第20話 兄貴!
ウィルが目を覚ますと、何か柔らかいものが頭の後ろにあるのを感じた。
「イッテェ…」
目を開くと、数日ぶりに見た青い瞳がウィルの顔を覗き込んでいた。
ウィルは膝枕をされていたのだ。
「うわっ、ティーゼル?!ッツ!!」
慌てて起き上がろうとしたが、先ほど殴打された腹部がまだ痛み、少しばかり体が痺れて動けなかった。
「なんでここに?」
どうしようもないので起き上がるのを諦めて、頭の中に現れた疑問をそのまま尋ねる。
「ウィル様は目立ちますから。」
そう言って笑うティーゼルの顔に、ウィルは少し気恥ずかしさを感じた。
(なんかムズムズする。)
その感情の正体がよく分からないウィルだったが、そういえば先日ティーゼルに無理は控えるという約束をしたのを思い出す。
自分の態度が引き起こした決闘であり、逃げるという判断などあり得ないことだったが、ひょっとしてまたティーゼルの不満を溜めてしまったのではないかと不安になった。
そして、そんなウィルの考えはティーゼルにはとても分かりやすかった。
「きっと、必要な戦いだったんですよね。」
その微笑みは、まるで全てを理解していると言わんばかりの穏やかな笑みだった。
「お相手様も手加減してくださったんでしょう。そんなに酷い傷ではないです。」
しばらくそうしていたが、ウィルが起き上がれるようになったのを確認すると、用事があるのか、ティーゼルはいそいそと去っていった。
「あれっ?結局なんでいたのか分からなかったな…?」
ティーゼルがいなくなってから少しすると、ちょうどガゼルが戻ってきた。ウィルが殴りつけた左頬に布を当てて冷やしているようだった。
勝者にしては暗い顔をしている気がしたが、ウィルを見るとまた不敵な笑みを浮かべた。
「わたしの勝ちだな、ウィル君。」
…思えば冒険者相手に負けたのは初めてだった。敗北を思い出し、火剣を使っていればとか色々と考えが渦巻くが、それら全てをみっともないと片付けた。負けは負けだ。
この敗北が命に関わらなかった幸運を噛み締めるべきだ。世の中、負けてもなんとかなることの方が少ないのだから。
「ああ、確かに俺の負けだ。それで、どうして欲しいんだ?ダインみたいに負かしてスッキリしたかった、そんなわけでもないんだろ?」
「さっさと要求を言え」とウィルはガゼルに言った。それが命に関わるものでなければ、ウィルは従うつもりでいた。
決闘はどんな形であれ始まってしまえば、実力で負かした相手にどんな要求だってできる。
従わないこともできるが、それは大きな名誉を失うことになり、貴族でさえ、このルールに逆らうことは滅多にない。
だからどんな要求をされるかウィルはぐっと構えたのだが、
「そんなに構えることもない。わたしを敬え、それだけだ。ウィル君。」
「はぁ?」
確かにガゼルはなめた子供にしつけを、と言っていたが、あれが言葉通りの意図ではない、とウィルは感じとっていたのだが…。
「返事は?」
その言い方は先ほどウィルがダインにしたものだ。…断れようはずもない。
「分かり…ましたよ。ガゼルさん。」
「よーし。それで、傷の具合はどうだ?」
ウィルが要求を呑むと、ガゼルは態度を一転させ、ウィルの状態を確認してきた。
「大したことね…ないです。加減してくれたんでしょう?」
「まあな、全力で放てば人も殺せる代物だ。だが君も、力の全てを使ったわけではないんだろう?」
そういうガゼルは意味ありげにウィルの黒剣に目を向ける。
ウィルのことをそれなりに調べているらしい。まさかエドガー一行と話したわけでもないだろうし、冒険者ギルドだろう。
「確かにそうだが、コレを使うのはもう決闘じゃない。殺し合いだ。」
そう言って黒剣を引き抜き、炎を灯す。噛ませたゴムは簡単に溶け、手に持つウィルにもその熱さが感じ取れる。ガゼルにも感じ取れただろう。
「火傷で済めばいい方だ。当たれば命を奪う。」
「大したものだな。」
「何が...です?」
剣が?それともウィルのポリシーが?
「君のその倫理観を鍛えた人間が、だよ。」
ふと、その教えを自分に刻んだ“師”と“先生”の顔が頭をよぎった。彼らを褒められるのは、悪い気はしない。
「それは、どういたしまして。」
否、まだ慣れない相手にウィルが褒められたのを、素直に受け取るくらいには嬉しいことだった。
「さて、帰るか。動けるかい?ウィル君。」
「もちろん。」
「あぁ、そうだ。あと息子のダインから伝えたいことがあるそうだ。」
「はぁ、分かりました。」
すると、ガゼルの後ろからダインが出てきた。なんだろう、ウィルは人の感情を推察するのが苦手だ。先もガゼルの考えを読み解かなかったばかりだ。
ただ、ダインの自分に向ける目が、少し前までと大きく異なり熱い何かを含んでいるように感じるのは、気のせいなのか、否なのか…?
