第6話 鍛錬、そして上級冒険者
「あ〜あ、せっかくいい1日になりそうだったのに。」
食堂の一件の後、部屋に戻ったウィルは、次に何するかを考えていた。
普段ならこういう休みの日は鍛錬に身を投じるのだが、先ほどの件もあり、やる気が削がれてしまった。
ウィルはベッドに腰掛け、背負っていた黒い剣ではなく、荷物入れの中に深くしまっていた青銅色の剣を取り出すと鞘から抜き、じっとその刃を見つめた。
普段使いもしないのに不自然なまでに手入れが行き届いたその刃には、少年の幼い顔がぼんやりと映り込んでいる。
(……こんな腕前じゃな)
かつて「未熟者!」と師に言われた言葉が、頭の中でこだまする。確かに今の自分は、弓に頼り、この剣は「飾り」でしかない。
それでも先日までウィルは一人の冒険者としてしっかり戦えていた、という自負があった。
(あいつの言う通り、雑魚を弓で狩って、それでいい気になってるだけなのか?)
ベートの嘲るような物言いが頭の中でこだまする。それは、ウィル自身が一番に自分はまだ“未熟”であるという自覚を持っているからだ。
彼は青銅の剣を片付けると、立ち上がった。訓練のやる気は削がれたが、あんな男に馬鹿にされた程度でこのまま鬱屈して何もしないでいるのは、何よりもウィルのプライドが許さなかった。
ウィルは宿を出ると、再び朝も使った訓練場に赴いた。朝と違い、訓練場には人っこ1人居なかった。
(……こんなところで)
ウィルは剣を抜き放ち、再び素振りを始めた。朝の1000回では足りない。
理想とする姿は遠く、己の実力は決して“魔法使い”達には遠く及ばない。彼らの活躍を遠くから見てその想いは一層強くなった。
そうして剣を振り続けて一時間が過ぎた頃、ウィルは剣を振る手を止め、肩で大きく息を吐いた。
肩で息をする少年の呼吸は荒く、時折、喉の奥から微かな音が漏れる。
それでもウィルはすぐに剣を構え直そうとしたが、その剣先には先ほどまでの力が入っていなかった。
「まだだ…」
ウィルは胸の奥で燻る苛立ちを押し殺すように、もう一度、剣を振り上げた。
しかし、全身が鉛のように重くなり、呼吸が浅くなる。ウィルは剣を杖のように地面に突き立て、荒い息を整える。
「フゥー、フゥー、フゥー、クソッ……!」
誰に聞かせるでもなく、少年は悔しさを露わにした低い声で吐き捨てる。悔しさと、自身の体の限界に対する苛立ちが、少年の幼い顔に濃く浮かんだ。
しばらくして、呼吸が落ち着いてくると、ウィルはゆっくりと剣を鞘に収めた。これ以上は鍛錬にならない。外はすでに薄暗くなっていた。宿に戻るにはちょうどいい時間だろう。
ウィルが訓練場から出ようとした、その時だった。広々とした訓練場の奥から、小さな人影がこちらへ向かってくるのが見えた。
ティーゼルだった。ウィルと同年代の少女は両手に買い物かごを抱え、中には日用品や食材らしきものがいくつも入っている。
村の買い出しを終えて、そのままこちらに寄ったらしい。その顔には、わずかな疲労の色が浮かんでいた。
ウィルに気づくと、少女は一瞬、買い物かごを抱えたままピタリと動きを止めた。そして、どこか気遣わしげにウィルに語りかける。
「ウィル様、こちらでしたか。鍛錬をされていたのですね。お疲れ様です。」
少女の声は、静かな夜の闇に吸い込まれるように、控えめだった。だがウィルは不機嫌さを隠そうともせず、短く応じる。
「ああ。それで、何か用? こんな場所までわざわざ。」
少女に冷たく応じるのは、何か違うと思いつつも、疲労を感じながらそんな気遣いができるほどの人間性がウィルにはなかった。
「はい、明朝の出立の件で、お伝えしたいことがございまして、皆様にご連絡に参りました。ウィル様がこちらで鍛錬をされているとお伺いしましたので。」
ティーゼルは、ウィルの荒い息遣いと、普段よりもどこか沈んだ少年の表情に、小さく眉をひそめつつ、連絡を続ける。
「エドガー様のご意向で、明後日の出立は日の出の一時間後となります。よろしいでしょうか?」
