まあ、いいか
人の手を引っ張って陽気に歩く純銀の髪を揺らす男はとても楽しそうだ。心の底から楽しんでいるのだろうが彼は何百年と生き続ける人外の生き物。不老と言われると違う。とても長生きな生き物だからと言う。だが当然とも言える。彼――ヴィルに手を繋がれて好きに連れて行かれているジューリアは、まあいいか、と好きにさせた。
ジューリアは前世女子高生だった少女の記憶を持つ元貴族の娘。隣の帝国で代々癒しの能力を持つフローラリア公爵家の長女。
人格が十割前世女子高生のせいで大貴族の御令嬢らしい感性を育てるには大変苦労するも、前世の記憶を取り戻したのは齢二歳の時。教育も何もないだろうという時に戻って良かったと言える。フローラリア家の令嬢だった母は当然癒しの力を持ち、強い魔力を持つが故に婿養子に選ばれた父から生まれたジューリアは癒しの力を持てなかった。強い魔力を持って生まれるもそれだけ。魔法の操作能力はポンコツ、魔力量は無駄に多いからよく体調不良を起こしては両親から煙たがられた。
フローラリア家特有の癒しの能力もなく、父譲りの魔力を持て余すポンコツ令嬢と呼ばれるのに時間は掛からなかった。幸いなのは家には兄が一人と妹が一人おり、どちらも両親の能力を余すところなく受け継いで優秀だ。兄は次期公爵であり皇太子の右腕として働いており、妹は歴代でも強い癒しの能力を持つ為、帝国では『治癒の女神』として讃えられている。
唯一の出来損ない、ポンコツ令嬢ジューリアは家で暴力を振るわれているわけでも、食事を抜きにされているわけでもなかった。フローラリア家の長女として相応しい教育や生活を与えられてきた。
「それだけだもんね~」
「何の話?」
「家のこと思い出して」
「恋しくなったとか? 帰りたいなら送るよ」
「いいよ。帰らない。ヴィルにずっと付き合うと決めたもの」
「そっか」
良かった、と笑うヴィルはまた前を向いて歩く。自分達が歩いているのは実家のある帝国の隣の国。観光地としても有名で一番大きな街は沢山の人々で溢れ返っている。
ふと、カップルと思しき男女が何組も並んでいる店があった。気になって見つめているとヴィルも足を止めてそちらを見た。
「ああ、恋人同士でお揃いの腕輪を買うのが売りの店。欲しいなら並ぼうか?」
「いいの?」
「ジューリアは欲しいんだろう?」
「ヴィルはああいうの気にするタイプ?」
「人間らしくて興味はある、かな」
ヴィルに手を引っ張られ列の最後尾に並んだ。かなり長く、腕輪を買うまでに凡そ三十分は掛かるだろう。
「退屈になったら言って。私一人で並んでおくから違う店を見て来ていいわよ」
「カップルで並んでいる場所に女性を一人置いて行かないよ。君の婚約者と同じにしないでくれ」
「元よ、元。私がヴィルと家を出た時点で他人となったもの」
婚約者か……と単語が出て思い出した。いたな、と。
「私」
「うん?」
「ヴィルの事は必ず名前で呼ぶけど、彼は名前が被るから呼んだことないのよね」
「はは。可哀想に」
元婚約者はジューリオ。帝国の第二皇子。
魔法の才能も癒しの能力もないジューリアが第二皇子の婚約者になったのは、膨大な魔力量に目を付けられたからだ。皇族も代々強い魔力を持って生まれる。ジューリオも例外ではなく、皇帝となる兄皇子の補佐を務めていた。ゆくゆくは皇帝から公爵位を賜り臣籍に下る。その妻となるのがジューリアとなる筈だった。強い魔力を持つ者同士から生まれた子はより強い魔力を持って生まれる。常識である。
前が少し進んだので二人も二歩距離を詰めた。
「可哀想と言うけど全然よ? あの皇子、最初から私なんて眼中になかったし。妹の事しか見てなかったもの」
「ははは、ジューリアの妹君は女神の名の如く美しい容姿だからね。ジューリアもとても綺麗だけどね」
褒められて嬉しい気持ちはあるが妹と比べるとジューリアの美しさは霞んでしまう。
太陽の輝きを閉じ込めた黄金の髪、癒しの能力が強い程濃くなる青の瞳。母も青だが妹と比べると青味は薄い。
「妹君の名前なんだったかな。ああ、メイリンだ」
「ヴィルってあまり人の名前覚えないから意外」
「気にしてる方だよ? 一応おれ、天使様だから」
「正確には神の弟でしょう」
「それは前の神であって今は甥っ子がしてる」
「はあ……」
人外の存在、この世で最も尊き神の弟(現在は叔父)であると知ったのは、出会ってすぐのこと。
この世界が前世で流行った悪役令嬢や追放物、復讐物だったら物語の内容は知ったのに残念ながらジューリアとして目覚めてからどの作品にも当て嵌まらないと知った時は絶望した。未来の展開が全く読めないからだ。家族はポンコツジューリアをいない者として扱い、婚約者であるジューリオはメイリンに夢中。使用人にすら軽く扱われる。さっさと家を出たい所だったのをヴィルと出会った。その時齢十歳。
