07,友達、という表現が引っかかる感情。
――某所。
「研究は順調?」
「芳しくないですねぇ」
ある女の問いかけに、その男は悪びれもせずそう答えた。
「最も重要な素材が足りていませんから」
「……前に言ってた、【素直じゃない人間】ってやつ?」
「【天然無自覚系の上質な、素直じゃない人間】ですよぉ」
「むぅ……」
男の訂正に、女は顎に手をやって悩まし気に唸る。
「適任者に一人、心当たりが無くもないわ」
「ほぉ、それはそれは朗報じゃあないですかぁ。何でもっと早く教えてくれなかったんですぅ?」
「……できれば、積極的に関わりたい男ではないからよ。あたしに取っては目の上のタンコブだった一人なの」
「どうでも良いですねぇ。早くその人を私に紹介してください。できれば直接、会って具合を確認したい。舐め回すように観察したいぃ……」
「………………………………」
女は呆れ果てたように息を吐きながら、スマホを取り出して操作。
彼女が今確認しているのは、ある地区の『妖怪処理・夜廻り管理表』。
妖怪処理屋には、昼勤業務と夜勤業務がある。
昼勤は、主に個人や各地区の地域安全課から依頼を受けて妖怪を処理する。
夜勤は、各地区の地域安全課が音頭を取り、各事務所で当番を決めて夜道を警邏。獲物を探してうろつく妖怪を逆に探し出して処理していく。警邏範囲が広いのと各事務所の人員事情から、よほどの大手でない限りは複数事務所合同で職務にあたる事になる。
それで重要なのが、夜廻り管理表だ。大手クラウドサービスが提供するファイル共有サービスを活用し、リアルタイムで更新されていく電子表に、どの事務所がどの日の夜廻りに誰を派遣するかを記載、同地区の処理屋は皆それを確認する事ができる。妖怪処理はとにかく連携が大事。どこの誰が自分と同じ時間帯に勤務しているかと言う情報は、いざと言う時にスムーズな救援要請を可能とする。
「直で会わせると言っても、プライベートじゃ口実が無いし……仕事にしても、あいつ、夜勤の方にはあんまり出て来ないのよねぇ……って、あら?」
どうやら女の予想に反し、話題に上がっていた【適任者】の名前がそこにあったらしい。
しかも、何やらとんでもないオマケまであったらしく、女は「げっ」と声を上げた。
「……どうしましたぁ?」
「……あの女、復帰してたのね。しかもあいつと同じ事務所……」
女の忌々し気な舌打ちが響く。
男は興味無さげに「それで?」と問いかけた。
「おあつらえ向きってやつよ。今夜、紹介してあげるわ。とびきりド天然、おそらく本人は自分が素直じゃないとは微塵も思っちゃいないアホ野郎を」
◆
鏡に映った不機嫌そうなおっさん。悲しい事にこれが俺、鋳森守助だ。
見ていて愉快なモンでもない。わざわざこうして鏡の前に立って睨めっこしているのには理由がある。
本日は急遽、久しぶりに夜勤の方に出る事になった。
と言う事でたっぷり昼寝をした後、これまた久しぶりにちゃんと鏡と向かい合って髭を剃る事にしたのだ。
別にフォーマルな場所に赴くって訳じゃない。さっきも言った通り、ただの夜勤。
昨日入社した新人とは名ばかりの新人・猪熊獅子と夜勤組の顔合わせに付き添いつつ、ヘルプに入るってだけ。
ちゃんと髭を剃ろう、と思い立ったのは……ただの気まぐれ。
まぁ、強いて言うなら久々にちゃんと顔を合わせる夜勤組への礼儀的な?
それから、昨日、グループメッセージで俺の笑顔をクソほど笑いものにしてくれた件についても毅然と抗議してやるために身だしなみを整える的な?
