みながら、久しぶりに和気藹々とした。いつもは男2人で黙々と飯を食べるだけだったからな。
じいちゃんは思い出話ができて楽しそうだった。
アイリスさんは悪い人ではなさそうだ。聞き上手な上に弁えているというか、気遣いができる人だった。
話を聞き終えたアイリスさんは、孤児院として使われていた部屋で寝たいと言う。確かにベッドや家具はそのままにしてあるが、さすがに掃除をしないと無理だろう。俺がそう言うと、彼女はとりあえず孤児院の部屋を見せてほしいと言った。閉め切って埃っぽい部屋にも関わらず、彼女は目を輝かせる。
「このくらいなら平気です!ここをお借りしても良いですか⁈」
えっ⁈
何年も掃除してないし、薄暗い部屋だし、子供用のベッドだし、それでも平気なの?
何?
今までは物置きみたいな所で床に藁を敷いて寝ていたから大丈夫だって⁈
こんな女の子が⁇
彼女は穏やかに笑っていた。
古びてくたびれた服に荒れた手だが、粗野な感じではない。話し方や仕草から良いところのお嬢さんかと思ったら、意外と苦労人なのか⁇
しかも小さくて折れそうなくらい細い身体だから、なんだか心配になった。
それからアイリスさんは、孤児院の部屋で寝泊まりする様になった。
彼女は良く働き、教会の手伝いや家事を終わらせた後に孤児院の部屋を掃除する。おっとりした雰囲気だが、とても手際が良く仕事が早い。家がどんどん綺麗に整えられて、しかも料理が美味かった。
俺は楽しそうに過ごすアイリスさんを見てホッとする。ここに来る訳ありさんは不安な顔をしている人ばかりだったけど、楽しそうな顔をして過ごす訳ありさんは初めてだ。
アイリスさんは明るいし、教会に来る人にも気さくに挨拶してくれる。長い前髪で顔を隠している様だが、小さな顔に大きな目で、たぶんかわいい。噂を聞いた村の人が見に来る程だ。
彼女が来てからじいちゃんも楽しそうだし、なんだか家の中が明るくなったような気がするな。
✳︎✳︎
神父様とナットさんは、事情を聞かずに私をここ置いて下さった。せめてものお礼として、私は家事を手伝わせてもらう。一般家庭の料理はわからないから、使用人の賄いで出されたものを思い出して作ってみている。
ナットさんは背も高く逞しい身体なので、いつもたくさん食べてくれる。短い茶色の髪に日焼けした肌は健康的で、にかっと笑うと白い歯が見えるのが印象的だ。
田舎では他所者は目立つし、私は興味を持たれているようだ。村人に色々話しかけられて困っている私を、ナットさんは度々助けてくれる。神父様の言っていた通り、とても頼りになる親切な人だ。
孤児院のことは母から聞いていた通りだったので、私はそれを実際に目にする事ができて嬉しかった。私は母から聞いた話を思い出しながら、孤児院の部屋を掃除したり備品を磨いたりしている。そうすると楽しくてあっという間に日が暮れてしまう。
こちらに来てから数週間が経った。
こんなにも心穏やかな日々が過ごせるなんて、夢みたいだった。悪意を向けられることもなく、意に沿わぬことをさせられることもない。それだけで、こんなにも気持ちが軽いなんて。
でも夢はいつか醒めるもの。
段々と朝起きられなくなってきた。
呪いのせいだろう。
今まではどんなに疲れていても遅くまで仕事をしても、日の出前に起きなければならなかった。長年染みついたそれができなくなってきたことに、呪いの効果を感じる。
老婆の言葉通りなら、死が近づいてきている。
でもそれだけだ。
あの家では眠れなくて悪い夢ばかり見ていたけれど、今は眠りが深くなって夢をみない。
苦痛に苛まれることがないなんて、なんて優しい呪いだろう。
私は神父様達と朝食は別にして頂き、起床した時間を控えるようにした。入眠時間は大概一緒だから、睡眠時間の推移を確認できる。これで呪いの進行を予想できるかもしれない。
私は身寄りがないので、自分の始末は自分でつけなければならないのだから。
そして、夢から覚めれば現実に戻されるだけ。
「アイリス!探したよ」
彼が教会を訪れたのは、私があの家を出てから1か月経った頃だった。
「アイリス、僕と一緒に帰ろう!ラビナも反省している。君への待遇も見直すから」