最初に出会った時から人間とは違う生き物だと直感的に感じていた。更にヴィルはジューリアを一目見て「異邦人か」と発した。異邦人とは彼等特有の言葉で前世の記憶を持つ者をそう呼ぶのだとか。ジューリアに魔法の才能がないのも癒しの能力が発現しなかったのも異邦人だからと言われた。
詳しい話は分からなかったがジューリアの体内にある魂の形が前世女子高生だった時の魂と混ざって異なる形となって上手く魔法も癒しの能力も使えなくしているのだとか。人間に姿を見られないよう、姿を隠して人を探していたものの、異邦人自体珍しいからとジューリアが家を出るまでずっと屋敷に居続けた。
掌に白い魔力を発光させると蒲公英の綿の如くふわりと消したジューリアは「ふふ」と笑ってヴィルの腕に抱き付いた。
「魔法が使えるって良いわね」
「おれがしたのはあくまで補助。きちんと魔法や癒しの能力を使えるようになったのはジューリアが努力したからさ」
前世怠け者とよく友人や母に言われていたが、今の人生怠け者では生きていけない。
ヴィルは珍しい異邦人の頼みを聞いてやり、先程述べた通り、魔法や癒しの能力を使える補助はしてくれた。が、そこからは練習の日々に明け暮れた。幸いにも家族はジューリアが魔法や癒しの能力を扱えるようになったと気付かず、ジューリオも定期的にあるお茶も全部メイリンと過ごしたのでジューリアの変化には気付かなかった。
「最初は期待したんだよ? ジューリオって他人には優しくて紳士的で社交界では令嬢達に大人気だったんだ。しかもすごく――好みだったんだ、顔が」
面食いの自覚は大いにある。
顔が非常に良かった。青みがかった長い銀髪も皇族特有の翡翠色の宝石眼も。本物の翡翠が埋め込まれているかのような美しさに何度も息を呑んだ。瞳の美しさに負けないジューリオの美貌は面食いのジューリアの気持ちを大爆発させるも、儀礼的な態度しか見せず、微笑みすら浮かべないジューリオに即諦めがついた。初めて屋敷を訪れた際、帰りを見送っている最中にメイリンが挨拶をと顔を出したら、頬を赤らめ翡翠の瞳を輝かせたのだ。人が恋に落ちる瞬間というのを初めて見た。
それ以来ジューリオが常に視線で追っていたのは妹のメイリンで。ジューリアはいてもいなくてもどちらでも良い存在となった。
「可愛いは正義ってね」
「それは前世の言葉?」
「そうよ」
「それを言うならジューリア、君だってとても可愛いよ?」
「褒めても何も出ないのに」
ジューリアの顔も決して悪くない。何なら美しい少女の部類にどっかりと腰を下ろせる。
太陽の輝きを閉じ込めた黄金の髪は同じだが青緑の瞳だけが違う。
「君の瞳は空や海の色を思わせる。開放感を感じられて好きなんだ」
「それ褒めてるのよね?」
「勿論さ。おれは嘘は吐かないよ」
「神様の叔父さんだから?」
「天使や神が嘘を吐いたら、君達人間へ示しがつかないじゃないか」
「確かに?」
一人孤独な子供時代を過ごさなかったのはヴィルの存在が大きい。ヴィルがいなかったら、家を出てもこんな風に感情豊かで楽しい生活にはならなかっただろう。
現在、二人はヴィルの探し人を探す旅をしている。と言っても、真面目に探す気はないらしく、広い世界の何処かで会えればいいかくらいの気持ちだ。ヴィルの甥っ子は神の座を押し付けたヴィルの探し人に早く戻って来てほしいらしく、彼が偶に連絡を取り合っていると『伯父さんまだ見つからないの!?』と泣いている声が漏れる。
ヴィルが大真面目に探したらすぐに見つかるらしいが、真面目の一文字すらやる気のないヴィルはこれからも甥っ子の泣き言を聞きながらジューリアを連れて世界中を歩く。
若い神様には申し訳ないがヴィルとこれからもずっと一緒にいたいジューリアは心の中で両手を合わせ彼との生活を楽しむ。
列が半分ほど進んだ。が、まだまだ購入までには遠い。
「そういえば、私が家出してから半年は経過するけどあの人達どうしてるのかな」
「知りたいなら戻る?」
「戻らないって言ったでしょう。戻る以外で知る方法ってある?」
「あるけどおれはどうでもいいから、知りたいなら自分で術を見つけてごらん。魔法の特訓だと思って」
「特訓か」
自分で言っておいて「まあいいわ」と止めた。あっさりと。
「いいの?」
「うん。何なら、居なくなった事にすら気付いていないかもよ」
「それはないんじゃないかい。第二皇子と結婚の話まで出ていたのに」
「不思議よね~。あれだけメイリンと交流を続けて私には何もしなかったのに」
「不思議だよね~」
婚約者としての交流は何をしただろうか? ジューリアの記憶が正しければ何もしていない。
だって、本当に何もしていない。
