第12話 インスピレーションを求めて
休日。自分は改めて、都会の駅から出る臨時快速列車に乗る。
電気機関車のEF64‐1053が前、客車は12系客車であるから、一応、電気機関車が牽引する列車だが、後ろに蒸気機関車がぶら下がってしまっているので、純粋な電気機関車牽引の客車列車とは言えない。
だが、都会の駅に向かう211系に乗りながらふと、SNSを見ると今日のその列車で使用する蒸気機関車C61‐20が不調のため、急遽、紅いディーゼル機関車こと、DD51が代走に就くと言う情報。
都会の駅に着くと、自分は一度改札を抜け、慌てて帰りの列車の切符を変更する。帰りの都会の駅に帰る列車は、DD51が牽引する列車となる。
いいインスピレーションを得られそうだからだ。
代わりに、行きの列車は1本前の普通列車に変更したため、かなり慌ただしく乗り換えになってしまった。
しかし、都会の駅から乗り換えた、横川行きの211系の普通列車はガラガラだ。トイレ前の2人掛け席に座る。
オールロングシートである211系だが、この席だけは進行方向に対して直角になっており、クロスシートのような気分で窓の外を流れる車窓を眺められる。
列車は安中駅に着いた。
ここには、東邦亜鉛の工場があり、1日に1本、亜鉛を運ぶ貨物列車が福島県からやって来る。そのため、構内には多数の貨物側線がある。
かつては、濃硫酸や小規模ながらコンテナ輸送もやっていたが今は無くなった。構内外れの濃硫酸輸送のタンク車が止まっていた留置線や荷役線の残骸を横目に、列車は安中駅を発車して、妙義山麓を走り、終点の横川駅に着いた。
一見すると、頭端式ホームのどん詰まりの終着駅に見えるが、かつて横川駅から先、信越本線は碓氷峠を越えて軽井沢と繋がっていた。
この、横川―軽井沢間に聳える碓氷峠を越えるため、全ての列車はここ横川駅で、補助機関車EF63を連結し、その助けを借りていた。碓氷峠には66.7パーミルと言う日本最大の急勾配区間があり、EF63の力を借りなければ列車はこの勾配区間を走る事は出来なかった。
1997年の長野新幹線(北陸新幹線)開業と共に、信越本線横川―軽井沢間は廃止され、EF63やEF62はその役目を終えた。
その後、横川駅に隣接し、EF63の基地であった横川運転区の跡地を活用して、碓氷峠鉄道文化むらが開業した。
今日の自分の目的は、碓氷峠鉄道文化むらのジオラマや展示車両を見て、自分の作るジオラマのインスピレーションを得る事である。




