⑩ 朝のお粥
母方の田舎での『美味しいもの』は二回にわたって書きましたが、父方の田舎での『美味しいもの』話は……はっきり言って、あんまりありません。
いやその、まったくない訳ではないのですけど。
母方の田舎のような、鮮烈な印象を残す食べ物はないのです。
今でも『美味しかったな』と思っているのは、まずは和歌山ラーメン。
父の出身地は、一般的に『和歌山ラーメン』と呼ばれているものを出す地域より南に位置しますが、醤油ベースのおそらくは魚介と豚骨の出汁のラーメンは和歌山ラーメンの系譜を継ぐラーメンといえましょう。
個人的に言うなら、どストライクに美味しかったです。
駅前で気軽に食べられましたし、父の実家付近にも食べさせるところがあったようで、幼い頃に二、三度、食べさせてもらったような覚えがあります。
いやまあ、美味しかったんですけどね。
ただそれだけ……、といいますか。(← コラ!)
日常的に食べるものとして美味しいという感じで、そうそうこれじゃなきゃ!という感じに、幼心へガーンと響いてくる何かに欠けたのですよね(笑)。
でも。
朝のお粥。
あれはちょっと、特別な感じがありましたね。
父は、少々家庭が複雑でした。
そして、彼の実の両親である祖父母は、母と結婚する前にはすでに他界していました。
父の母(私の祖母)は身体が弱かったようで、所謂産後の肥立ちが悪かったのか、父が三歳の頃に亡くなってしまいました。
当時は太平洋戦争真っ只中でもあり、祖父は徴兵されて家にいない状態でした。
仕方なく父は母方の祖父母(私の曾祖父母)の家で、小学一年生の終戦時まで育てられていたのだそうです。
どうやら父は不憫な幼児として、父方の叔母たち(祖母の妹)にかまわれ、甘やかされ気味に育ったようです。
彼の、気はいいけどちょっとジャイアン?な気質は、この辺に萌芽があるのかもしれませんね。
終戦後に祖父は帰ってきて後添えさんを迎え、父も自宅へ帰されましたが……まあ上手くいく訳ありませんよね(苦笑)。
幼少期を祖父母と叔母たちに甘やかされ気味に育った少年にとって、実の父はほとんど会ったこともない他人同然のおっさんであり、継母になる後添えさんは、見たこともない余所のおばちゃん。
懐け、という方が無理でしょう。
自宅に居場所がない父は、近所に住む叔母たちの家(結婚して一家の主婦になっている)へ、順番にご飯を食べに行ったりしていたようです。
私が両親に連れられ、帰省する頃には。
父の実家にいるのはすでに、継母と年の離れた異母弟だけ。
祖父は父がまだ二十歳そこそこの若い頃、胃がんでなくなったのだそうです。
こういう状態ですから、母でさえ居場所がないと感じるそこは、子供である私も当然、居心地の悪いところでした。
父は実家に顔だけを出し、後は母方の祖父母宅で世話になることが多かったですね。
正直に言うと、そちらの方がずっと居心地が良かったです。
曾祖母が亡くなるまでは帰省時、主にそちらで世話になっていました。
まあ、そういう環境ですので。
父は帰省すると、彼を心配している叔母たちに『ご飯を食べに来い』と言われます。
すでに彼はもういい年のおっさんで、嫁も子もいる訳ですが。
彼女たちにとって父は、いつまで経っても『不憫な幼児』『可哀相な少年』の印象が強いのでしょうね。
父としてもすでに、叔母さんちでご飯を食べるしかなかった寂しい少年ではないのですから、彼女たちの好意はやや有難迷惑というか、持て余し気味の雰囲気でしたが。
断わり切れず、家族でちょくちょく、ご馳走になりにゆきました。
「○○○(父の名)は昔から、おかいさん(お粥のこと。お粥さんがなまったのでしょう)好きやったなァ」
父の顔を見るとそう言う叔母(私にとっては大叔母)が、ひとりいました。
和歌山県は朝にお粥を食べるところが多いそうです。
父の出身地は特に、昨夜の残りご飯の上へ炊きたてのゆるめのお粥をかけるという食べ方がスタンダードなのだそう。
米on米、米へ米で作った汁?をかける感じになります(笑)。
その叔母は、少年時代の父が朝ごはんの粥を喜んで食べていた印象が、特別強かったのでしょう。
顔を出すたびに「おかいさん食べていきや」と言ったものでした。
「ワシ、別におかいさんが好きやった訳やないねんけどなァ」
その当時はそれしか食うもんなかったんや。
小声でぼやきながらも父は三度に一度くらい、そこの家で家族ともども、朝ごはんのお粥をご馳走になりました。
毎日のようにお粥を炊いている人が作るお粥は、さすがに美味しかったです。
昨夜の冷たい残りご飯にかけるのはノウサンキュウでしたけど(当時私は子供でしたので、この程度の我が儘は認められました)、炊き立てのさらりとしたお粥を、ふうふうしながら食べるのはいいものでした。
副菜は梅干しにおかかの醤油まぶし、塩昆布。
シンプルを極めた、これも日本の朝ごはんの一典型でしょうね。
二杯目にたまごを入れたおじやにしてもらった記憶も、うっすらあります。
お粥の鍋に溶きたまごを流し、醤油をちらり、と加えて作るおじや。
さらりとしたお粥とはまた違う、濃厚な美味しさがありました。
夏の朝に、汗をかきながら食べるお粥。
記憶の底にぼんやりある、そしてもはやいない大叔母の、心づくしの風景です。