③ 夜鳴きそば
地域によっては今でも健在かもしれませんが。
私が暮らす(暮らしてきた)地域では、『夜鳴きそば』――つまり、『チャラリーララ・チャラリラララー♪』的にラッパを鳴らし、屋台を引いてお客を探すラーメン屋さんは、絶滅しました。
私が高校生くらいまではかろうじて、絶滅危惧種ながらいらっしゃった、おぼろげな記憶はありますが。
住宅地のあちこちにコンビニが点在するようになるのと同時に、哀愁のメロディをラッパで鳴らしながら住宅地を流して歩くラーメン屋さんは、いなくなりましたねえ。
寂しいですけど、まあ時代の流れというものでしょう。
そういえば幼少時、夜、真っ暗な窓の向こうから
『チャラリーララ・チャラリラララー♪』
が聞こえてくるのは、子供心に恐ろしかったもので。
なんとなく異界の化け物が自分を呼んでいる声のようにも感じ、部屋の隅へそろっと逃げたものです。
大人たちはビビるガキを面白がって、
「ほうら、チャラリーララが悪さする子ォを迎えに来たで~」
と脅かしたり、
「ナニを怖がってるねん、アレはただのラーメン屋や」
と、あきれながら蔑んだり、その時の気分で子供を翻弄します。
大人たちの反応から、アレは異界から忍び寄るなんちゃらではなく、現実世界にある『らあめんや』とかいうものらしい、と、だんだん理解する子供。
いっちょ前の幼稚園児になる頃には、薄気味悪い気分は残りながらも怖くはなくなってきます。
『らあめんや』の『らあめん』とは要するに、時々、母がお昼ごはんに作ってくれる『サッポ○一番』みたいな食べ物、つまり『ラーメン』のことだと理解したのはいつの頃でしょうか?
そうなってくると、俄然『らあめんや』のラーメンを食べたくなるのが、後のかわかみれいたる食いしん坊の女児。
しかし悲しいかな、子供がどんなに頑張っても、ひとりで夜鳴きそばを買いにゆく訳には参りません。
まずお金を持っていませんし、勝手に夜の町へ出てゆくことも不可能。
遠慮がちに親にねだるものの、
「そんなもん、食べんでヨシ」
と、一蹴されるだけ。
ああいうのはモノの割に値段が高いだの衛生的に問題があるだの、もっともらしいことを言われると、(意外と聞き分けのいい)後のかわかみれいは大人しく黙り、あきらめたものです。
その日、どんな気まぐれだったのか。
『チャラリーララ・チャラリラララー♪』が聞こえてくると、両親は顔を見合わせ、ちょっと何事か話すとどんぶりを二つ、取り出します。
父はその二つのどんぶりを手に、フラッと外へ。
しばらくして、熱そうなものが入ったどんぶりを持って父は帰ってきました。
(らあめんー!)
二つのどんぶりに満たされていたのは、多めのもやしと薄いチャーシュー、ゆでたまごのハーフカットなどが乗った、今思うとタンメンっぽい感じのラーメンでした。
両親から少しずつわけてもらって、私は初めて、夜鳴きそばやさんのラーメンを食べたのです。
『○ッポロ一番』は何故か必ずしょうゆ味だった当時の母の方針により、ラーメンというものはしょうゆ味だと思っていた私にとって、コショウが利いた塩味スープのラーメンは、非常に印象に残りました。
好みの味かというと微妙(しょうゆ味のスープに慣れていたので)でしたが、食べたことのない味のラーメンはしっかり脳の『食べ物の記憶』をしまっておく場所へ、『珍しくて美味しいもの』としてインプットされました。
しかし。
夜鳴きそばを食べたのは、後にも先にもこれっきりです。
また買ってくれないかなーと、密かに思っていましたが。
二度と買ってくれませんでした。
あの時の両親の気まぐれは何だったのでしょうか?
特別うるさくねだりはしないものの、ガキがあまりにも夜鳴きそばを食べたそうにしていたので憐れになり、一度くらい食べさせてやるかと思ったのかもしれませんね(笑)。