両手を広げて近づいて来るのは、姉の夫だ。金髪の優男で、一見すると身なりの良い好青年に見える。
ハグなんかされたら堪らないので、私は素早く距離を取る。
「お義兄様、私は使用人をクビにされた身です。申し訳ありませんがどうぞお引き取り下さい」
「君はあの家の娘だろう?クビだなんて、何か勘違いしているんじゃないか?」
「お義兄様こそ、何か勘違いされているのではないですか?奥様とラビナお嬢様は、私に二度と戻って来るなと言われました」
「奥様って君の母だろう?ラビナだって君の姉に当たる。そんな他人行儀にならずにさ、2人も反省しているから」
「ご本人からそう呼ぶ様に厳命されていることは貴方もご存知のはず。それに今から戻っても私はお役に立てません」
使用人扱いの私は呼び方も厳しく命じられていて、正しくないのは分かっていても言われた通りに呼称する。「奥様」「お嬢様」「お義兄様」だなんて、あの人達と私の歪な関係を表しているようだ。
「そんなことはない。君がいなければ我が家はおしまいだ。取引先も手を引いてしまって困ってるんだ。お願いだから戻って来てくれ!」
距離を取っていたのに、義兄に腕を掴まれてしまう。途端に嫌悪感が増す。
「お嬢様から聞いていないのですか?私には呪いがかかっており、あの家に戻る頃には命が尽きているでしょう」
『呪い』という言葉に反応して、義兄が手を離した。私はまた距離を取る。
「呪い?どういうことだ⁈」
「死にゆく呪いです。奥様よりかけられました」
「まさか!いくら妾の子が憎いからって呪いなんて……」
口ではそうは言っても、義兄は何か思い当たるような顔をした。
「お義兄様が私に手を出そうとしたのを、奥様とお嬢様が知ったからです」
彼はあの騒ぎの後、仕事を理由に家を空けるようになった。妻と姑に知られたから逃げたのだろう。
「でもラビナには分かってもらえるはずだ!君を家に留めることを」
姉が分かるはずもないのに、よく言う。
義兄が私にベタベタと触れる度に、彼のいないところで姉は私を散々罵倒していたというのに。
しかしそれ以上に分かるはずもないのが、継母だ。
「主人が使用人に手を出すなんて、奥様には耐えられなかったのでしょう。まして愛娘の夫が義妹を孕まそうとするなんて」
彼が理不尽に迫ってきた時は怖かったが、その後にあの2人から向けられた憎悪の方が何倍も怖かった。人から見えないところを狙って散々痛めつけられて、その場で死ぬかと思った。
「そんな……僕は家のためを思って……これからどうしたら……」
狼狽する彼を見て思った。彼も巻き込まれた人なのかもしれない。だけどあの家の婚約者となって何年も経っており家族同然の付き合いも長かったから、気付く機会はいくらでもあったはず。
しかも彼が婚約し直した時は、姉に対して嬉々として愛を誓っていた。また婿入りした時には、これで事業を自分の好きに進められると喜んでいた。
家がおしまいだなんて、見当違いの采配を振るい、見栄を張って散財してきた結果なのに。
もう私にはどうにもできないし、するつもりもない。
「どうぞお帰り下さい。私はまもなく死にますから」
私が夕食の片付けをしていると、ナットさんが気まずそうに話しかけてきた。
「アイリスさん、良かったのか?家に帰らなくて……。あんた、貴族なんだろ?」
その言葉で大方を察した。私はナットさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「義兄が私の事を探して、そちらに行ったのですね?」
義兄は村で私のことを聞き回ったのだろう。その結果ナットさんの仕事場にも行った。義兄はプライドの高い人だから、平民である村人にどのような態度で接したか想像がつく。
「まあな……あれは兄貴なのか?自分の事を婚約者だとか言ってたけど」
ナットさんは心配して、私と義兄の様子を見ていたのかもしれない。なぜか義兄は私には距離が近いので、他人に誤解されることも多かった。
彼が私のことを婚約者だと偽ったのは、私を連れ帰りやすいように村人の同情を引こうと考えたのだろうか?