彼女は余計な詮索はしなかったが、その声の端々には、ウィルを気遣う気立ての良さが滲んでいた。ウィルはそれを感じ取りながらも、ぶっきらぼうに答える。
「ああ。どうも。」
それだけ言って、ウィルはティーゼルの傍らを通り過ぎようとした。が、去り際にティーゼルから一言。
「ウィル様、よろしければこちらの薬湯を。疲労回復の効果があるかと。」
ティーゼルは、懐から小さな薬瓶をウィルに差し出した。その指先は、鍛錬で熱くなったウィルの肌とは対照的に、ひんやりと冷たかった。
ウィルは薬湯など必要ないと押し返そうと思ったが、少女に冷たく応じたことへの負い目からそのまま受け取ってしまった。
「……どうも。」
「いえ、お気になさらないでください。」
ウィルがどんな態度を取ろうと少女はにこやかに応じる。自分も買い出しやらの仕事で疲れているだろうに、大したものだ。
しかし、それを言葉にして褒められる程の気遣いが、やはりウィルにはなかった。言って良いのか分からなかったというのもある。
そうしてウィルは薬瓶をポケットにしまい、今度こそ宿へと足を向けた。
ティーゼルは、ウィルが去っていく背中を、静かに見送っていた。少年の姿が闇に消えても、少女はしばらくその場を動かなかった。
先ほどウィルの手に触れた感触と、僅かに感じ取った体温、そして耳に届いた少年の荒い呼吸音が、少女の心に小さな引っかかりを残していた。
しかし、少女はそれを口に出すことはせず、ただ静かに、少年を見守っていた。
結局飲んだ薬湯は、苦みの中に僅かに甘い味がした。
次の日、ウィルは朝から鍛錬をした後、部屋でくつろいでいた。
本当は訓練をしたいところなのだが、明日からまた護衛の依頼があるのだ。ここで身体を疲弊させて依頼達成に支障をきたすなど言語道断。
金を貰って受けた仕事は、必ず達成する。その意識がウィルには強くある。その意識の高さがウィルに“上級冒険者”の称号を与えた最後の決め手でもあるのだから。
しかし、そうは言っても開拓村は娯楽が少ない。もうオモチャで遊ぶ年は卒業したが、家の中で出来ることには限りがある。
装備の手入れを限界まで終わらせると、装備を身につけ何となくでこの街の冒険者ギルドに向かった。
「こないだのギルドとは随分と違うもんだなぁ。」
ウィルはギルドを見渡しながらそう溢す。
ウィル以外にも手入れの行き届いた装備を身につけ、きちんと依頼達成の算段をつけ、フォーメーションについて話し合う冒険者達の姿がそこにはあった。
まあ今日のウィルは依頼を受けるつもりはなく、物販のエリアに必要なものなど無いかを見にきただけだった。
特に大した知識がなくとも手当てに使えるポーションはウィルには欠かせない。関税に輸送費に材料費に、最高級のポーションは凄まじい金額がかかるのだが、ウィルは2本ほど購入した。
かなりの高級品なので、硬めに梱包されていたポーションを乱雑に荷物入れの中に突っ込む姿を見た受付には「金持ってるねぇ…」と驚かれたが。
ウィルがそろそろ帰ろうかと考えていた、そんな時だった。
「大変だぁあああ!誰か!誰か腕に自信のある奴は居ないかッ!」
ギルドに伝来が走りこんできた。
「オーガが出たんだ!!!」
オーガ、それは下級中級の冒険者にとって脅威の存在だ。
その身体能力は上級冒険者クラスであるとされ、安定した討伐には上級冒険者一人に援護射撃のできる者が必須と言われる。
個体差は当然あるが、下級中級の冒険者では足止めが難しく、仕留める前に蹂躙されるてしまうのだ。
当然、開拓村がそんな魔物1匹に蹂躙されるほど脆いわけではないが、全ての戦場に上級冒険者や魔法使いがいるわけではない。そんな強者の数は限られる。
そんな場所で、オーガに居合わせてしまった者たちは運が悪いとしか言えないだろう。
「場所は!」
その事をウィルはよく理解していた。
「き、君は…」
だから、誰よりも速く伝来の前に駆け出し、場所を尋ねた。