第9話 要塞都市ウィシュタリア
混濁する意識の中、全身の痛みがウィルの意識を覚醒へと促した。
「ここは、どこだ…?」
背中の感触は、ふかふかのクッションが敷かれていることを示している。しかし、自分たちは馬車での移動だったはず、そんな場所はなかったような…
「貴族用のキャビンの中だ。贅沢な思いができたな、冒険者君。」
と、少し聞いた覚えのある声が投げかけられた。
「あなたは、エドガー…様?」
声の主に思い当たり、咄嗟に体を起こそうとするが、体が痛くて起こせない。
「動く必要はない。安静にしているといい。」
そう語るのはこの一行のリーダーであり、依頼主のエドガーだった。
彼は若い貴族らしい整った顔立ちをしている。いつものように輝く金髪は丁寧に整えられ、少し暗い青い瞳をしていたる。また、豪華な装飾をあしらえた杖には彼の瞳と同じ色の青い宝石がつけられて、纏うローブには金の装飾が所々付けられている。
ウィルは彼とほとんど喋ったことがなかった。護衛任務という体裁の中ではかなり異様な話ではあるが。
この任務はむしろ戦わないエドガーの代わりに護衛たちの穴埋めをしている、という形式が正しい。ウィルの存在が、ティーゼルを他の護衛たちを守っているのだ。
エドガー・ウィンストン、ティーゼルの主人の話を思えば少女はあまりすることはなかった。
この旅の途中、ウィルが遠目で見た彼はいつも不機嫌そうに何かを考えているようだった。
どの場所でも戦力が必要な今の時代に、引き篭もった魔法使いという存在などウィルからすれば言語道断だが、流石のウィルもそれを口に出すことはなかった。
要するにウィルはエドガーが嫌いである。そして本人は隠しているつもりだが、その態度は実はエドガーには分かりやすいものだった。
「少なくともあと1日は安静にしていなさい。安心するといい、君が休んでいる間は出ていってやろう。」
「それは…ありがとうございます?」
基本的に会話に建前がないウィルは本心を隠すのがかなり下手だ。それがトラブルを引き起こす事も多く、少年の大きな欠点なのだ。
「本当に礼儀のなっていない奴だ。だが、私はその程度のことで怒ったりはしないから安心するといい。冒険者にしては、やるではないか。」
冒険者にしては、を強調して、エドガーはウィルを賞賛する。ウィルは完全に下に見られているように感じた。
(こいつも、嫌な奴だな。)
頭にカッと血が上りそうになるが、流石のウィルもその程度の苛立ちで貴族相手に刃向かったりしない。彼はウィルの知る貴族に比べればかなり丁寧に話している方だ。
それでも“貴族の恨み”というのは恐ろしいものだ。かつて背中に撃たれた鞭の傷跡がウィルに強く戒めを与えている。
「それから最後に、うちのティーゼルと仲がいいようだが、程々にしておけよ。あれはオレのモノだ。」
「…?」
「分かりにくかったか?俺の奴隷、ということだ。」
そう言ってキャビンから出ていくエドガーは、ウィルが大っ嫌いな顔をしていた。
しばらくウィルは動けず。キャビンの中で悶々としていた。
そんな状況では考えたくないことも考えてしまう。エドガーの最後の言葉が気になっていたのだ。
貴族が人を所有する、そのことについてウィルは理解がない訳ではない。基本的に地域差はあれど、東より西の方が全体的に治安が悪い。西に行けば行くほど魔法使いは少なく、横暴な家族は増え、治安は荒れる。
故にここより西に長く居たウィルはそういった奴隷、という立場の人間は多く見たことがあった。
彼らは基本的に元犯罪者であり、自分のことを自分で決めるという最低限の権利すら持つことができなくなった落伍者、というのがウィルの認識だった。
これは教わったからそう、というものではない。ウィルは以前滞在した街で、助けを欲していた奴隷を金を払い解放してあげたことがあった。
解放しただけではない、引き取った者の義務として、食事を与え、その時の街のギルドに頼んで下働きとしての仕事まで紹介したのだ。
まだ幼い少年の頼みを冒険者ギルドが聞いてくれたのは、ウィルがすでに上級冒険者として優秀だったからに他ならない。
しかしその奴隷はウィルが生活の補助を打ち切って数日後、簡単に犯罪に走った。ギルドの下働きの最中、高価な素材を横領したのだ。
当然すぐにばれ、彼は奴隷に逆戻り、この時ばかりは流石のウィルもギルドに頭を下げ、賠償としてそのままその魔物の素材を取りに一人で狩りにいった。
最後に彼に会った時、彼はまたウィルに助けを欲していた。何一つ反省や後悔といった様子を浮かべず、こうなったのはアンタのせいだ!だからまた助けろ!と。
その時からウィルは奴隷とはなるべくしてなるもの、という考えが定着していた。
しかし、ティーゼルはどうだろう?彼女は奴隷であって当然の人間だろうか?