〜~ユノの店にて
「お母さーん、これ食べて〜。」
「はいはい。次は美味しいといいわね。」
ユノは絶賛、メニューの開発中だった。開発中のメニューの失敗と成功は紙一重。少なくとも起きてから作ったユノのメニューは全てハズレであった。
客の誰もいない厨房にユノは母を座らせメニューを開発していると、『チリンチリン!』と人の往来を知らせる呼び鈴が鳴った。
「あ、ウィル君たちかな?思ったより時間がかかったなぁ」
ひょっとしてダインを病院送りくらいにはしてしまったのかもしれない。
(まあ仮にそうだとしてもダインは丈夫だし大丈夫でしょ。)
「おかえり〜。」
いつもの元気な声で出迎えると、そこにはガタイのいい父ガゼルの姿が、何故か左頬を痛めている。
「ユノ、先に失礼するぞ。」
頬を布で抑えながら父はそう言って入って来た。
「お父さん?ウィル君たちは?」
父だけだと思っていなかったユノは、一緒だったのではないのかとウィルたちの所在を尋ねる。
「あ〜少し後ろだ。もう帰って来る。」
そう語る父は何故か気まずそうにユノから目を逸らす。
何事かと思い奥の方を見ると、少し遅れて2人の姿を捉えた。
そしてそこには信じられない光景が広がっていた。
弟のダイン。ユノの可愛いい弟。
少し前まで「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」と尻尾を振りながらついてきていた弟は、最近反抗期気味なのか態度が冷たく、ユノに対しても「姉貴」と呼ぶようになり、少し距離を感じていた。
母カーネルに相談しても「そう言う時期なのよ。」と諭されてしまい、ユノの小さな悩みの種だった。
「兄貴!剣も持ちますって!」
それがどうだ。昨日までウィルのことを睨め付けていたダインは、その様相を180度変えていた。
かつてユノにそうしていたように尻尾を振りながら「兄貴!兄貴!」と目を輝かせながらウィルにつきまとっている。
ダインにそう言う目で見られるべきなのは自分の筈なのに!
すぐにユノは結論を出した。
「ウィル君に…!」
「あ、ユノ、」
出迎えるユノの姿を捉えたウィルが困り顔で何か言おうとするが、ユノの方が早い。
「ウィル君に、弟を取られたぁぁぁあああ!!!!!」
「なんでそうなるんだよぉぉぉおおお!!!」
〜ユノの食堂にて〜
「兄貴、お茶です。」
「あ、うん。ありがと….ズズズ。」
茶なんか出したこともないダインがウィルにお茶を出していた。ウィルの分だけ、だ。
ダインは店に着くとウィルの部屋まで歪んだ鎧や装備を運びこみ、お茶まで出すと言う接待ぶり。
気まずそうなウィル、気まずそうなガゼル、微笑むカーネル、仏頂面のユノ、目を光らせるダイン。食堂内は混沌を極めていた。
「それで、なんでこうなったのか説明して。」
仏頂面のユノが切り出した。問いかけ先は、年長者のガゼルだ。
「あ〜何処から?」
「全部!全部ぜーんぶ!まずなんでお父さんは左頬怪我してるの?一人で依頼を受けてきたとかじゃないよね!!」
「あ〜それはだな、」
「ウィルの兄貴とボコりあって怪我してました。」
「ダイン?!もうちょっとオブラートに包まんか!」
「やっぱりぃいいい!お父さんがそんな怪我するなんて中々あることじゃないし、ダインごときにウィル君がそんな苦戦する筈ないもん!!」
「お前、弟に容赦ないな。」
弟への痛烈な評価にツッコミを入れるウィル。
「なんでお父さんと戦ってるの?!ウィル君!答えて!」
「え、俺?!いやその、俺以外の上級冒険者の腕前が気になって…」
負けた手前、言いつけるような真似をしたくなかったウィルがなんとか誤魔化そうとするが…
「父さんが因縁つけてウィル君に決闘申し込んでました。」
すかさず真実を告げるダイン。
「ダイン?!お前は少し黙ってろ!」
再び息子から放たれる容赦ない物言いに驚愕するガゼル。
「お父さんは当面この店出禁!わたしに顔も見せないで!!」
「そ、そんなぁ。」
愛娘からの厳しい処罰に絶望するガゼル。
「そしてダイン!わたしと言うものがありながらウィル君を兄貴だなんてどう言うつもり?!」
「俺と同い年で父さんと互角にやり合ってたんだぜ?!こんなの兄貴と呼ぶしかねぇじゃねぇか!」
「キシャアアアア!!!!」
「まずい!ユノが聞いたこともないような奇声を上げている!!」
見たこともない愛娘の様相に焦るガゼル。
「あらあら…」
それを後ろで見守りながらカーネルはいつものように微笑んでいる。しかし、その表情には僅かに困惑がにじんでいらように見える。
「俺はどうすりゃいいんだよこれ…」
収集の付けられない事態にただただ呆然とするウィル。
ウィルが釈明し、ガゼルが娘相手に土下座し、カーネルが宥め、ダインが再びユノを刺激して台無しにし、結局その日は一旦他に当てのないウィルを残して全員店から撤退した。
「兄貴〜!」
まだウィルから離れたくなかったダインがガゼルに引っ張られて行く様はなんとも哀愁漂うものだった。
その日の夜
「えっとぉ…」
「何?ウィル君は何も悪いことしてないんだから気にしなくていいんだよ。」
「え、言ってることと態度が全然違うような…」
「違わないもん!!」
ユノの様相は、人の感情を推察するのが苦手なウィルですら“怒っている”と分かる程のものだった。
「………はい。」
その日の夕食のハウンド肉のカレーは、ここ最近食べたものの中で一番辛かった。
ユノちゃんの機嫌は結局次の日まで治らなかったらしい。