誕生日のプレゼントも、婚約者としての交流も、近況を伝え合う手紙のやり取りも、夜会やパーティへのエスコートも、ファーストダンスすらも。
何もしていない。
フローラリア家としては魔力量以外何も持っていないジューリアは要らない存在で、要らない存在でも魔力量に目を付けていた皇帝はジューリオが女神と名高いメイリンとしか親しくしなくても問題視しなかった。
ジューリアの存在をどうでもよくされていたから。
ジューリアが絶対の信頼を置く人外の男に。
ジューリアの頭にヴィルがキスをする。
「天使だって欲しいものは絶対に手に入れたいのさ」
「? 何の話。というか、ヴィルは天使様じゃなくて神様の叔父さんでしょう?」
「うん。そうだよ」
「お兄様やメイリンとも思い出ないけど友達はいたからお別れの手紙くらい送れば良かった」
「送っても構わないよ。どうせ、届いた頃には別の国にいるのだし」
「そうね。腕輪を買ったら可愛い便箋を買いに行きましょう!」
ジューリアの諦めがあまりに早くなければ、もっとジューリオに拘っていたら、ヴィルも様子見をしようとしていたが。結果はこの通り。一切の未練はない。
「メイリンは皇子殿下を慕っていたし、殿下もメイリンを好んでいたから、私がいなくなって婚約を結んでいたりしてね! そうなると美男美女のカップルの誕生か」
ジューリアがいなくなった途端、ヴィルが掛けていた魔法の効果は切れた。国を出てまで継続させる気はなかった。出てしまえば此方の物。
意外だったのはフローラリア夫妻だ。親としての情はあったらしく、痕跡もなく消えたジューリアを必死で探し回っている。更に意外、長男の方も皇太子の力を借りてジューリアを探し回っている。そのままなのは妹メイリンのみ。これで心置きなくジューリオと婚約が出来ると舞い上がったそうだが。
ジューリオもまたいなくなったジューリアを必死になって探している。
ジューリアの存在がどうでもよくなる魔法を掛けていたが効果を強くしたのは皇帝のみであって家族やジューリオにはかなり薄くした。
フローラリア夫妻や兄の場合は、フローラリア家に生まれながらもポンコツなジューリアを甘やかすと我儘な人間に育つからと敢えて厳しく冷たく接してきただけだったらしい。
ジューリオもキラキラと自分を見るジューリアに好意を抱くも、その後現れたメイリンの美しさに中てられた。最初はメイリンを好ましく思っても、次第に我儘振りに辟易し、自分の都合の良い事しか耳に入らない・語らないメイリンに愛想を尽かしていた。そんな状態でもメイリンと交流を続けたのはジューリアに嫉妬して欲しかったからだった。
義務を果たさなかった理由までは知らない。ただ、今までの自分の行いがとても褒められたものじゃないと解っていたジューリオは心底後悔しており、見つからないジューリアに日々懺悔している。
……と、帝国の教会を担当している大天使が話していた。毎日教会に足を運んでは懺悔するジューリオの声を大天使は律儀に聞いているのだ。それをヴィルに伝えている。
ジューリオをかなり哀れに、不憫に感じているらしい大天使にジューリアを返してあげてほしいと頼まれているが。
「ヴィル! 好きな人が出来たら真っ先に私に言ってね! すっぱり身を引くから!」
「怖いから冗談でも言わないでくれ」
長く接している内に情が移った、愛情が湧いて来た。
何百年も生きてきたのに。
嘘でも好きな人が出来たと言ったら、ジューリアは宣言通りあっさりと身を引いて姿を消してしまうだろう。
諦めの早さは美徳であり欠点でもある。
ヴィルにしても、ジューリオにしても。
列はかなり進み、腕輪を買うのに時間は掛からないだろう。
「何色にする?」
「丁度、おれと君の瞳の色と同じのがあるから、それを買おうか」
「賛成!」
ヴィルはジューリアの瞳の青緑を。
ジューリアはヴィルの瞳の純銀を。
購入して利き腕に身に着けたのだった。
●〇●〇●〇
可哀想だとは思うも、跪き懺悔する人の子に訪れた不憫は彼自身によって引き寄せられたもの。可哀想だと思うだけで手は貸せない。
今日も懺悔をしに来た人の子の声に耳を傾ける大天使は、半年も経過するのに、必ず同じ時間に来ては懺悔をする人の子――帝国の第二皇子ジューリオを哀れに思う。
「ジューリア……! ジューリア……! すまなかった、どんなに罵倒されても良い、殴ってくれてもいいっ、どうか、帰って来てくれ!」
帰って来ないのが現実。ジューリオの心からの言葉を聞いてもジューリアは帰ろうとはならない。大天使の主とも言うべき方が側にいるから余計。前神を探しに行くと言いながら、探す気がまっっったく起きないと呑気に世界を旅している主に頭を抱えたくなる回数……は数えていない。