「元婚約者ですが、今は姉の夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
そう言うとナットさんはホッとしたような顔をした。婚約者から逃げてきた娘を匿うようなことをしたら外聞が悪いのだろう。誤解が解けたなら良かった。
「迷惑だなんて思ってないぞ。アイリスさんは家や教会の手伝いしてくれて助かるし」
「そう言って下さりありがとうございます。ずいぶんお世話になりましたので、私は近日中にこの村を出ようと思います」
「もしかして、帰るのか?」
「いいえ、ただこれ以上ご厄介になるわけには……」
「あのさ、良かったら事情を話してみないか?俺でもなんか力になれるかもしれないし」
ナットさんは真剣な顔だった。彼の黒い瞳を見て、私は少し迷う。ナットさんが心配してくれる気持ちは素直に嬉しいが、あまり楽しい話ではないし……。
ただ、迷惑をかけたまま此処を去るのも気が引けた。なによりこちらではお世話になった。
「ではお言葉に甘えて、少し話を聞いて頂けますか?」
✳︎✳︎
良くある話です。
私の生まれた家は王都にある某男爵家でした。領地を持たない成り上がりの貴族ですが、複数の事業を営んでいて割と裕福な家でした。
そこの当主が使用人に手を出して生まれたのが私です。本妻は侍女である母を許さず、私が3歳の時に母は衰弱して死にました。
男爵家の子供が本妻の産んだ娘1人しかいないことから、母が亡くなった後に私は認知されその家の次女として教育されました。
祖父母にあたる前当主夫妻が私の面倒を見て下さり、7歳で婚約者も決められました。それが今日来た男性です。前当主は私に婿を取らせて家を継がせるつもりのようでした。
しかし祖父母が相次いで亡くなり、家の様子が変わります。成長するにつれ亡き母に似てくる私を継母は疎み、私は学校に行くことも許されず使用人として家政に従事しました。
父は事業には向かない人でしたが貴族としてのプライドは高く、立場の弱い使用人に手を出して自分を慰めるような人でした。父は継母の言うがまま、祖父母の遺言を破棄して私の婚約を解消し、元婚約者を、継母の実の娘である姉と婚約させました。
そんな父も数年前に他界し、姉と婚約者が結婚して家を継ぎました。継母は私を何処か遠くにやりたい様で、私を高く買ってくれる嫁ぎ先を探していました。
一方、姉と義兄は私を家に留めておきたいようでした。姉は私を嬲ることが好きでしたし、義兄には無償で働く使用人が必要でした。
私は祖父母の教育により家業の手伝いをしておりましたから、義兄にとって私は使い勝手の良い使用人でした。そのためなのか、義兄は私に自分との子供を産み、ずっと家にいれば良いと言いました。
私は義兄に抵抗しました。義兄のことは何とも思っておりませんでしたし、使用人として今以上の負担に耐えられそうにありませんでした。
騒いだことにより私の貞操は無事でしたが、継母と姉の耳に入り、私はより一層憎まれることになりました。その果てに継母が私に呪いをかけ、姉により家を追われました。
私は家を出て良かったと思っています。
もし義兄との子供ができれば、その子は私よりも酷い目に遭うでしょう。
亡き母は、望んで父と子を成したわけではありませんでした。だから私が母と同じ目に遭った末に子供ができればどうなるか、容易に想像できます。
それに、私はずっとこの孤児院に来てみたかったのです。私を産んだ母は、この孤児院の出身です。
幼い私は、母から孤児院の話を聞くことが大好きでした。その時だけは、母が自然に笑った顔を見られるから。
呪いは死を迎えるものだそうです。だんだんと眠りが深くなって目覚めなくなるとか。
はい、朝食を別にして頂いたのは眠りが深くなって起きられなくなったからです。
いいえ、私は夕食をご一緒できるだけで十分楽しいです。どうか私のことはお気になさらず。