彼女が一行の中で低い立場なのは理解していたが、それでも彼女はウィルにできないことをたくさんやってのけている。
文字の読み書き、計算、道案内に馬車の運転、移動中の洗濯、炊事、ウィルがやれ、と言われてもやれることではない。
もちろん彼女の代わりは探せばいるのかも知れない。しかしだからと言って、彼女は自分のことを自分で決める権利すら持てないような人間だろうか。
(なんであいつのことこんなに考えてるんだろ...)
少年にとって、同世代の人間と深く関わること自体が初めての経験だった。もう一年ほどにもなる冒険者としての日々。
その間、誰かと並ぶことは少なく、感情を交わすことがあればそれは怒りの応酬だった。
しかしティーゼルとの交わりは、これまでウィルが殴り合い、競い合ってきた大人たちの誰とも違う。
彼女は少年の世界に、久しくなかった風を吹き込んでいる。それが心地よいと感じる反面、この慣れない感情の波にどう対処すればいいのか、ウィルには全く分からなかった。
一人の少女がウィルの心にさざ波を立てていたのだ。
「(ティーゼル…)」
「ウィル様、お呼びになられましたか?」
「うひゃあああ!!!」
驚いてとんでもない悲鳴が出てしまった。どうやら声に出てしまっていたらしい。キャビンの前は御者の位置だ。そりゃあ声くらい聞こえる。
「いってえええ!!!」
しかも驚きのあまりのけぞった結果、体が痛む痛む。
「ウィ、ウィル様?大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫大丈夫。ごめん、なんでもない。」
ウィルは、まさか自分の独り言が聞こえているとは思わず、ひどく狼狽した。
「なんでもないのに、私を呼ばれたのですか…?」
ティーゼルの表情が見えないため分かりにくいが、呆れられてる…?
ウィルは、こんな情けない姿をティーゼルに見られたことがひどく恥ずかしく、居た堪れない気持ちになった。こんな子供じみた反応は、少女の目にはどう映ったのだろうか。
「いや、その、元気かな、と思っただけだ。」
というと、はぁ。というため息が聞こえてきて。
「傷らしい傷を負ったのはウィル様だけです。あまり、無茶しないでくださいね…?」
「いや、あの時はあれを使わなきゃ勝てなかったんだ。」
反射的に否定を返してしまう。これはウィルの悪癖だ。
「そう、ですか。」
ただその時、ティーゼルの返事がいつもより弱々しく感じた。それを聞いてウィルの胸がチクリと傷んだ。
(「相手の気持ちになって考えなさい。」)かつてウィルを育てた“先生”の声が頭にこだまする。
だからウィルは考えた。仮にティーゼルがこんな傷を負ったら自分はどう思うだろう?
自分なら悲しいだろう。それだけじゃない、理不尽な話だが二度とするなと怒鳴りつけるだろう。
ティーゼルがそんなことをすることは想像できないが、ひょっとすると一連の言動は彼女を傷つけてしまったのではないだろうか?
そう考えると、チクリとするだけだった胸の痛みに、クギを撃ち込まれたような、そんな痛みを感じた。
「その、ごめん。」
「…?何を謝っていらっしゃるんですか、ウィル様。」
なんのことか分からない。という様にティーゼルは返す。ウィルは人の感情を推察するのが苦手だ。だけど、ティーゼルは傷ついている。ウィルにはそんな気がしたのだ。
「折角心配してくれたのに、悪かった。」
キャビンの外でティーゼルは息を呑んだ。ウィルにはそんな気がした。
「あんまり無茶しないよう、努力するよ。」
ウィルがそう言ってから少しの間を置いた後、ティーゼルは答えた。
「はい、ありがとうございます。ウィル様。」
その会話の間、ウィルは一度も彼女の顔を見ることはできなかったが、ティーゼルは笑っている。何故かそれだけは確信できた。
結局ウィルはそのまま一日、キャビンの中でしっかり回復に専念した。
流石は貴族と言った具合か、ウィルが高価で手軽に使えないような魔法薬の効果もあり、1日もあれば動けるようになった。
外傷の残る右手すら包帯はほとんど解け、弓ぐらいは撃てる。
「1匹、2匹、3匹」
数を数えながら淡々と襲いくる魔物を処理する。
実際のところ、弓で魔物を遠くから一方的に殺すのは楽だ。魔道具なんかの魔弾と違いコストも低い。アレの使用はそれなりに活力を使うのだ。
なら何故弓が冒険者の間で普及しないかと言えば、女性の牽制武器と言われる風潮も理由ではあるが、そもそも誰でも出来ることではないというのもある。
まず前提として、ウィルの装備は、戦闘を家業として生計を立てる冒険者の平均と比較しても非常に高い。上級冒険者なのだから同然だ。
ウィルほどの力を発揮できる冒険者はほとんどいない。そして、仮にそういった装備を手に入れた冒険者は、基本的にそれなりの立場を得る。
誰かを率いる立場になるか、貴族に士官し騎士の中でも高い地位に着く。