「ジューリア、僕が悪かった、僕が馬鹿だった! 僕は初めて見た時から君を好きになった……僕を眩しそうに見る君が、僕もとても可愛く見えた。でもメイリンと会ってから、君は僕に興味が失せたように無表情になるし、屋敷へ行っても会ってくれないし……」
その他色々ジューリオはジューリアが好きなのに気持ちを返してくれないどころか、既に気持ちを捨てられたと思ってメイリンを可愛がる振りをしていたと言う。ジューリアが嫉妬してくれるようにと。
その行動が全て裏目に出てしまったと気付いた時には遅く。
毎日毎日、懺悔をしに来るジューリオは不憫で何度か主にジューリアを返してあげてと言うも彼の人は笑うだけで聞いてくれない。
「ジューリアあぁ~……!」
人の子の心はよく分からない。と、今日も大天使はジューリオの泣く懺悔を聞く。大天使は懺悔を聞くだけで特別手を貸しはしない。誰かの力になると人間への平等性がなくなる。が、現在進行形で懺悔する人の子はあまりにも不憫だ。大天使の主がジューリアを返すかと言われると絶対にない。
床に額を擦り付け遂に泣き出したジューリオ。出入口付近で待機する従者がとても不憫な目で見守っている。
皇族に属する者は誰も彼も忙しいという認識を持つ大天使は、こっそりと主に通達を出した。一度だけでもいいからジューリアを帝国に戻してあげてほしいと。
そっと息を吐いた大天使の耳に強く開かれた扉の音がした。見ると黄金の髪を揺らしながら、濃い青の瞳を嬉し気に輝かせた美しい少女が入って来た。彼女はジューリアの妹メイリン。姉妹だけあって似ている。
メイリンは可憐、ジューリアは妖艶、といったところか。
「ジューリオ様見つけましたわ! お城に行ってもいないと皇太子殿下に言われましたの! 居場所をお訊ねしたら毎日教会へいると聞きましたがいて会えて良かったです!」
主の掛けられた魔法を解かれた人の子達の中で唯一変わらなかったのはメイリンだけだった。
膨大な魔力を持ちながらも魔法も癒しの能力も使えない姉をずっと蔑み、馬鹿にしていたがジューリオという婚約者だけはどうやっても自分の物にならないと知ると徹底的にジューリアの邪魔をした。邪魔といってもジューリアとジューリオが仲良くならない為の邪魔だが。主曰く、ジューリアは初対面でメイリンを好きになったジューリオを早々に切り捨て何とも思わなくなったとか。切り替えの早い娘だがそれは同時にどんなに好意を抱いた相手でも自分にとって不要となれば容赦なく切り捨てる冷酷さを持つということ。主はこの点のみジューリアが怖いと語っていた。自分も間違いを起こせばジューリアは即座に切り捨てどうも思わなくなると。神の弟(現在は叔父)でも捨てられれば怖い、嫌だ、という気持ちが湧くのかと大天使は意外に抱いた。
頭を上げたジューリオだが決してメイリンを見ようとしない。ジューリアに嫉妬してほしくてメイリンと仲良くしていた結果が今を招いたのだから。が、そんな彼に気付かないメイリンは隣に回って顔を覗き込んだ。ギョッとしたのはジューリオが泣いていたからだろう。大天使は小さく息を吐くとジューリオとメイリンの名を発した。
「今日のところは帰りなさい。メイリン=フローラリア、君の癒しの能力によって多くの傷病者が救われた。これからもその能力を存分に揮い、痛みに苦しむ人々を助けてください」
「大天使様……!」
ずっとジューリオしか見ていなかったメイリンが声を掛けられて大天使に気付き、慌てて頭を下げるも必要ないと首を振った。姉のジューリアがいなくなったのなら、相思相愛と名高いジューリオと婚約すると息巻いた。主の魔法が解けた両親や兄は大慌てでジューリアを探すも痕跡は残されておらず、魔力の痕跡を辿ろうにもジューリアは膨大な魔力があるだけで魔法の類は一切使えない。なので追えない。今までほったらかしにしていた長女がいなくなった途端後悔し慟哭する公爵夫妻や長男に屋敷の者達は困惑しただろう。
自業自得だと思うが主も主だ。気に入ったから自分の側にいさせたいだけだったのだろうがやり過ぎである。フローラリア家程の癒しの能力を持つ者は世界中探しても滅多にいない。
虚ろな翡翠の瞳が大天使を見上げた。毎日懺悔しているのを眺めていただけの大天使がメイリンが来て突然帰れと発したのだ。大天使にも見放されたと彼は絶望したのか。
帝国の土地は気に入っており、教会には常に滞在しているので国内の人々の信仰心は非常に高い。本来なら、神のお告げを授ける時にしか現れないのにこの大天使だけが滞在している理由は単純。主――ヴィルに言い付けられたからだ。居ろ、とだけ。
理由を聞いても教えられず、言われた通りずっと居続けている。お気に入りのジューリアを連れて帝国を去ったならお役御免かと思われたが大天使自身居心地の良い帝国にいたくなり、毎日欠かさず懺悔をしに来るジューリオを哀れに思って天界へ戻るにも戻れなくなった。
