① お父さんのイカ焼き
ウチの父は昭和の男ですから?、基本的に家事はしません。
家事はしませんが、どちらかと言えば癇性病み(古い大阪弁で、潔癖症とか神経質、的な意味合いの言葉)な傾向がありましたので、自身が脱いだもの、食べたミカンの皮やお菓子の包装紙等のゴミをその辺に放置したりはしません。
脱いだ物はしかるべき場所(洗濯するものは洗濯籠、翌日以降も着るのならハンガーにかけるなど)へ片付け、ゴミはその都度、ゴミ箱へ。
せっせとお風呂に入って身ぎれいにしたがる『おっちゃん』でもありました。
少なくとも彼は、だらしないとか不潔、ではなかったですね。
そういう人ですからもちろん、我々が散らかしていると怒られます(笑)。
そういえば、入浴前の汚れた彼の頭をうっかり触りそうになった時(私は4~5歳くらいで、その時の彼は、仕事から戻って居間に座って休憩していた)など
「アホ! まだ汚いねんから、頭、触るな!」
と、思い切り怒鳴られ、べそをかいたものです(笑)。
(……知らんがな。そうだとしても、もっと穏かに言えるでしょうが。ガキ相手に怒鳴りなや、おっちゃん。と、今ならツッコミを入れるところですw)
ま、まあともかく。
癇性病みではあっても一切家事はしない(けど、身の周りのある程度の片付けはする。ホントはきっと、もっときちんと整理整頓された家に住みたかったのでしょうが、仕事持ちの女房に強くは言えなかったと推測されます。母の性格上、ならアンタがやれと言われるのがわかっていたし、それも一理あることは認めていたっぽいので。一理あると認めていたんならやればいいのにそこは昭和男の意地なのか、やらなかったのですよw)彼。
当然、料理なんかしません。
炊飯器のスイッチすら触らないくらい、一切しません。
触るとビリビリくる(感電する、と言いたいらしい)、などと、冗談半分本気半分な言い訳をして、完全に台所方面から逃げていました。
結婚当初からそうらしいので、私が物心がつく頃には母はすっかり、あきらめていました。
そんな父が、何を思ったのか。
一度だけ、『料理っぽい』ことをして、家族に振る舞ってくれたことがあるのです。
あれは多分、私が幼稚園児くらいの頃。
休日の夕飯か何かで、ホットプレートでお好み焼きを焼いて食べた後、だったと思います。
何を思ったのか父は、ひょいと立ち上がって冷蔵庫からバターを出し、まだ熱い鉄板へバターをひとかけ落とすと、お好み焼きの具材のひとつだったイカの切り身を片手いっぱいくらい、そこへ乗せました。
コテでジャジャ、とイカに火を通すと、きつめに塩コショウ。
ただそれだけの、味としてはビールに合いそうな塩味の強いイカの焼き物というか炒め物というか、そういうものが一瞬で出来上がりました。
「出来たで、食え食え」
とでもいう雰囲気で、父は私たちへ勧めました。
父が料理っぽいことを率先してやったことに驚きつつ、私は、取り分けられたイカ焼きへ箸を伸ばしました。
子供の舌にはかなり塩辛い上にコショウも強かったのですが、バターの風味が利いているからか何だか妙に美味しいのです。
一瞬で食べ尽しました。
「おいしい! また作ってな、おとうちゃん!」
私が本気でそう言うと、父は、満更でもなさそうにニヤッとしました。
フラグではありませんが。
彼がその後、イカ焼きを作ることはありませんでした。
いえ、正確には。
私がヤイヤイねだるので、その後もう一度だけ、作ってくれたことがあるのですが。
なんかこう……違ったんですよね。
最初に彼が作ったイカ焼きには、味に『勢い』みたいなものがあると言いましょうか、本当に美味しかったのです。
でも、二回目に作ったイカ焼きはガキにねだられしぶしぶ作ったからか、ただ塩辛いだけであまり美味しくなかったのです。
不思議ですね。
料理というのは技術や化学の要素が強いのですけど、一期一会の芸術的な要素もあるのでしょう。
あの時、彼はきっと、大袈裟にいうのなら天啓が下ったように
(このイカ、バターで炒めて塩コショウしたら、絶対美味い!)
と思い付き、その思い付きのままに調理したのだと思われます。
今の私なら、あのイカ焼きに近い味を再現することは可能です。
でも、父が気まぐれに作ってくれたあの時の味は、もう二度と味わうことはないでしょうね。