そうした人間は、自分自身が雑魚を効率的に狩る方法を考えることはない。彼らにとって大切なことはいかに自身の部下をマネジメントするか、いかにして自分の立場相応の強敵を撃ち倒すかだ。
「それにしても、強敵だった…。」
ふと馬車に死体が積まれている先日自身が倒したハウンドのボスについてウィルは思いを馳せる。
流石にあのボスの死体は相当の値が付く、置いて去る判断を一行はしなかった。
あの魔物は強かった。自分より素早く、知能も高かった。しかし、ティーゼルが気を揉むような怪我無しで戦うことはできただろうか。
怪我で酷かったのはほとんど最後の炎剣技の自傷によるものだ。あの技はかなりの負担をウィルの肉体に強いる。
(鍛えた剣の型をほとんど活かせなかった。)
咄嗟に切り付けられた時、ウィルは無我夢中で防ぐことしかできなかった。もっと適切な防御の型、そこから自身の攻撃に繋がる型、炎剣に頼らずとも戦う方法はいくらでもあっただろう。
しかし、焦ったウィルはそう言った技をほとんど出せなかった。明らかな窮地における防御の経験不足だ。焦った時、練習した通りの訓練の成果が出せないのは、自身の訓練の仕方に問題があるのだろう。
だが今は無理だ。片手は包帯を巻いているし、なんならこの一行はウィルの弓、もしくはエドガーの魔法による遠距離への攻撃があるからこそ、今のように余裕を持って移動ができているのだ。
(そもそもエドガーが戦わないから俺は雇われたんだよな。)
それは自分が嫌う契約外の仕事だ。望むものではない。なんなら自分が休んでいた分報酬は下げて貰おうとティーゼルを通して伝えようとしたが、その必要はない、と頑なに断られてしまったのだ。
貴族の命令にも近いその態度に流石のウィルもそれ以上口を挟むことはできなかった。
そして開拓村を出て6日、一行はガンジス山脈の山の一つゲーテ山の関所に辿り着いた。
ここ以外は険しい山肌が聳え立っており、人も魔物も安易に足を踏み入れることはできない天然の要塞なのだ。
12年前の“大敗走”の際、ここに設置されていた開拓成功の証である魔道具:アースクリーンが破壊され、あわやこの天然の要塞が魔物の手に落ちるところだった。
しかし、再びアースクリーンを設置するまでの間、ある英雄を筆頭にこの地をすぐさま奪還し、再び“開拓”を成功させたのだ。
そしてこの要塞都市には、その戦いで活躍した英雄“ウィシュタリア”の名が付けられている。この地の恩恵を受ける全ての人間が、彼の功績を忘れないように。
もし、今再び西と東を繋ぐ関所の一つであるこの都市が突破されれば、ここから西の大量に存在する街や都市、開拓村は孤立し、東に流れる魔物の数は増え、凄まじい被害が出るだろう。
故にここに駐在する戦力は、他の都市とは比べ物にならない。戦争でもしているのか?初めてこの地を訪れる人々にそう言わしめるほどのものだ。
その規模は、ウィルでも理解できる。
「ここ、街じゃなくて門なんだよな?」
エドガーが手続のため馬車から降りている間、ウィルはティーゼルに聞いた。
「疑ってしまうのも分かりますが、はい。ここはウィシュタリアに入るための門、入口に過ぎません。」
入口に過ぎないはずのこの場所に開拓村と同等の戦力が在中しているのだ。
「ウィシュタリアの都市としての規模はおそらく今までウィル様が見た中で一番のものとなるハズです。」
今以上に驚くことになると思いますよ。そう言ったティーゼルの言葉は真実だった。
「デッカァーーーーーー!!!」
関所から数時間ほど歩くと、要塞都市ウィシュタリアの全貌が見えてきた。
「な、なにあれ?水車?あんなデカい水車??」
聳え立った城壁とそこに備え付けられた数えきれないほどの砲門、より高地から流れる巨大な川を利用しているであろう超巨大な水車。そのサイズは、水桶一つが一軒家ほどもある規模だ。
「あれはウィシュタリアの名物、ハリシュの水車ですね。あの巨大な水車がこの街のインフラを支えているそうです。」
初見のウィルにティーゼルが丁寧に解説し、ウィルも素直にそれを聞いていた。
ウィルは自覚していなかったが、ここ数日ティーゼルと話すときのウィルはもうずっといつもの気難しい態度ではなく幼い年相応の顔をのぞかせていた。
エドガーが必要な書類を書き終えて戻ってきた時、そんな2人を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを、ティーゼルは気付かなかった。
普段のティーゼルなら気付いていた。しかし、ウィルと話しているこの時は、この時のティーゼルだけは、自分の主人の機嫌について気付くことができなかった。
結論を述べよう。この地、ウィシュタリアで、一行はそれぞれ大きな決断をすることになる。
ティーゼルが己の主人の自分を見つめる視線に気づかなかったとき、その運命は決定付けられたのだ。