「帰りましょうジューリオ様。皇太子殿下が心配しておられましたよ」
「……分かった」
「はい! あ、そうだ。皇太子殿下と会ったらお茶をしませんか? 人気のスイーツを使用人が買って来てくれたので一緒に食べましょう」
「いや……メイリンがお食べ。何なら兄上に同席してもらおうか?」
「私はジューリオ様と食べたいですわ! お姉様がいなくなってからジューリオ様もお父様もお母様もお兄様も皆元気をなくしてしまってどうしたのです? お父様やお母様、お兄様はずっとお姉様をいない者扱いしていたのに。ジューリオ様もお姉様を嫌っていたのにいなくなってからずっと落ち込まれて」
「…………ああ。僕は愚か者だ」
悪気もなく、彼等の気持ちを知らないメイリンは自分が思った言葉をそのまま口にしているだけ。隣にいるジューリオの心を太く凶暴な刃物で何度も刺しているとも知らず。力無く教会を出て行ったジューリオを慌ててメイリンが追い掛けて行った。本気で可哀想になったジューリオに同情し、早く主が返事をくれないかと大天使は願ったのだった。
――その時だ。光る蝶がふわりと飛んで大天使の肩に乗った。指先でそっと触れるとヴィルからの伝言を受け取った。淡い光の粒となって蝶が消えると聞いた伝言に安心していいのか悪い予感を抱いていた方が良いのか迷った。
“いいよ。戻ってあげる”……と伝えられた。
●〇●〇●
「帝国に帰るの? なんで?」
隣国の高級宿にて。
一日の汗を流し洗い、綺麗さっぱりとなったジューリアは先に上がって優雅に白ワインを嗜むヴィルの突然の言葉に驚いた。何度か冗談半分で帝国に帰る? と訊いてきたヴィルが決定事項の言葉で帝国に明日戻ると言い出した。別段戻る用事はないし、事件が起きたとも聞いていない。残してきた友人達には今日買った便箋で手紙を送るつもりだ。文章は既に書き終え、明日郵便屋に配達を依頼して終わり。髪をタオルで拭きつつ、隣をポンポン叩くヴィルの隣に座った。
「おれがというか、帝国にいる大天使があんまりにもうるさいから」
「大天使……ミカエル様?」
「そうそうミカエル君」
本来、大天使という存在は神への言葉を告げる時のみ人間の前に現れる。帝国の教会に常に滞在する大天使ミカエルは先代神の弟(現在は叔父)のヴィルの命令でずっといるだけ。天使の軍団を率いる至高の司令官にして、槍を持って悪魔を殲滅する、大天使の中でも特別な存在。なのにそんな彼を帝国の教会に滞在させている理由をヴィルに訊ねてみた。今更? という顔をされるもそういえば聞かなかったと抱き改めて知りたいと申した。白ワインを飲み干し、瓶を魔法で浮かしたヴィルは空のグラスに新たな白ワインを注ぐ。
「天使がいるということは当然悪魔もいる。天使や神が住む天界があるのだから、当然悪魔が住む世界魔界がある。ジューリアの生まれた帝国は魔力に秀でた人間が多く生まれる珍しい土地だ。悪魔が狙う事も多い。悪魔から善良な人間達を守る為にも力ある天使を置いて常に目を光らせておいてやったらいいとおれが判断したんだ」
「ヴィルってちゃんと仕事してたんだ」
「どういう意味? おれだってする時はする」
拗ねたように小さく頬を膨らませたヴィル。大の男がやったって可愛くない。膨らんだ頬を指で押すとすぐに空気は抜けていった。
「後は強制休暇かな」
「休暇?」
「そう。彼、真面目過ぎて一切休みを取らないんだ。天使だって偶には休みたい時はあるから、仕事は交代制。ミカエル君は休みが嫌いだから一切休もうとしない。過労で身体を壊されても迷惑だから帝国の教会にいさせているんだ。帝国は専門の貴族や皇族が管理する結界魔法によって守られている。悪魔もそうは入れない。平和な国にいてもらって人間達を見守る役目を担ってもらったんだ」
何度か天界へ帰る旨を出してもヴィルが退けて来た。他にも理由がありそうだ。聞いても他にはないと首を振られ、この話はヴィルによって一方的に終わらされた。
ならば、とジューリアが帝国に戻る理由を訊ねた。ミカエルがうるさく言うにしても今に始まったことじゃないと勘が伝えている。また白ワインを飲み干したヴィルは新たに注ぎ、グラスを持って話してくれた。
ジューリアが家出してから毎日教会に足を運んで懺悔するジューリオが哀れで不憫で見ていられないから、らしい。
「へ?」
ジューリオと言われて心当たりがあるのは元婚約者の第二皇子。他の皇族や貴族で同じ名前の男性はいなかった筈。何度も瞬きを繰り返すとヴィルはとても不機嫌そうに溜め息を吐いた。
「とても嫌だけどミカエル君のどうしてもと言うお願いなら聞いてあげないといけないから」
「あの殿下が……? 私に会いたい……? なんで?」
