第26話 ある少女の○○
ティーゼルは避難範囲ギリギリで竜が出現したという現場を眺めていた。
その先は街の治安を守る衛士たちが現場を固め、“上級冒険者”ですら単独では通れない状態になっていた。
…飛び交う情報の中には、12歳程度の少年に助けられた子供がいる、というものもありティーゼルはそれがウィルだと確信していた。
今にも包囲を超えてウィルの方に駆け抜けて行きたいが、主人の“命令”と衛士を押し切って向かう勇気がディーゼルにはなかった。
だがしばらくして
「ウィシュタリア様だ!ウィシュタリア様が帰られたぞ!!」
誰もが一目でわかる土くれの移動魔法が人混みに向かって現れた。
「戻ってきたってことは竜は討伐されたのか?!」
「ウィシュタリア様〜サインくださいーーー!」
「なんか子供抱えてね?!」
「おい、あれ“問題児”のウィルじゃないか??」
「ほんとだ、大丈夫かよ?」
「あいつが竜を郊外まで引きつけて行ったんだぜ!オレ見てたもん!」
「怪我してんのかな?大丈夫かよ?」
一部ウィルの正体に気付いた者たちが湧き立つ中、ティーゼルは居ても立っても居られなかった。
先ほどまでの躊躇いはなんだったのか、人の間を風のようにすり抜けて、ウィルの方に向かう。
怪我をしているのかもしれない。魔法使いに無礼を働いたのかもしれない。何があろうとティーゼルが面倒を見てあげなければ!だって、ティーゼルはウィルに頼られる存在なのだから!
もう少しで土くれから降りたウィルたちに声をかけられる、ティーゼルがそんなところに来る直前、
「ウィル君?!大丈夫か??!」
赤い角の生えた大柄な冒険者が、ウィルに近付いて行った。彼は先日ウィルと決闘をしていた冒険者だ。調べたところ“雷豪”のガゼル、夫婦で上級冒険者をやっている優秀な冒険者のハズだ。
「あ…」
彼女たちが駆け寄り、心配したり騒いだりする中、ティーゼルは何かに阻まれるようにその動きを止めてしまった。
「心配するな“雷豪”殿。命に関わるような怪我はしていない。こちらウィル君と言ったな、失礼だが彼との関係は…?」
めくりあがった大地から降り、彼との続柄の説明を求めるのはこの都市最高の権力者であり、実力者でもある“城塞”のウィシュタリアだ。
「子供の友人なんだ!何か失礼なこと言ってませんでした?!だとしたらわたしが謝りますからどうか許してやってください!一見悪い奴だが、悪い奴じゃないんだ!!多分!」
「ガゼル、フォローになってないわ。高名なウィシュタリア様に抱えてもらうなど光栄でしょう。ですが、これ以上手元を煩わせるわけには行きません。わたしたちの方で面倒を見ても?」
そう言って“雷豪”のフォローをするのは“魔弾”のカーネルだろう。二児の母だというのに引き締まった体躯と美しい容姿をしている。
「ハッハッハッ、こやつ倒れる寸前、オレくらい強くなりたいと言っていたらしいぞ。光栄なんかより悔しがっているのではないか?」
「そ、それはまた恐れ多い…」
「何、こうした者から“次代”の英雄が生まれるかもしれんのだ。わたしは喜ばしいものだよ。」
そういうウィシュタリアの顔には笑みすら浮かんでいた。ウィルの実力や覚悟は、どうやら“英雄”にすら認められたらしい。
「ウィル?!ウィル、大丈夫??!」
「兄貴!!」
そう言ってウィルの元に駆け寄ってくる龍人の二人。
一人は赤い髪をたなびかせたウィルやディーゼルより少し年上の元気そうな女の子、もう一人は同い年くらいのアッシュのかかったブロンド髪の少年だ。
ウィルの周りには人が沢山いる。敵意や嫌悪ではなく、尊敬と友愛を感じさせる人々がだ。それは、いい事のはずなのに
「ハァッ、ハァッ…」
白い少女は動悸が止まらない。
ウィルのことを英雄が讃えている、当然だ。彼はそれに相応しい人間なのだから。
「ウィル、様…」
なのに、すぐ目の前にいるはずの彼が遠くなってしまったように感じる。
ウィルの顔を赤色の髪の女の子が優しく叩いている。「ウィル〜?大丈夫〜?」って。
「ッ!!!!!!!」
苦しさに、耐えられなくなって、ティーゼルは駆け出した。
(胸が苦しい!!!!)
「ハア!ハア!ハア!」
ティーゼルはその場から逃げ出してしまったのだ。なんでだかティーゼルにも分からない。さっきまでウィルの面倒を見なきゃと浮き足だっていたのに、分からない。動悸が止まらない、胸が苦しいのだ。
(分からない分からない分からない!)
