⑤ー1 田舎の夏休み・『盆汁』
私が子供の頃、盆休みになると父方か母方の故郷へ2~3日帰省するのが、毎年の恒例でした。
父方は和歌山県で、母方は三重県。
どちらも漁業が盛んな漁師町でしたが、母方の方がより『田舎』という感じで、海も山も近かったです。
だからか、父方より母方の田舎へ帰省する方が、何となく楽しかったですね。
母の兄弟が多かったので、そちらの方がいとこもたくさんいましたし。
特に祖母が健在の頃は、割と広かった母の実家に、あふれるほど親戚が集まりましたねえ。
大体、父の勤め先が盆休みに入る頃に出かけます。
『盆休み』など、どこの会社も同じなので(当時は特に)、鉄道は帰省ラッシュで往復とも家族連れでいっぱい。
特急券を買い、何とか座った状態で特急電車での移動、三時間あまり四時間弱。
当時は車内でも皆、ぷかぷか煙草を吸うのが当たり前(昭和ですからねー)、乗り物酔いしやすい私はたばこのにおいと煙のせいで余計に気持ち悪くなり、目的地に着くまで複数回、ゲロゲロゲロゲロ。
もう出るもの無くなっても、胃液が……(以下、自主規制)。
と、とにかく。
ヘロヘロになりながらでも目的地に着くと、私は元気になります。
海!
山!
自然!
大阪の中でも割と田舎寄りの住宅地(参照・拙作『月の末裔』での小波の描写。大体あんな感じです)で暮らしていたとはいえ、海だの山だのがすぐ近くにある環境に、私のテンションは爆上がり。
体調が回復すると、さっそく遊びに出かけます。
漁港の磯でフナムシを追いかけたり(当時はそれほど、フナムシを怖いとか気持ち悪いとは思わなかったです。メチャ大きいのはさすがに気持ち悪かったですけど、小さいのは平気で捕まえていました。今は駄目ですね、大きくても小さくても見ただけでぞわぞわします)、地元で『イソモン(メチャクチャ小さいサザエみたいな貝。岩などにへばりついてます)』と呼んでいる巻貝を採ったり(ある程度採って満足すると、磯へ戻します。聞くところによると食べられるそうですが、地元の人は誰も食べません。小さすぎて食べにくいのでしょう)。
平たい石を拾い、父に教わって(子供だけでは危ないので、父が常に私や弟について歩いていた)湾内で水切りをしたり。
伯父が、湾内の特に波の静かな場所へ漁船で連れて行ってくれ、海水浴をするのも大きな楽しみでした。
山の方へも行きます。
山といっても丘程度で、中腹にはお寺さんや中学校の敷地、もっと上ってゆくとお寺さんが管理している墓地があり、道の脇はどこかの家の、家庭菜園の延長程度の畑があったりします。
ぶらぶらと登ってゆき、道に生えている草を抜いたり野生化したオシロイバナの花を採り、草笛っぽく鳴らしてみたり。
オシロイバナの花を鳴らす方法は、そういえば年上のいとこたちに教わったような、漠然とした記憶があります。
親子ほども年の違う一番年上のいとこから、カブトムシの集まる木を教えてもらったこともありました。
残念ながら私は虫に興味がなかったので、『わー、すごい~、カブトムシがいっぱいいる~』と思っただけという、実に猫に小判なとっておき情報でしたが(笑)。
いとこの内の誰かが案内してくれた、村落で唯一のかき氷屋さんのことを今、ふっと思い出しました。
夕方に近い午後、ひぐらしの声を聞きながら食べた『練乳イチゴ』は美味しかったですねえ。
そんな感じで私は、普段できない遊びを満喫したのです。
子供の私にとってお盆の帰省は、年に一度『珍しい場所で珍しいことをして遊ぶ』という意味しかありませんが。
『お盆の帰省』本来の目的は、先祖の墓参りです。
親族に連なる子供として、私も一応、墓参りをしました。
早朝、大体6時には起きます。
眠い目をこすりながら向かうのは、山の上の墓地。
両親に伯父伯母、いとこがぱらぱら。
夏とはいえ田舎の朝、かなり涼しいので、山登りもそれほどきつくはないです。
墓地につくと入り口で小さなバケツに水を汲みます。
自分の家の墓の花瓶へ携えてきた花を活け、汲んだ水をひしゃくで墓石にかけ、土地の風習なのでしょう、生の米と細かく刻んだ茄子を墓に向かって撒きます。
線香に火を点けて供えた後、手を合わせて拝み……おしまい。
少なくとも子供にとって『面倒くさい』ことは、お盆期間中のこの墓参りだけですから、これが終わると後は無罪放免、今日も遊ぶぞ!としか思わなかったものです(笑)。
家へ戻ると朝ごはんが用意されています。
この時期の朝ごはんは、『盆汁』と呼ばれている味噌汁とご飯、後は海苔とか漬け物、場合によると鰺のみりん干しを焼いたものなど。
『盆汁』とは鰹か煮干しのだしに、ささがきのゴボウ・さやから出した枝豆・半月切りの茄子が入る、おそらくは赤味噌で仕立てた、別に何ということのないお味噌汁です。
小口切りのネギが、薬味にあったりなかったり。
『盆汁』の具材は土地によって色々と変わるでしょうが、私が食べさせてもらった『盆汁』は、具材少なめの比較的あっさりとしたものでした。
朝から軽い運動をしたのと同じですから、当時の私は自覚以上にお腹がすいていたのでしょう。
このなんてことないお味噌汁が、五臓六腑にしみわたる感じに美味しかったです。
胃にじわっと広がる熱い盆汁に、炊きたての白いご飯。
最高の朝ごはんでした。
具材も大体の作り方もわかっていますから、『盆汁』の再現は比較的簡単です。
にもかかわらず、似て非なるもの、しかできないのですよ。
ひとつは、伯母の使っていた味噌が多分、自家製かそれに近いものだったので、簡単にあの味は手に入らない……ということ。
そして一番の大きな理由は。
晩夏の早朝の冴えた空気、墓参りという特殊なイベント、両親だけでなく伯父伯母いとこみんなで囲んだ食卓……という、雰囲気を含めた味だったのだろうなと、私は思うようになりました。
もう二度と再現されることのない、追憶の美味のひとつです。