「ジューリアがずっと好きだったんだって」
「は???」
心の底から湧いて出た間抜けな声。ゆっくりと瞬きをするジューリアは告げられた事実をどう処理してよいかと過去の記憶を整理した。
初めて出会った時は絵本に出て来る王子様の容姿をし、翡翠色の宝石眼は本物の宝石と同等の輝きを放ち、面食いのジューリアを大層歓喜させた。が、実際に接してみると魔力量しか価値のないジューリアとの政略結婚を嫌がり、初対面の時から大嫌いオーラを放出させていたジューリオは、これまた初対面のメイリンに一目惚れをし以降はジューリアを放置した。これによりジューリオはジューリアの中で不要と切り捨てられた。婚約者時代、一応歩み寄った方が良いのかとヴィルに相談し、相手にその気がないのなら一切しなくてもいいという結論の下ジューリアなりに努力した。肝心のジューリオは定期的な訪問に来てもメイリンとしか会わず、メッセージカードも贈り物も一切しなかった。メイリンにしていたという話も聞く。聞いてもどうとも思わなかったジューリアだが情報は欲しかったので何も言わず、自慢げに話すメイリンに適当に相槌を打っていた。
夜会やパーティーでもエスコートを受けた記憶もファーストダンスを踊った記憶もない。そんな相手にずっと好きだったと言われてもピンとこない。
ミカエルによるとジューリオは毎日教会に来てはジューリアが好きだった、ジューリアに戻って来て欲しいと懺悔しているとか。驚くことに放置していた両親や兄までジューリアがいなくなった途端、行方を必死になって探しているとか。そこでも愛していたとか、大事だったとか、言っているらしい。
「ちんぷんかんぷんなんだけど?」
「ははは。人間って面白い生き物だよ~。人間になったらおれも理解できるかな?」
「無理。同じ人間の私が理解不能なんだもの」
「残念。分かるなら面白いのに」
「何なの? いなくなってから大切だったとか、好きだったとか、馬鹿なの? そりゃあ、ヴィルがいたから私は今こうやって健康で今じゃ魔法も癒しの能力も使えるようになったし、卑屈にもならなかったけど」
自分で言って寒気がした。もしもヴィルがいなかったら、ずっと両親には放置され愛されず、兄にもいない者扱いをされ、唯一絡んでくる妹には常に馬鹿にされる毎日を送る羽目になっていた。使用人ですら放置されるジューリアを軽く見ていた。寒気以外何も感じない。一本丸々白ワインを空にしたヴィルが次に魔法で浮かせたのはパルフェタムール。傾けると綺麗な紫色のお酒がグラスに注がれていく。
「綺麗……」
「ジューリアも飲む?」
「ううん……お酒か……」
前世女子高生で終わったので飲酒の経験がない。成人している今法律的に飲んでも問題なし。前世両親共に飲兵衛だったので強かったろうが今世は不明。公爵夫妻が大量のアルコールを摂取する場面に同席したことがないので。
「綺麗だけどアルコール度高そう」
「高いだろうね。弱い子が飲んだらあっという間に寝ちゃいそうだ」
「ううっ。いいよ、遠慮する」
「そう」
ヴィルも無理に勧めはせず、一人パルフェタムールを飲んでいく。自分も何か飲み物をと考えるとテーブルの上には既にジュースが置かれていた。ジューリアがお風呂に入っている間、ヴィルが宿の人に頼んで準備させていた。魔法でずっと冷やしてくれていたので冷たくて美味しいだろう。新しいグラスを取ってもらい、ジュースを注いでもらった。
グラスを両手で持ってちびちび飲みつつ、先程の会話を再開した。
「殿下や家族が私に会いたいって話なんだけど」
「ん?」
「私は反対。今更会っても話すことはないし、好きだとか大切だとか言われてもピンとこない。言われても苛っとしかしない。ヴィルに聞かされて苛ついたからさ」
「ジューリアならそう言うと思った。ただ、これはおれというよりミカエル君の頼みなんだ。ミカエル君は真面目だから毎日懺悔をする皇子が不憫みたいでね。ミカエル君の頼みなら一度くらいは戻ってあげたいんだ」
「うーん、そういうことなら仕方ないか」
帝国にいた頃よく話し相手になってもらったミカエルの頼みとあらば聞かない訳にもいかない。気は進まないが顔を見たら早々に切り上げよう。
ヴィルは紫の水面を眺めながら静かに笑む。
「……うん。そうしよう、ジューリア」
ジュースを一気飲みし、寝室へ入って行ったジューリアは寝台へ飛び付き。すぐに追い掛けて入ったヴィルに抱き締められたまま眠った。
――翌朝、マントを被ってヴィルの転移魔法で帝国に戻った。久しぶりの帝国、屋敷にいた頃はヴィルが魔法で姿を隠して街へ連れて来てくれた。平民達が多く行き交う場所に家族はまず訪れない。
朝食を食べようとお店に入りそれぞれ好きなメニューを注文。