神父様にもご心配をおかけしますし、近日中にこちらを出ようと思います。
行く当てというか、行ってみたいところがあります。行き先は内緒です。
呪いを解くことは考えませんでした。
たとえ寿命よりも早く死が来ようとも、私は残された時間を自由に使いたかったのです。
こちらで過ごせたことは最後に良い思い出になりました。本当にありがとうございました。
✳︎✳︎
ナットさんは私の話を聞いて、呪いを解く方法を見つけようと言ってくれた。私は固辞したが、彼は仕事の合間を見つけて探してくれているようだった。
きっと話を聞いてしまったから放っておけないのだろう。巻き込んでしまい、とても申し訳ない気持ちになった。
数日後、私は教会を出た。
自分が動けるうちに移動しておきたかったし、優しい神父様とナットさんにこれ以上迷惑をかけたくなかった。
2人には手紙を残してきた。
今までの感謝と、黙って出て行く不義理を詫びた。
最後の行き先は、かつて母が行ったという森の中の洞窟だ。この森は孤児達の遊び場で、洞窟は秘密の隠れ家だったそうだ。母は孤児院で共に過ごした人を好きになって、死ぬまでずっとその人を想っていた。
母の話から数十年経っていたが、洞窟は今もあった。
私は敷物を敷いて、そっと横になる。ごつごつした岩の感触が敷物から伝わり寝心地は良くなかったが、一度眠りに入れば起きないから問題ない。
ここは静かで、緑と土の匂いがする。
森の奥だし、知る人ぞ知る場所なのだろう。
眠っているうちに動物に食い殺されるかもしれないな。それでもいい。どうせ死ぬなら、自分の身体が自然に還れるようにしたいと思っていた。
「こんばんは、私の事を覚えているかい?」
急に声をかけられて目を開けると、傍らにマントを羽織った老婆がいた。月が明るいので、こちらを覗き込む顔が見える。
不思議と驚かなかった。もう気力がなかったのかもしれない。
「以前町で会ったお婆さんですね。私に呪いのことを教えて下さった」
私は横になったまま老婆に顔だけを向ける。起き上がる力はもう残っていなかった。
「そうだよ。身体はどうだい?」
「おそらく今日か明日が最後の夜になりそうです」
「……わかるのかい?」
「毎日睡眠時間を測っていましたから。それに貴方が此処に来たから」
私が微笑むと、老婆が僅かに目を見開いた。
「……ただの可愛らしいお嬢さんかと思いきや、どうも違う様だね」
「……私はただの小娘ですよ」
「ならば賢い子だね。呪いを解きたくないのかい?」
「はい、こうして見届けて下さる人も来てくれましたし。私が確実に死んだか、確認するのですね?」
「まあ依頼だからね。私が呪いをかけたと、どうして分かったんだい?」
「あの人にそんなことをできる技術はありませんでしたし、『町で偶然会った親切なお婆さん』にしては不自然でしたから」
「……家に監禁されていたわりには、他人を見る目があるようだね」
「祖父母に鍛えられましたから。私が教育を受けていた頃は、それなりに人と会っていました。あの家は商売で成り立っていますので人を見る目が必要なのです」
「それは幼い頃だけだろう。ああ、だから君が後継者に指名されたのかい?」
「……色々と事情を知っているようですね。
祖父母が私のことをどう考えていたかは分かりません。ただ教養を与えてくれたことだけは感謝しています」
「だから理不尽な扱いにも耐えていたのかい?家を潰したくなかった?」
「教育して頂いた分を返しただけですよ。家業について、私の力だけではどうにもならないことくらい分かっておりました」
「君が本気になれば、違う結末になっていたんじゃないかい?例えば家の外の人に助けを求めるとか」
「そうしようと考えて、結局失敗しました。それ以降、継母は私が逃げないように使用人に見張らせました。姉によって私はあの家ではいないも同然の扱いでしたし、義兄によって外部の人と接触する機会は絶たれていましたから。それに……もう抗うことに疲れ果ててしまいました」
