捨てられた自分と悪魔と天使
ハルト、23歳。穏やかな陽光が降り注ぐ村で、彼は愛する婚約者、深月清佳とつつましくも幸せなスローライフを送っていた。清佳が作る温かい手料理に舌鼓を打ち、他愛もない話に花を咲かせる日々。この温もりが、永遠に続くものだと信じて疑わなかった。彼の心は、清佳という存在で満たされ、何一つ不満のない、満たされた毎日だった。
しかし、その平穏は、ある日突然、無情にも打ち砕かれる。
「……ハルトと付き合っていたのは、お金のためよ」
清佳から放たれた信じがたい言葉に、ハルトの脳裏を激しい衝撃が走る。心臓を直接掴まれたかのような痛みに、息が詰まった。これまでの甘い思い出が、音を立てて崩れ去っていく。信じていた愛が、すべて偽りだったのか。
「なんで……!?」
ハルトの声は震え、怒りと絶望が入り混じった感情が全身を支配する。清佳との間に激しい口論が勃発した。彼女の言葉の一つ一つが、ハルトの心を深く抉り、癒えることのない傷跡を残していく。言い争いの末、もうこれ以上は耐えられないと、ハルトは衝動的に村を飛び出した。
荒れ狂う心で、あてもなく道を歩くハルト。感情の嵐に飲まれ、周囲の景色も、迫りくる危険も、彼の目には映らなかった。その時、けたたましいスキール音と共に、一台のトラックがハルトの視界を覆い尽くす。鈍い衝撃。体が宙に浮き、そして、地面に叩きつけられる。意識が遠のく中、ハルトの脳裏に最後に浮かんだのは、裏切りの言葉を口にした清佳の、悲しみに歪んだ顔だった。
うっすらと目を開ける。視界いっぱいに広がっていたのは、見慣れない白い天井だった。薬品の匂いが鼻腔をくすぐり、微かに聞こえる医療機器の電子音。体は重く、しかし、全身を覆っていた激痛は嘘のように消え失せていた。ゆっくりと首を巡らせると、腕に繋がれた点滴と、病室であることがわかる簡素な内装が目に入る。
「生きて……いるのか?」
かすれた声が喉から漏れた。トラックに轢かれたはずだ。あの衝撃、あの痛みは、夢ではなかったはずなのに。混乱の中、ふと目に入った壁掛けのカレンダーが、ハルトの思考を凍り付かせた。
そこに記されていた日付は、ハルトが命を落としたあの日から、正確に5年前の日付だったのだ。
理解が追いつかない。なぜ、自分が5年前の世界にいるのか。夢か?幻覚か?しかし、自分の手のひらや、脈打つ心臓の確かな感触が、これが現実であることを告げていた。戸惑いながらも、ハルトは漠然と悟った。自分は、転生したのだろうか。
病院を抜け出し、見慣れたはずの村へと足を踏み入れる。しかし、村の景色は、どこか違っていた。変わらないはずの道、変わらないはずの家々。それでも、僅かながら感じる違和感が、この世界が本当に「違う」ことを訴えかけてくる。
そして何より、ハルトの心を占めていたのは、清佳の姿が見当たらないという事実だった。前世で清佳と出会った場所、思い出の場所を巡っても、彼女の面影は見当たらない。不安と焦燥が募る中、ハルトはふと、道の向こうに銀色の髪が揺れるのを見た。
(あれは……)
吸い寄せられるように視線を向けると、そこにいたのは、紛れもなく見覚えのある銀色の髪を持つ少女だった。しかし、その少女は、ハルトの知る深月清佳とは、似ても似つかない。幼い姿で、見るからに不機嫌そうな表情を浮かべている。ハルトが思わず見つめていると、少女は鋭い視線をハルトに向け、ツンとそっぽを向いた。
「何よ、あんた。私の顔をジロジロ見て」
幼い声とは裏腹に、刺々しい言葉が飛んでくる。その言葉に、ハルトの脳裏に電流が走った。この、自分を睨みつけ、そしてすぐに興味なさげに顔を背ける、このツンデレなロリっ子こそが、前世の婚約者、深月清佳なのだと。
裏切りと絶望の果てに一度は失われたハルトの人生は、ツンデレロリな清佳との予期せぬ出会いから、波乱に満ちた新たなラブコメとして幕を開けるのだった。