食べ終わると街の中央に位置する教会を訪れた。朝早くても人が列を成して並んでいた。姿と気配を魔法で隠し、貴族しか入れない上層礼拝堂へ向かった。今日の為に教会の責任者が貴族の出入りを一時的に禁止してくれているとか。大きな扉の前で魔法を解除し、マントを脱いで扉を開けた。
「あ」
奥の方にいた男性に目を見張る。
約半年振りに会った元婚約者は最後に見た時より痩せて目に隈を作り、髪も乱れ顔色が悪い。恐らくミカエルから今日ジューリアが来るのを聞かされていたジューリオは大きく瞠目し、微かに唇を震わせていた。
ヴィルから話を聞いた時は内心冗談だと信じてなかったがジューリオの変貌を目にすると本当だったのと実感――同時に湧いたのはどうしようもない呆れである。いなくなってから愛しているだの大事だのとよく言えるな、と。
ジューリアの今があるのはヴィルの存在が極めて大きい。ヴィルがいなかったらもっと悲惨な目に遭っていたのは明白だ。
「ジューリア。行こう」
「うん」
何時までも固まったままではミカエルの頼みは終わらない。ヴィルに促されたジューリアは深く息を吸い、吐いて、奥へ進んだ。次第に目を輝かせたジューリオだがジューリアの側にヴィルがいると分かると表情を変えた。話せる距離まで来ると「ジューリア!」と怒気の込められた声で叫ばれた。
「その男は誰だ!! 僕という婚約者がいながら他の男といたのか!?」
「彼はヴィル。彼のお陰で私は今の自分があるのです。婚約者と言いますが殿下は婚約者時代私に何をしてくれました?」
「な、何をって」
「屋敷に来てもメイリンとのみ会い、贈り物を贈るのもメイリンのみ、夜会やパーティーでエスコートするのはメイリン、ダンスもメイリンと何度も踊る。で? 私には何をしてくれました?」
「……」
「それでよく婚約者だなんて言えますね」
呆れて物も言えない。
心底呆れ果てた目をやったらジューリオは深く項垂れた。
「すまなかった……」
プライドだけは人一倍高いジューリオが反論もせず謝った。今度はジューリアが瞠目する番となった。
「最初は魔力が強いだけのジューリアとの婚約が嫌だった。僕は兄上と比べたら落ちこぼれだ。落ちこぼれの僕には魔法もフローラリア家の娘のくせに癒しの能力も使えないジューリアがお似合いなんだと言われたみたいで嫌だった。初めての顔合わせでジューリアに会うまでは」
「……」
「僕のことを真っ直ぐに見てくれたジューリアの目はとても綺麗だった。ジューリアとならきっと上手くいくと思ったんだ。でも君は何度目かに会った時、どうでも良さそうな目で僕を見た。その時思ったんだ。君も他の連中と同じで僕よりも何に対しても優秀な兄上が良いのだと。僕は不満なんだと」
「……?」
どうでも良さそうな目? と言われて記憶の棚を探った。確かにジューリアは最初、面食いが発動してジューリオを見る目は眩しかったろう。が、それは初めて屋敷に来た際、挨拶をと顔を出したメイリンに一目惚れをした彼を即不要と判断したからだ。
ジューリオの話を聞くとジューリアが初めに愛想を尽かしたからジューリオは嫌ったのか。
その後ヴィルと出会ったから、ジューリオと仲良くならなくても全然問題無しなのが問題なのでは? と今更過ぎる疑問が過った。
「不満というか、どうでも良くなったというか」
「どうでも良くなった!?」
「殿下が初めて屋敷に来た帰り、メイリンがご挨拶をと顔を出したのを覚えてますか?」
「あ、ああ」
「その時の殿下が一目惚れをしたみたいにメイリンを熱い目で見ていましたし、メイリンも殿下を想っていたので二人が仲良くなってもまあ、いいかと思って殿下のことは気にしないことにしたんです」
「僕を気にしない……?」
隣のヴィルは軽く噴き出し、奥にいるミカエルは酷く気の毒な目で真っ青なジューリオを見ていた。自分でも言っている言葉があんまりだという自覚はあるも、初対面を終えてから積極的にジューリアではなくメイリンと交流を楽しんだジューリオに罪悪感はなかった。そのことを指摘したらジューリオは力無くへたり込んだ。側に立ったミカエルは慰めるようにジューリオの背中を撫でてやった。
「人の色恋に天使が介入するものじゃないが君の場合は可哀想というか、自業自得というか」
「ジューリアに……嫉妬してほしくて……」
「両親やお兄様に対しても構ってほしい気持ちがなかったですし、妃の座にも興味なかったので殿下に執着する理由が私にはありませんでした」
「うう……」
「ジューリア、あまり追い詰めないでやってほしい」
半年間毎日ジューリオの懺悔を聞いたミカエルとしたら、立場的に中立でも個人的情で言えばジューリオ寄りだ。
「ジューリアはその男とどんな関係なんだ……」