決して、これからは猪熊獅子と一緒に仕事していく事になる訳だからと襟を正している訳ではない。
そんな気合を入れる理由が無ぇ。
「……つぅかあいつ、大丈夫なのか」
シェービングクリームを顎に塗りたくりながら、ふと昨日の猪熊獅子の様子を思い出す。
終業時にはそれほど体調が悪そうには見えなかったが、昼の状態異常感は凄まじかった。
あれから何か症状が出たとか無いと良いが……。
「そういや、グループメッセージに参加してたよな」
洗面台の隣、そこに設置されている洗濯機の上に置いたスマホに目をやる。
グループの参加者一覧から友達に追加して、個人メッセージを送る事ができたはずだ。少し体調を確認してみるか。
クリームを馴染ませながら、片手でスマホを取って操作。
猪熊獅子のアイコン……デフォルト設定のままかよ。
こういう所に凝らないのは、あいつらしいっちゃあいつらしいが。
とりあえずアイコンをタップして、友達追加…………友達……。
いや、このアプリで言う友達に深い意味が無いのはわかってる。わかってるよ?
でも何かこう……わからん、何だこの抵抗感。
あれか、学生時代はひたすら敵対視してた相手だから、本能的に違和感があるのか?
ってかいくら職場の同僚だからってそんな軽率に個人メッセージを送りつけて良いのか?
割と普通にウザいぞ、先輩からのメッセージ。毎日毎日クッソどうでも良い事ばっか送ってきやがるし既読スルーすると次に会った時にさらに鬱陶しい地獄の二段構え。
俺があれを誰かにやるのか? そうだ、これはそう言う気遣いだ。何かしらにビビっている訳ではない。
大体、あいつだってガキじゃあねぇんだ。体調が悪けりゃあ、きちんと空御津さんに連絡するさ。うん、俺が個人的に確認するような事じゃあない。だから友達追加は次の機会に……。
「…………………………」
……あいつ、スランプだかイップスだかになってんのに復帰したり、明らかに風邪引いてんのに風邪じゃねぇと言い張ったり……変に気張り過ぎる節があるっぽいんだよなぁ……。
「……あー……」
同期だから言いやすい、って事もあるかも知れない。
何故か謎に震える指に気合を入れて、うるさいくらいに脈打つ心臓を抑えるために少しだけ息を止め――友達に追加する。
「……ぷはっ……何だこの緊張感」
まぁ、追加した以上もう後戻りはできねぇ。向こうに追加申請の通知がいってるだろうからな。もうヤケクソだ。体調確認のメッセージを打ち込んで、送信――ってうお、秒で既読がついた。
……だが、メッセージのトップに「相手からの申請許可を待っています」と言う文言が表示されたままだし、しばらく待っても猪熊獅子から返信が来る気配が無ぇ。
それから少しすると、変化が起きた。猪熊獅子のアイコンが、何やら可愛らしいイノシシのデフォルメキャラクターに変更されたのだ。あざといくらいに可愛らしい、まるで女子力をアピールするようなアイコンだ。何故このタイミング?
そして一向に返信こないの何故?
「…………………………」
………………………………。
……………………………………。
「…………………………………………はぁ」
………………どんだけ俺のこと嫌いなの、あいつ。
◆
普段、俺は基本的に徒歩通勤だが……今日は、車を出す事にした。
姉貴のお下がりのボロ軽。でもまぁ社用車よかマシだ。車内も、今日の午前中で車内クリーニングしてもらったばかりだからフローラルな香りに満たされた清潔空間だぜ。
理由としては……まぁ、久々の夜勤だから?
長い事、昼型人間だった訳だよ、俺は。それが急に徹夜で妖怪処理する訳。きっと帰りはくたのくた。歩きよりかは交通量の少ねぇ夜明け直後の道をのんびり車転がして帰る方が楽そうだなってだけよ。
あと、ついでもついでの超絶ついでな理由だが、昨日の帰り際に猪熊獅子が電車通勤だって聞いたのもある。夜勤終わりだと電車の始発までは微妙に待ち時間が出ちまうだろうし、まぁ同僚なんだから送ってやらない事もないぜ的な?
