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⑥ ごく私的・懐かしの喫茶店グルメ

 私は幼い頃、日曜日になると父に連れられ、よく『散歩』へ出かけました。



 毎日毎日、家で仕事をしながら子守りと家事をしている母。

 『散歩』で私を連れだせば少しは母も楽になるだろうという、父なりの配慮だったようです。

 弟が幼児になって歩けるようになると、弟も一緒によく出掛けましたから、本当に父なりの母への配慮だったのでしょう。


 ……いえその。

 母を助けるのなら、もっと色々と家のことをやってあげた方が良かったのではないかと、おばちゃんになった今の私は思わなくもないですが。

 一応は自主的(彼は偏屈ですから、頼まれて子守りをしていたら子守り中ずーっと不機嫌だったはず。この人は基本的に悪い人ではないのですけど、子供相手でも平気で不機嫌をまき散らす残念なおっさんでしたからねえ。この『散歩』は九割九分、機嫌よく相手してくれていましたから、自主的だったと考えられます)に家から子供を連れ出し、子守りを買って出ていたのですから、()()()()()()()()()()()、いいお父さんだったかもしれません。


 『散歩』の行き先は近所の公園だったり、神社だったり。

 そこで適当に子供を遊ばせ、たまにこそっとパチンコ屋さんへ連れて行ったり(ダメじゃん)。

 そうやって時間をつぶした後、私は父に連れられ、駅前にある喫茶店へ行くのが『散歩』の定番のコースでした。



 その喫茶店は半地下・一階・二階に客席がある、それなりに大きなお店でした。

 暗い赤のコーデュロイ地で覆われたソファ風の椅子、アラベスク様の彫刻っぽいものが象られた装飾のあるテーブルや間仕切り、暗めの照明。

 いかにも昭和な喫茶店、の一パターンなお店かもしれません。

 頑固マスターが淹れる通好みのこだわりコーヒーが目玉の、常連さんがたむろする小難しいタイプの純喫茶ではなく。

 スナックやバーの経営者が、ついでにお昼も営業できる喫茶店やってます的なお店だった気がします。

 一見さんが子供連れで入店しても煙たがられない、たとえるならばコンビニのような、良くも悪くも無機質な接客をするタイプのお店だった印象があります。

 当時の私は(今思うとちょっとチープな感じに)デコラティブな装飾やアダルティな店の雰囲気に、照明の薄暗さも相俟って妙にドキドキしたものです。


 大体、モーニングサービスにギリギリ間に合う時間帯……午前11時から11時半頃までに入店していたのだと思います。

 父はブレンドコーヒーにモーニングサービスをつけたものを注文し、私には大阪名物(?)・ミックスジュースが最初の頃の定番でした。

 モーニングのゆでたまごを父がおどけて(デコ)で割るのを、お約束の楽しみにしていましたね~、そういえば。

 パリパリと殻をむき、テーブルに備えられている塩をかけて食べている父を見ながら、私はトーストを少しわけてもらって食べました。

 こんがり焼いた分厚い食パンに、たっぷりしみた塩気のあるバター。

 普段、家で食べるトーストよりも分厚くてふわっとしていて、すごく贅沢なトーストだと思っていました。



 しばらくはミックスジュースとわけてもらったトーストを大人しく?食べていましたが。

 食いしん坊の後のかわかみれいが、そんなので満足する訳がありません(笑)。

 おぼろげでも字が読めるようになり、食品サンプルに添えられたメニュー名がわかってくると、それを食べてみたくなります。


 最初のきっかけは、おそらく昼になってから店を訪れたのでしょう。

 父がお昼ごはん代わりにと、ナポリタン(その店では『イタリアンスパゲッティ』という名前だったような、おぼろげな記憶があります)を頼んでくれたのです。

 『スパゲッティ』というものをほぼ初めて食べ、今までにない味と食感に幼児だった私はハマりました。

 しばらくはこの店へ来るたび、スパゲッティをねだったものです。

 ただ、一人前の半分くらいしか食べられなかったでしょうから、残りはきっと父が食べてくれていたのでしょうけど、あまり覚えていません。

 そういえば当時、オムライスもちょいちょい食べましたっけ。

 あのチキンライスを包んだ黄色と赤のコントラストは、子供心にグッとくる魅惑の食べ物だと思います。

 そもそもケチャップの味って、昭和の子供を虜にする味だったんだと思います。



 ある程度洋食(というかケチャップ味)を堪能した後、次に私がハマったのはデザート類。

 子供向けのテレビドラマ(『なんとかケンちゃん』的な)で、マドンナ役の少女がチョコレートパフェを食べていたのを見て、憧れたのが始まり。

 チョコレートパフェやフルーツパフェ、プリンアラモードなどをひととおり食べました。

 そういうのってけっこうな量のアイスクリームが乗っていた筈ですけど、デザート類は当時の私であっても完食していた気がします。

 その頃、おそらく小学生にはなっていたので完食出来たのでしょうが……よくお腹を壊さなかったですよね。

 ねだられたからって、まるまる一人前食べさせる父も父ですが。

 さすが食いしん坊、胃腸は丈夫だったようです(当時)。



 そういうのをひととおり食べた後、注文はクリームソーダやクリームコーラなどに落ち着いた気がします。

 正直に言うとミックスジュースって、あんまり好きじゃなかったんです、私。

 当時は食品のアレルギーなどほとんど知られていませんが、どうも私、バナナあるいは桃(黄桃)と相性が悪いみたいで。

 どちらも食べられなくはないし顕著に具合が悪くなりはしませんが(味は嫌いではない)、もやぁと嫌な感じがちょいちょい、食後に来ます。


 そしてやはりモーニングサービスのトーストを、父からわけてもらったものでした。



 あの喫茶店で色々食べさせてもらったものの、結局いちばん美味しかったのは。

 『モーニングサービスのバタートースト』だったのかもしれません。

 でもそれは、ひととおり食べさせてもらったから至った境地……である可能性も高いです。


 今思えばほぼ毎日曜、喫茶店で何かしら食べさせてくれた父に、あらためて感謝したいですね。

 うるさいこと言わず色々と食べさせてくれて、お父さん、どうもありがとうございました。

 あの喫茶店はもうとっくに、閉店してしまったけれど。

 また今度、一緒に『コメダ珈○店』へでも行きましょうね!

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― 新着の感想 ―
[一言] お父さんはきっとれいさんという娘さんが可愛くて仕方なかったんじゃないでしょうか。 昭和の喫茶店。 ありましたねぇ。。そんな感じのお店。
[一言] 喫茶店いいですよね(´・ω・`) 特別な空間で味わうトーストって、やっぱり一味違うんだろうなぁって思います。 近所に歩いていける喫茶店が欲しい笑
[一言] 喫茶店、子供のころによく連れて行ってもらいました。やっぱり父親に。そういう時代なんですかねえ。 私はメニューよりも占いの紙が入ったガチャガチャなんかに思い入れがありますが、そんな思い出深い喫…
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