項垂れたままジューリオに問われ、正直に言って更なる攻撃を加えて精神を追い込むと病まれそうで怖い。
思考するジューリアは恩神だと述べた。ヴィルが若干不満そうにするも黙っててと唇に指を当てた。
「恩人……?」
「ヴィルは私にとって人生の恩神です。とても大切な人です」
「僕よりも……?」
「えっと……殿下にはメイリンがいるではないですか。寧ろ、私なんかより国内で評判が高いメイリンと結婚した方が殿下の立場を考えても良縁なのでは?」
というか、である。あれだけメイリンと仲睦まじくしていたジューリオが戻らないジューリアを切り捨てメイリンを選ばないのかが不可解である。二人の婚約は既に白紙になっている。拘る理由はない。
「メイリンと婚約はしていないのですか?」
「していない。ジューリアを見つけて連れ戻したら再婚約するつもりでいたから」
「私は殿下と二度の婚約をしたいと思いません」
「……うん」
はっきりと申すとジューリオは深く項垂れた。ここまでジューリアに気持ちがないことを告げられ、彼も諦めかけている。
「ミカエル君」とヴィルが呼ぶ。
「これくらいにしておきましょう。ヴィル様ってば、全然私のお願いを聞いてくれないのだから」
「ジューリアといたいんだ。邪魔されたら断りたくなる」
「全く。……皇子、これが現実です。ジューリアの切り捨ての早さと皇子の行動や言動が互いを遠くへやった。メイリンと婚約するもしないも皇子の自由です。今は自分の足で立って前を向きなさい」
「うん…………そうするよ大天使様……」
ミカエルに促され、ふらつきながらも立ち上がったジューリオは顔も上げた。涙目で顔色は悪いまま。
「ジューリアはその人といて幸せ……?」
「ええ。色々なことを教えてくれるので」
「そうか……。……家族に会う? 君に会いたがってる」
「それなら手紙を出します。会っても殿下と同じなので」
「分かった……僕からはもう何も言わないよ。……元気で」
項垂れそうになったのを歯を食いしばって耐えたジューリオの姿には悲壮感があったものの、下手に声を掛けるより黙ったままにした。暗いまま上層礼拝堂を出て行ったジューリオの背中はとても寂しげであった。
「殿下と、ちゃんと話していれば、別の道があったのかな」
「どうだろうね。そうだったとしても、君の気を引きたい皇子は結局同じ末路を辿っていたんじゃないのかな」
早々に諦めず、向き合って言葉を重ねていたら好き同士とはいかなくても友人くらいの関係は築けていたのではと少し後悔が襲うもヴィルの軽やかな声に心が幾らか軽くなった。それはそれでメイリンという壁と戦わないとならなかった。
自慢をするのが好きで嫌味を言うのも好きで部屋に閉じ籠ってばかりのジューリアの所に突撃してきたのはメイリンだけだった。他はほぼ放置。思い出しても最低限の会話しかなかった。
メイリンのことは好きでもないが嫌いでもない。妹というだけ。
――これからジューリオはメイリンと婚約するのか、しないのか、と少々心配するジューリアの横でミカエルに呆れられるヴィルに反省の色は一切ない。ジューリアを取られないようジューリアの存在を軽くだがどうでもよくなる魔法を掛けていた張本人が言っても言葉に一切の力はない。ジューリアが気付かないからヴィルにしたらそれだけで良い。
帝国の最高級宿で数日過ごし、出発日を相談していた最中にヴィルがそういえばと話題を変えた。
「君の妹君、今相当荒れているみたいだよ。ミカエル君が言ってた」
「荒れてるって?」
「あの後、皇子ははっきりと君の妹君とは婚約しないし愛してもないと告げたみたいなんだ。ミカエル君の前で」
「そ、そうなんだ」
神への宣誓に近い言葉は二度と取り消せない。ジューリオなりのケジメなんだろうが態々ミカエルの前で告げなくても、と若干メイリンが不憫に思えた。ずっと想っていた相手に本当に好きなのはジューリアだと告白された挙句、家族に慰めてもらおうにも帝国にジューリアが戻ったと聞いた両親と兄はありとあらゆる伝手や魔法を使って行方を捜している。見つからないのはジューリア自身が魔法で隠しているからだ。
好きな男性には振られ、家族は自分のことなど眼中にない。ずっと甘やかされ、愛されてきたメイリンにしたらとても辛い日々だ。
可哀想だとしてもジューリアにはどうすることもできない。
「時間が解決するさ。君やおれは何も考えないでおこう」
「……そうね。お父様達もその内頭が冷えてメイリンの現状を見たら、きっとメイリンを優先するわ。そうなったら私のことは今度こそ忘れるね」
「寂しい?」
「全然。ヴィルがいるから」
手招きをしてヴィルを呼び、彼の頬にキスを贈ったジューリアであった。
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