「うう…!うう!!!!」
嗚咽すら漏らしながら、そうしてティーゼルはその場から走って立ち去ってしまったのだ。
その白い髪を“雷豪”だけが何か思わし気に眺めていた。
「ハア!ハア!ハア!」
しばらく走って人混みを抜けて、ふと自分がここにいた理由を思い出した。
「そうだ、エドガー様を、迎えに行かなくちゃ…」
主人であるエドガーは、竜出現の急報を受けて飛び出して行ったのだ。「これで名をあげてやる!」と言って。
急ぎ、人混みの少し外、エドガーがティーゼルを残して去って行った場所に向かうと、すでにエドガーは到着していた。
「おい!何をやっている!」
エドガーは機嫌が悪そうだった。ウィル程ではないがエドガーも分かりやすい。きっと成果をあげられなかったのだろう。
「申し訳ありません、お手洗いに行き一時持ち場を離れていました。ついでにお水やタオルなどご用意しましたが、お使いになられますか?」
あらかじめ考えていた言い訳と気を利かせてものを出す。
「ふん、そうか。とにかくよこせ。」
そういうエドガーは少しだけ機嫌を良くして、ティーゼルから濡れたタオルと水を乱暴に奪い取った。
…何一つ文句を言うことない。ティーゼルはエドガーの奴隷であり、持ち物なのだ。何一つ逆らうことはできない。
そう“教育”されているし、そもそも奴隷云々関係なくとも、気弱なティーゼルは人の“命令”に逆らえない、そんな気弱なティーゼルだからこそ良家の長女から人に命じられるままに、奴隷にまで身を落としたのだ。
水を飲み、体を拭ったエドガーは少しだけ機嫌を良くしながら語る。
「いやぁ、中々の竜だったよ。わたしの魔法など致命にはまるで届かなかったよ。」
そう語るエドガーは何故か得意気だ。ウィシュタリア様が出るほどの竜を相手にした、それだけである程度自慢気に語れる話なのは間違いない。
だが、先ほどの機嫌や言動を鑑みるにコレすらおそらく嘘だ。きっと本物の竜に恐れをなし戦ってすらいないのではないだろうか、しかしそれを言及する意味など皆無だ。
「それは、残念でしたね。しかしウィシュタリア様が出るほどの相手だったとお聞きしております。無傷で帰られただけでも誇らしいです。」
いつものように、相手の言って欲しいことを言えばいいのだ。仕草や態度から相手のして欲しいことを察する。それだけで無用な争いを避け、エドガーの機嫌を取ることができるのだから。
しかし、
「なんだその顔は?疑ってるのか??」
「え…?」
今のティーゼルはいつものような貼り付けた笑顔を浮かべていなかった。意識することもなく当たり前のようにできる貼り付けた笑み、それが今だけは、できていなかったのだ。
「そ、そんなことはございません。」
「あー!どいつもこいつも人を苛立たせやがって!おいティーゼル、捲れ。」
そういうとエドガーは、ティーゼルにこの場で“躾”をする、そう言ってのけた。
「ッ…、はい。」
逆らえるはずもないティーゼルはワンピースの背をめくり、シミひとつない柔肌をエドガーに晒す。
エドガーは、機嫌が悪くなればティーゼルの言動に関係なく“躾”をする。だが、今のはいつもだったら回避できたはずのことだ。どうして…
『バチチ!』
そうしてエドガーの手に現れる雷の鞭、教本には載っていない、悪趣味な貴族が考えた、平民を“教育”するための魔法だ。
「行くぞぉ、1〜!」
「ツアッ!!!」
傷をつけることよりも、痛みを与えることに特化した鞭だ。ディーゼルの柔肌を容易く蹂躙し、文字通り雷の走る痛みを与える。
「2〜3〜4〜」
エドガーは決まって100度鞭を撃つ。1回でもティーゼルが苦痛の声を出すような鞭を100回だ。100はティーゼルが気絶するかしないかギリガリの回数だ。気絶すれば、躾は終わらず、後日また1から100まで気絶しなくなるまで繰り返される。
かつて1週間、鞭を撃たれては気絶して治され、また撃たれるのを繰り返されたこともあった。あれはティーゼルに取っても地獄だった。最近はエドガーの機嫌の取り方も分かっていたはずで、久しぶりの鞭の味だった。
「〜100、おい、ちゃんと意識はあるか?ティーゼル?」
「…」
「おーい?」
「は、はい…、あります。ですからエドガー様…」
躾の時のエドガーは本当に楽しそうだ。彼の歪んだ人間性と行き場のない苛立ちを全てぶつけているのだろう。それが酷く恐ろしかった…。
「どうか、お慈悲を…」
息も絶え絶えになりながらティーゼルは主人に願う。
「まあきちんと耐えたのだし、許してやろう。」
「ありがとう、ございます。」
そういって頭を下げるティーゼルの顎を、エドガーは優しく撫でて顔を上に向けさせる。ティーゼルを見つめる宝石のような蒼い瞳は酷く歪み、顔にもまた歪んだ笑みを浮かべていた。
自分より不幸な、情けないものをみる、醜い目だ。そんな目で見られる人間などそうそういない。そして、そんな目で見ることのできるティーゼルを、エドガーは酷く愛している。醜く、歪んだ感情で、ティーゼルというモノを扱っているのだ。
(わたしは、エドガー様の、奴隷…)
そうだ。何か勘違いをしていた気がする。
(エドガー様の不満の捌け口で、それ以外の何にもなれないゴミ…)
そんなことは人という身分すら捨てた時によく理解していたはずだ。はずだったのに、
「薬を塗ってよく治しておけよ。」
鞭で撃たれた時のための薬をティーゼルは常に持たされている。貴族であるエドガーは、自身の所有物が傷を残すことを許さない。
(今はただ、そんな自分が、惨めです…)
躾が終わり、ティーゼルは与えられた自室に戻って、薬を染み込ませた布を背に当てていた。
外は酷い雨が降っている。
布団にうつ伏せに寝るティーゼルの青い瞳は、外の汚い雨を映して、少し濁っていた。




