番外編Ⅱ・溶きたまごをからめて……
一夜限りの復活!です(笑)。
突然ですが。
『⑪ 冬の焼き牡蠣』でも語りましたが、私は動物性たんぱく質の『生っぽい状態』の食べ方が苦手です。
まどろっこしいですね(笑)。
要は、たまごも肉も魚も、生の状態で食べるのは苦手ということです。
鶏卵であろうと魚卵であろうと(笑)生食は、まったく受け付けなくはないけれど、ノウサンキュウ。
焼くとかゆでるとか、してほしい派。
貝類も、ホタテの貝柱なら生でもまあ……という感じで、当然のように生牡蠣はノウサンキュウ。
他の魚介類のお刺身などもよっぽど鮮度のいいものなら別、正直、強いて食べたいほどではありません。
当然、肉類の生……鶏のささみのたたきとかステーキのレアとか、とても困ります。
それくらいなら少々パサつこうとも、しっかり火を通した状態のものが食べたいという、グルメとは程遠い、違いのわからない女・上質を知らない人(インスタントコーヒーのCMかw)といえましょう(笑)。
あ、でも。生野菜は好きですよ。
さすがに穀類やイモ類を生で食えと言われるのは困りますけど、大抵の植物由来?の食品で、生食OKのものは美味しくいただけます。
ゴーヤの生食はさすがにきつそうですけど、セロリもピーマンもこだわりなくいただきます♥
それに関連して思い出したことがあるので、今回、まったり語らせていただきましょう。
さてさて。
ウチの母は若い頃から、勢いで一気呵成!な料理を得意とする、怒涛の時短料理人(笑)。
ぶっちゃけ、仕事が忙しく料理に時間をかける暇がなかったということなのですが。
だからか彼女の料理は、決してまずくはないのですけどどこか繊細さに欠けるといいますか。
一気呵成が強引方向へブレると、子供心にも『こ…これって、もうちょっと何とかなるんじゃ……』と心でつぶやいてしまう、微妙な出来になってしまうものも、たまにありました。
(いえその、作ってもらっている身の上ですから、基本は文句を言わずに完食していましたヨ? 完食してますけど、『う~ん……』なものはやはり、『う~ん……』なのですw)
母の料理の傾向のひとつに、『ひとつの料理に、いろいろと具を入れて力業でまとめ上げる』がありました。
要するに、チャーハンや焼きそばなどにどっさり具を入れ、これひとつ食べれば一度に栄養が摂れる、という雰囲気の料理を作り上げるのです。
家庭料理にはままあるやり方ですよね、私もお味噌汁を作る時は大抵、具沢山で作りますし。
……でもね。
それだって、とにかく入れりゃいい、というものではありません。
各食材のバランスといいますか塩梅といいますか、そういうのがあります。
まあ、バランスが多少取っ散らかってても家庭料理ですから、そこも愛嬌といますか味わいの一種ですけど。
それでも、何でもかんでも混ぜりゃいいというものではありませんよね?
そういうの、口には出さないながら心でもごもご思っていた、食べるものに関して私は(一応は内心だけながら)好みのうるさいガキだったかもしれません。
そんな母がよくやる一種の技……中でもコレが、幼い頃の私にとって苦手でした。
彼女は、炒め系の一品料理の最後に火を止めた状態で、たまごを1~2個割り入れ、グルグルッと全体に混ぜる、という仕上げ方をするのです。
焼きそばとかチャーハンで、彼女はよくやってました。
半分以上生状態のたまごが料理全体にまんべんなくまざるので、私は子供心に『うわあ、生たまごがまぶさって……に、逃げ場がない……』的に、がっくり肩を落としましたネ(笑)。
これねえ。
生っぽいたまごが好きな方は、決してまずくはないと思います。
むしろ好きかもしれません。
(はっきりと口に出しては言いませんが、母自身はどうも『生っぽいたまごが好き♥』な様子。だからこの仕上げ方を思い付いたのでしょうし)
実際、どこかで読んだお料理エッセイで、
『ソース焼きそばに、すき焼きの肉を食べる時のように溶きたまごをからめて食べる。ちょっと意外かもしれないが、美味しい!』
という内容のものを見かけたことがありますし。
すき焼きにたまごをまぶす食べ方が至高! という人は、ウチの母の作る焼きそばやチャーハン、ニッコニコで食べるかもしれません。
私は……何故か妊娠中は『すき焼きのお肉には、絶対溶きたまごをまぶしたい!』と思いましたけど、平常時は溶きたまご無しでいただきたい派です。
そして炒め系の一品料理は、ネバッではなくカラッな仕上がりが好きでした。
焼きそばやチャーハンの最後に生たまごを割り入れてグルグルすると、せっかくカラッと仕上がった料理が一気にネバッ、ネトッ、になり、食欲が削がれましたっけ。
幼い頃は作ってもらった料理を大人しく食べるだけでしたが、小学校高学年くらいになると、母の代わりに家族の食事を作る機会も出てきます。
そういう時、こういう炒め系一品料理は、初心者が手を出しやすい料理でもあります。
見様見真似で私は、焼きそばやチャーハンを作るようになりました。
その時に私は、たまごをラストに割り入れるのではなく、フライパンで火を使う工程の一番最初に、あらかじめ小さめのボウルで溶いておいたたまごにジュッと火を入れ、再びボウルへ戻しておく、ことにしました。
そして料理が出来上がる直前にボウル内で待機させておいたたまごを戻し、全体に混ぜる、方法で仕上げることにしたのです。
焼きそばはともかくチャーハンは、こちらの方が格段に垢抜けた感じに仕上がります。
私は内心ドヤ顔(笑)で、出来上がった自作の料理を家族へ提供しました。
母の本音としてはどうだったのか(当時の私は、炒め物の最後に生たまご投入がマジで嫌だったので、自分好みに料理を作ることしか考えていなかったのですけど。何故最後にたまごを入れてくれない? と、母は思っていたかもしれません)は不明ですが、娘が料理を担当してくれるのは楽だったからでしょう、特に文句も言わずに食べてくれていました。
以来、焼きそばやチャーハン系は私が作ることが多くなったので、『最後に生たまご投入』式の母の焼きそばやチャーハンを食べることはほぼなかった、気がします。
就職を機に私は実家から出て、会社の寮や賃貸マンションでひとり暮らしをするようになりました。
母は再び『最後に生たまご投入』式の焼きそばやチャーハン、作っていたかもしれませんが、私は食べることはなかったです。
再び食べたいかと言われれば『……う~ん』ですけど(笑)。
思い出すと、懐かしいですね。