三日月に覗かれている駐車場に車を停めて、オフィスへ向かうと――丁度、入り口を開けようとしている猪熊獅子と遭遇した。
「ン。よう、猪熊獅子」
「…………………………」
「昨日も言ったが、もう目を合わしやがらねぇ事については諦める。だが、無言は無ぇよなぁおォい……」
こめかみの血管がパンパンになっちまうぜこのヤロウ。
「……そ、その……ぁの……ごめん。メッセージ……」
「あン?」
……ああ、既読スルーどころか現在進行形で友達申請すらスルーされてるアレか。
何故か知らんけどメンタルに結構きたから、ちょっと記憶から消していたぜ。
「別に。その様子じゃあ風邪って訳でも無さそうだし、もう良いわ」
「け、決してスルーしたかった訳ではなくて……その……なんて返せば良いか、わからなかったというか……突然の事で気が動転して……友達申請も、必ず……必ず承認してみせるから……」
「何だその意気込み」
こいつに取って俺を友達承認するのはそこまでハードルが高い事なのか……。
別にヘコむような事じゃあねぇけど、何かテンション下がるわぁ……。
「ところでその……ボクのアイコン、どう思った?」
「アイコン? ああ、あのイノシシのキャラクターか?」
どう思ったって……何だその質問。意図がよくわからん。
「まぁ、可愛いキャラクターだなとは思ったが……」
「………………」
それは何のガッツポーズなんだ猪熊獅子。
俺はテメェの事がまるでわかんねぇよ猪熊獅子。
「よう若者二人。入口でイチャイチャしてんなよ!」
ふと、背後から飛んできた茶化すようなおっさんの声。
振り返れば、声色通りの中年男子が一人。でっかいサングラスに、前を大胆に開けた制服から覗くアロハだかカリユシだかの派手柄なシャツが特徴的。もう少し大人しい恰好してりゃあナイスミドルって奴なんだろうが……どう足掻いてもちょい悪オヤジって感じだ。花飾りを首からかけてウクレレ持たせて浜辺に設置したい。
「あー、お疲れ様です。白鐘さん。誰もイチャついてねぇッスよ」
どうしてこう、おっさんってのは男女が話してるだけですぐイチャイチャだ何だ言い出すかね……。
この人は白鐘麟治。芦夜妖怪相談事務所所属の夜勤専門処理屋だ。夜勤専門な理由は、二児のパパさんとして日中お忙しいから。ちなみに先輩から与えられしあだ名はリンリン。相変わらず、先輩の男版かなってくらい陽気な人だ。
で、今にもがははと笑い出しそうな陽気スマイルの白鐘さんの背後には、真逆の雰囲気を纏った黒ずくめのお姉さん。長い前髪の隙間から、墨を垂らしたようなどす黒い瞳の四白眼でじいっとこちらを見ている。白鐘さんの背後霊……ではない。
「影沈さんも、お疲れ様です」
影沈詩束。こちらも夜勤専門。観測術師だ。夜勤専門な理由は太陽が嫌いだからだそうで。ちなみに先輩から与えられしあだ名はヅカぽ。
影沈さんはちらりと猪熊獅子に視線をやった後、また俺を見て、特に何を言うでもなく「フフッ」とニヤけ笑い。相変わらずミステリアス系と言うか、不思議な人だ。
「んで、そっちの子が新人の? どもー。夜勤の白鐘だよ。みんなのパパ的なポジションを目指してっから、気軽にリンリンって呼んでくれ」
「…………影沈、詩束。ヅカぽ」
白鐘さんと影沈さんが揃って猪熊獅子へ自己紹介……って、なに固まってんだこいつ。
「イチャイチャ……」
「おい。さすがに先輩方の挨拶はちゃんと返せ」
「はぇ、ぁ……」
何か考え事でもしていたらしい。猪熊獅子はハッとしたように首をブンブン振ってから、気を取り直してぺこりとお辞儀した。
「はじめまして、猪熊獅子虎狐狼です。これからよろしくお願いします」
「おーおー、どっかの生意気なモリモリと違って、色々と素直そうな良い子だ」
「……フフッ」
お? ケンカか?