⑦ 鬼軍曹がたまに優しいと、間抜けな新兵は困惑する~冷たいコーヒー牛乳
こちらで何度か書いているように、私の母は仕事持ち。
いつも忙しくしていました。
情緒より合理優先、段取り良くサカサカ動き、まっすぐ前だけ見て生きているようなオーラが漂っている感じの人でした。
(あくまで個人の感想ですw)
だからか、ちょっとトロい、母曰く『ボーっとした子(忌々しそうにちょいちょい、言われたものです)』である私の言動に、常に軽くイラついていたようなところがありました。
あ、多分本人はそのことを認めませんし、私がそう思っていたと知ると、彼女はすごく傷付く気もします。
だから今まで誰にも言ってませんし、書いたりもしていません。でももう、彼女も八十を過ぎましたし、さすがに時効でしょう(笑)。
まあ、長所と短所は裏表、気分ですぐ怒鳴っちゃう親父さんと違って『合理優先』の彼女ですから、理不尽に子供を怒鳴りつけることはほぼありません。
彼女に叱られる場合は子供でも納得できる理由があるので、後でヘンにもやもやはしなかったものです。
……でもしかし。
『合理優先』は、決して万能ではありません。
世によく言われる
『お母さんは優しい』
『お母さんはあたたかい』
『お母さんのそばが世界一安心する』
所謂『母性』の一言でまとめられる、『お母さん』という存在に感じるムード。
この辺は少々――子供時代の私としてはかなり――、彼女から感じられませんでしたねえ(笑)。
感じ方には個人差もありますし、同じ親の子でほぼ同じように育てられてきても、第一子とそれ以降の子は感じ方が違っている可能性が高いです。
だからきっと弟は見解が違うでしょうが、それはもう仕方がない部分だと思います。
母の名誉にかかわるので、念のため付け加えますが。
彼女は別に、子供を邪険に扱っていたのではありません。
忙しい合間を縫って、私や弟のセーターやベスト(当時はチョッキといった)をせっせと編んでくれましたし、遠足のお弁当などは、気合を入れてたくさんのおかずを作ってくれましたし。
単に、仕事に家事に毎日奔走していた彼女、丁寧に子供と向き合う余裕がなかったのでしょう。
私も大人になり、子供を持ってそう察することができました。
だけど、子供時代の私がそこまで察するのは無理です。
『早く着替えて!』『早くご飯食べて!』『早く動く!』『早く~しなさい!』『アンタはお姉ちゃんでしょ!』
残念ながら、母との会話(?)の大半はそんな感じでしたから。
母と娘というよりも上司と部下、あるいは百戦錬磨の部隊長と間抜けな新兵、という雰囲気だった気がします、少なくとも私にとっては。
また、理不尽に叱られていない分、つまり言うことに一定の筋が通っている分、言われる方としては反発しにくいのが彼女からの叱責の特徴です。
私は、『ボーっとした』『出来の悪い』『のろまな』アホ(と、これはしょっちゅう父に言われていた)な子。
いつの間にかそんなセルフイメージを、無意識のうちに持ってしまっていたなあと、ずいぶん後になって気付いたものです。
ま、恨み言?はこの辺にして(笑)。
本題に参りましょう。
さてさて。
『ボーっとした』アホな子も、小学生になりました。
小学生になって初めての夏休みですが、この時代の私が通っていた小学校では、夏休み中に何度か、学校のプールへ行って泳ぎの練習をしなくてはなりませんでした。(自治体によっては、今もそうかもしれないですね)
それも、夏休みの宿題のひとつ、という扱いでした。
夏休み前にプールの参加票が配布され、出席した日にハンコを押してもらうのです。
休み中、三回以上は出席するようにと決められていた記憶が、ぼんやりあります。
ですから私も夏休み中に、学校のプールへ行かねばなりません。
まだ小学校に慣れていないであろう私を心配した母が、近所に住む同じ小学校へ通うお姉さんたちがプールへ行く日を調べ、その時に一緒に行ってもらう手配をしました。
正直、そんなややこしいことせんでもエエのになあと子供心に思っていましたが(1学期中ちゃんと登校できていましたし、学校内のプールの場所や着替えのエリアも知っていましたから)、まあしかしお姉さんたちと一緒に行っても悪いことはないですから、大人しく一緒に、ちょこちょことプールへ向かいました。
けっこうガチな練習をみっちり一時間は行われ、ヘロヘロに疲れた私は、夏の太陽をガンガン浴びながら帰宅しました。
帰りはお姉さんたちとは別行動だった記憶があります。
この辺は母の思惑と違っていたかもしれませんが、お姉さんたちにしても、いつまでもみそっかすの一年生の面倒をみていられなかったのでしょう。
「おかえり」
出迎えた母が、ニコニコしています。
「しんどかったやろ。冷蔵庫、見てみ」
(冷蔵庫?)