「それが人の悪意の怖いところだ。刷り込むように意識を上書きしていく。長く理不尽な扱いをされることにより、抵抗する気力を奪ってしまう」
「そうかもしれません。家を離れてから、私は息がしやすいですから」
「でも生きる気力は取り戻せなかったのかい?」
「取り戻すためにここに来たわけではありませんから。ただ私の寿命と家の没落のどちらが早いか、見届けられたらいいなとは思ってました」
「君は抗わないことを選ぶことにより、君の家族に復讐したんだね」
「家族だなんて……私の家族は亡き母だけです。母を見殺しにしたあの人達を同じ目に遭わせてやりたいと、ずっと思っていました」
「だから時間をかけて没落する方を選んだのかい?」
「一思いに潰せるならそれに越した事はありませんが、私にはそんな力はありませんでした。
だからお世話になった使用人を全て家から逃して、家政を私無しでは回らない様にしただけです」
「そんな状態のまま、家の事を引き継ぐ間もなく君は追い出されたわけだ。家の財産を食い潰すだけの主人一家は優秀な使用人を雇おうにも金はなく、信用を失い取引先からは切られてあとは堕ちていくだけ。わざわざこんな田舎まで君を探しに来たくらいだから、家はもうダメかもね」
「金貸しからの厳しい取り立てに頭を悩ませていたことでしょう。爵位を売っても、返済額には足りないでしょうから」
「君がいなくなれば家が潰れるんだね。どう?満足したかい?」
「ええ、満足しました。あの家の事は予想通りでしたが、ここでの暮らしは想像以上に楽しかったです」
「聞いてもいいかい?
『身の丈以上のものを欲するわけにはいきませんので』ってどういうつもりで言ったの?自分の不幸な身の上のこと?」
「不幸?私が⁇ふふふ……面白いことを言いますね。いえ、貴方から見れば私は不幸なんでしょう。
しかし私はあの家から出たことがなく、限られた世界しか知りません。与えられた世界で私は使われる側でしたから、それが当たり前で不幸とは思いませんでした」
「じゃあ『身の丈以上のもの』は何?」
「私は何もしないことを選んだのです。呪いを解くための薬は、生きる努力をする人が手にするに値するものと考えます」
「君は自暴自棄でそれを選んだわけではないだろう?『敢えて何もしないこと』を選ぶと確実に目的が達成できるように、何年もかけて周到に準備したね。屋台骨を少しずつ抜いて、確実に家が潰れるように。最後の一押しは君があの家から追い出されること、そうすれば君の願いは叶う」
「私も呪いをかけたかったのかもしれません。あの家を必ず潰す呪いを。だって弱い者には選択肢すらありませんから」
「君は死ぬ事がこわくないの?」
「死はこわいですよ。それ以上に生きる辛さが勝っているので死は安らぎでもあります。眠りながら逝けるなんて、優しい呪いですね」
「呪いに対して『優しい』とか、初めて聞いたよ。
最後に、君が嘘をついたのはどうして?
君が何もしないことを選んだのならば、義兄に抵抗する必要はなかっただろうに。あの鬼嫁なら、不貞が分かれば子供ができる前に君を追い出すことくらい分かっていただろう?」
「バレましたか。私は彼に身体を触られるのが嫌だったので、我慢できる自信がなかったのです」
「ふーん、そういうもの?」
「家を継ぐとか職業的に必要なら、私も我慢できるかもしれません。まあ私にはそういう経験がないので、いつか機会があれば、私も好きな人を見つけて色々と頑張ってみたいです」
「人並みの幸せに挑戦したいってこと?可愛いところもあるんだね」
「ふふふ……私はまだ未成年ですから。
この人生も悪くなかったです。死ぬ前に貴方のような方にお会いできたので」
「へえ、私の正体に気付いたの?
