② お母さんのシチュー
お父さんの次はお母さん、という訳ではありませんが。
もう二度と食べることはないであろう、『お母さんのシチュー』について書いてみようかと思います。
ウチの母は仕事持ちでした。
だから家事に時間をかけてはいられません。
仕事そのものは自宅で出来るもの中心でしたが、だからと言ってお金をいただくのですから、いい加減には出来ません。
仕事しながらの家事、特に大変だったのが、三度三度の食事の支度だったと、私は今になって思います。
「あー、なんか美味しいもの食べたーい!」
私が物心がつく頃くらいから小中学生になる辺りまで、母が折に触れ、口癖のように言っていた言葉です。
子供の頃はピンときませんでしたが(そりゃあ、目玉が飛び出しほっぺが落ちるほどの美味ではありませんが、母の作るものは決してまずくはなかったですから。それに基本毎回、母自身が作りたいものを作っているのですから、母にとって食べたい、美味しいものを作って食べているのでは?と、ぼんやり思っていました。実際は家族の好み優先に作っている……少なくとも母の自覚としてはそうなのですけど、子供にはよくわからないのです)、自分がキッチン担当になってみて
(なるほど、こういうことか)
と思うようになりました。
自分の作るものが、決してどうしようもなくまずい訳ではない。
少なくとも、美味しくなるよう頑張って作っている。
でも。
毎回毎回毎回毎回毎回毎回、自分の作ったものだけを食べていると、精神的にだるくなってくるのですよ。
たまには自分以外の人が作ったもの、あるいは外で買ってくるお惣菜を食べたり、奮発して外食なんかをし、気分をリフレッシュしたくなる、と。
しかし、その願いはそう簡単に叶うものではありません。
だるかろうがどうしようが心身に鞭を入れ、食事の支度を続けるしかありません。
腹減り家族が手を束ねて待っていますからね~。
その辺のもやもやが
「なんか美味しいもの食べたーい!」
という心の叫びになるのだな、と。
私が子供の頃は売ってるお惣菜のレパートリーも限られていましたし、デリバリーもファミレスも黎明期でしたから、今以上に食のアウトソーシングは難しかった筈です。
仕事持ちで、おまけに家事から逃げまくる夫を持つ、小さな子供を育てている昭和の主婦って、改めて考えると大変だったでしょうね。
そんな主婦のお助けメニューが、カレー。
一皿でさまになり、肉も野菜もご飯も食べられ、おまけにそこそこ喜ばれる。
特に子供は喜びます。
ただ……ウチの場合。
旦那さん(つまり父)にとって、カレーは受けがイマイチだったのです。
まず彼はスパイシーなものが苦手の様子。
そこはお子様向けに『ハウス バー○ントカレー 甘口』を使うのだからノープロブレム……と思いきや。
甘口のカレーも大して好きではなかった模様。
私の記憶にある限り、『バーモン○カレー 甘口』で作ったカレーを食べる時、彼は、オーバル型の皿に盛ったご飯の上へ、申し訳程度にカレーをちょろっとかけます。
そこへ生卵を割り入れ、ウスターソースをドバっとかけ、全体をわーッとまぜ、食べます。
横目でそれを眺めながら、私は
(これってカレー? カレー風味のたまごかけご飯と違う?)
と思ったものです(笑)。
さてさて。
カレーのような属性?の、昭和の主婦お助けメニューは?
シチューやハヤシ、がそれに当たるでしょう。
それ用のルウも、カレー同様に売っていますし。
しかし何故かは不明ですが、母は長い間、ハヤシライスを作ろうとしませんでしたし、シチューもシチュールウを使いませんでした。
もしかすると、ルウを使わないシチューの作り方を人から教わり、それを踏襲していたのかもしれません。
ハヤシに関しては、私が高校生くらいになって何の気なしに作ってみると、特に母が喜んで食べました。
単に食わず嫌いだったのかもしれませんね。
ルウを使わないシチュー。
別に難しくはありません、多分。
肉や食べやすく切った野菜――玉ねぎ、ジャガイモ、人参など――を、サラダ油を敷いた鍋でざっと炒め、水を注いで煮込んで塩コショウで調味し、ラストに水溶き片栗粉でとろみをつける、という感じです。
少なくとも、私が食べた記憶ではそんな感じです。
コンソメキューブも入れていませんが、具材からだしが出て、あっさりとしていて悪くないですよ。
ただ、弱火でことこと、じっくり時間をかけて煮込んだ方が美味しく出来ます、多分。
忙しい主婦が手早く二、三十分で作り上げる夕食には、あまり向いていないかもしれませんねえ。
だからかこのシチュー、味にばらつきがありました(うろ覚えですけど)。
美味しい時とイマイチの時がありました。
時々、水溶き片栗粉を一度に雑に加えてしまったのか、スープの中に大きなだまが出来ていて、それは子供心にも不味かったです。
文句を言うとブチ切れられますから(笑)、涙目になって片栗粉のだまを飲み込んでいたのも、今ではいい思い出です。
さて。
何故これが幻の味なのかというと。
母自身、このシチューを覚えていない、からなのです。
認知症だからではありません。
かなり前、私が結婚するかしないかの時に、昔ちょいちょい作ってくれた『ルウを使わないシチュー』の話をしたのですが。
母は、
「知ら~ん。そんなん、作ったっけ?」
と、ポカンとします。
「作ってたやん。薄切りの肉と、玉ねぎとジャガイモと人参とを煮込んで、片栗粉でとろみつけた……」
私は言いますが、
「そうか? 覚えてへんで~」
と、ケロッとした顔で言い切るのです。
『狐につままれた』とはこういうのかと思いましたね(笑)。
いつの頃からか、母は市販のシチュールウを使ったシチューしか作らなくなっていました。
シチュールウを使ったシチューのレシピに上書きされ、煮込んで塩コショウしただけのシンプルなシチューのこと、本気で忘れてしまったのかもしれません。