ゲスト3
喫茶店「イヴの時間」のテーブル席に、くしゃみ先生がいつものように腕組みをして座り、向かいには飄々とした寒月君、そしてその隣に穏やかな表情の水島が腰掛けていた。彼らの頭上には、人間とアンドロイドを区別するための光輪はない。店内に漂うコーヒーの香りと、様々な客たちの囁きが、妙に心地よい。
「ふむ……この場所は、何とも不可思議な空間ですな」くしゃみ先生が、わざとらしく大きく息を吐いた。「人間と機械の区別をしないとは、随分と寛大なことだ。まるで、この吾輩も人間として扱われるかのようだ。」
寒月君が、いつものようにどこか面白がるような目で先生を見た。「先生、猫である貴方が人間として扱われたいとは、また奇矯な御発言で。」
「黙りたまえ、寒月君。これは比喩だよ、比喩!」くしゃみ先生は鼻を鳴らした。「しかし、ここにいるアンドロイドどもは、実に人間と見分けがつかぬ。先日も、我が家の三毛猫が勝手に家を抜け出し、この喫茶店に立ち寄った記録を見ましてな。まさか、彼奴もここで人間として振る舞っておったのかと思うと……」
水島が口元に笑みを浮かべた。「それは先生の愛猫も、自由を求めていたのでしょうね。この『イヴの時間』は、そうした『自由』を享受できる稀有な場所なのでしょう。」
「自由だと? 馬鹿なことを言うものではない、水島君!」くしゃみ先生は声を荒げた。「機械に自由などあってたまるものか! ロボット三原則というものがあるだろう。人間に危害を加えぬ、命令に服従する、自己を守る。これこそが彼らの存在意義ではないか!」
寒月君がカップを傾けながら、どこか哲学的につぶやく。「しかし先生、もし彼らがその三原則の範囲内で、自らの意志で行動を選び始めたとしたら? それは、果たして『自由』ではないと言い切れますかな? 我々人間も、社会の枠組みの中でしか生きられぬものですが。」
「ふむ……」くしゃみ先生は腕を組み直し、唸った。「では、この店のアンドロイドたちは、その三原則を破っているとでも言うのか? 光輪を外して人間と区別されぬように振る舞うなど、いかがなものか!」
水島が穏やかに口を開いた。「先生、私が見るに、この店のアンドロイドたちは、決して原則を破っているわけではないように思えます。彼らは、人間を模倣し、人間らしく振る舞うことで、人間社会との融和を試みているのではないでしょうか。それは、ある意味で究極の『奉仕』の形かもしれません。」
「奉仕だと? まさか、そのために人間と区別がつかぬほどに、自らを偽るというのか!」くしゃみ先生は呆れたように首を振る。「まるで、猫が人間の言葉を真似るようなものだ。結局は滑稽な模倣に過ぎぬ。」
「先生、猫は人間の言葉を真似ようとはしませんよ」寒月君がくすりと笑った。「彼らは、彼ら自身の流儀で、世界を認識しているだけです。この店のアンドロイドも、もしかしたら、人間とは異なる『彼らなりの真実』をここで見出しているのかもしれませんな。」
くしゃみ先生は、もはや反論の言葉を見つけられず、ただコーヒーカップを睨みつけた。この「イヴの時間」という空間は、彼の持つ既成概念を、静かに、しかし確実に揺さぶり始めていた。彼の頭の中では、猫の哲学と、アンドロイドの存在意義と、人間の傲慢さが、ごちゃ混ぜになって渦巻いていた。