いや、気付いたのは私が……ではないってことかな?」
「ふふふ、かまをかけてみるものですね。少なくとも老婆ではないでしょう?話し方もだんだん変わってきましたし、所々に違和感を感じたというか……。
ちなみに人を苦しめる呪いにするなら、苦痛がおすすめですよ」
「そうなの?今回は絶望系だったんだけど、まだまだ研究の余地があるね」
「はい」
「ふむ……では嘘をついた君に、私から一つ魔法をかけておこう」
「どんな魔法ですか?」
「君が次に目が覚めた時、初めに目にした者のために生きるって魔法」
「なんだかヒヨコみたいですね。面白いかもしれません」
「意外と余裕な発言だね」
「私が動物として目覚めれば、本能でそうなるのでしょう。もし人間として目覚めるならば、最初に見る人は『善良な人』か『極悪な人』を希望したいです」
「両極端だね。素が出てきたのかな?」
「今までは善良でもなく極悪でもない人達といたので、できればそれ以外を希望します」
「希望まではきけないが、幸運を祈っているよ」
「ふふふ……最期にお話できて楽しかったです。
優しい呪いと、面白い魔法をありがとうございました。願わくば、次は努力が報われる、優しい世界に生まれますように」
✳︎✳︎
「主様、変身を解いちゃったんですかぁ?まぁ最後は素で話してましたから、姿と言葉遣いが合っていませんでしたねぇ」
「気付いたら普段の自分で話してたよ。あの人間は初めて会った時から気になってたんだよね。薬を返してきたからかな?」
「あんな怪しげな状況で薬受け取る方もどうかと思いますけどぉ、切羽詰まった人間は飛びつきますからねぇ」
「くくく……『優しい呪い』だってさ。じわじわと苦しめる呪いって依頼されたのに。あーあ、今回は失敗か」
「人間は死が近くなると絶望するって聞いたんですけどねぇ。今まで呪いをかけた人間は悪夢をみたり、眠りたくないとか言って日に日に狂っていきましたけどねぇ」
「あの人間は最後まで笑ってたな。もう少し観察したい」
「だから薬を飲ませなかったんですかぁ?薬がないと呪いが解けちゃいますよぅ」
「死にたい人間にとってギリギリで死ねないのもまた、絶望かと思ってさ。死にたくない人間には薬を飲ませて確実に死ぬようにするけどさー」
「それでぇ、あの神父の孫とやらをあの人間のところに向かわせたのは何でですぅ?」
「『魔法』が効くかどうか試したい」
「魔法も何も、ただの言葉でしょ?効果なんてあるんですかぁ?」
「人間は自分の聞きたい言葉だけを信じるんだ。あの人間はどうかな?」
「それでぇ、あの母娘を平民の奴隷に落としたのは何でですぅ?」
「自分達がやってきたことと同じ目に遭った時の反応がみたいからさ。ただ私が仕向けたわけじゃない。借金のかたに身売りするのは人間達のルールの中でなされていることだよ」
「だから村に迎えにきたあの男も、一生こき使われるように仕向けたんですかぁ?」
「それはあの人間を観察する時に邪魔されたくないからさ。プライドが高い上に無能だと使い道がなくて困るよね。呪いの被験体にはなりそうだけど」
「主様は……つまりあの人間を気に入っちゃったんですねぇ。手元に置けばいいじゃないですかぁ?」
「私は人間全般に興味があるんだよ。人間を苦しめる呪いについて研究するためにもね」
「まぁ私達は人間よりも長生きですからねぇ」
「暇を持て余すけれども人間を観察してると退屈しないだろう?まずはあの人間が目覚めて、これからどうするか見ておくとしよう」
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
初めての短編で読みにくいところもあったかと思いますが、お付き合い頂き嬉しいです。
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楽しいなろうライフをお過ごし下さい。