内心首を傾げつつ、冷蔵庫を開けると。
茶色っぽいものが入っている、飲み口をラップで包んだ状態のガラスのコップが複数、冷やされています。
「コーヒー牛乳作っといたで。飲みや」
(……え?)
私はその場で硬直しました。
母としては。
ここで娘は『わーい』と喜び、嬉しそうにごくごくと、母お手製(牛乳をあたため、インスタントコーヒーの粉末と砂糖を溶かし、鍋ごと氷水等で粗熱を取った後、ガラスコップに別けて冷やしていたのでしょう)のコーヒー牛乳を飲み、『美味しい!』と笑う……とでもいう感じを予想していたかもしれません。
マサカ幼い娘が、コーヒー牛乳を前に硬直するとは思わなかったでしょうね(笑)。
「……えーと」
リアクションに困り、母の顔を見る私。
予想外の私の反応に、母もやや困った様子。
「なんや、いらんの?」
あわてて首を振って私は、冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出して飲みました。
よく冷えた、甘めに作った牛乳の多いお手製のコーヒー牛乳は、疲れた身体にしみるようで、とても美味しかったです。
コーヒー牛乳はとても美味しかったのですが。
母が、わざわざ『私の為に』こういう嗜好品でしかないものを用意してくれたという事実が、当時の私はうまく受け入れられず困惑したのです。
『合理優先』の普段の母なら、麦茶は冷やしてくれていても、わざわざ手間暇かけてコーヒー牛乳のようなものを作ってくれると思えなかったのです――少なくとも当時の私は。
嬉しいか嬉しくないかといえば、嬉しいに決まっていますが。
素直に『わーい』とはしゃげなかったのです。
「早くご飯食べて!」
「さー、いえす、さー!」
「さっさと着替えて!」
「さー、いえす、さー!」
「今日は午後からプール、午前中に宿題して!」
「さー、いえす、さー! がんばります!」
とでもいう、フルメタルジャケットかプラトーンか(笑)という雰囲気の日常に、鬼軍曹が作ってくれる甘いコーヒー牛乳とか、お間抜け新兵的にはどう解釈していいのかわからない異物だったのです。
……何といいますか。
不器用な親子ですよね、今思うと。
後にも先にも、母がプールの後の娘の為にコーヒー牛乳を作ったのは、この時だけでした。
私のリアクションが悪かったので気が削がれたというか心が折れたというか、あるいは単に面倒になったのか。
それは彼女にしかわかりません。
現在。
私は、彼女が作ってくれたコーヒー牛乳を参考に、家族で海水浴に行く時に甘めのコーヒー牛乳を作って、持ってゆきます。
幼い時からそのコーヒー牛乳を飲んできた息子にとって、その味は母の味として現役でしょう。
でも、私にとって母の味であるコーヒー牛乳はもう、忘却との境界線上にある、思い出の味になってしまいましたね。
こうして書き留めていないと、明日にでも忘れてしまいそうです。