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06,ポニテ荒ぶるランチタイム。


 結局あのあともう二件、地安からの依頼をはしごする事になり。

 俺たちが事務所に帰り着いたのは正午過ぎ。雨は止んでいたが、曇り空は相変わらずだった。


「お疲れサン。無茶させて悪いね」


 オフィスで出迎えてくれた空御津さんが「糖分は疲れに効くんだよ」と棒キャンディーを差し出してきたので、「どうも」と会釈して受け取る。棒キャンディーの味が好みだったらしく、隣の先輩が相変わらず鬱陶しい。その小さな頭の向こうで、猪熊獅子は受け取った棒キャンディーをじいっと眺めていた。


 ……浮かない顔、だと思う。多分。マジで表情が読めないけど、おそらく。何か俯いてるし。

 疲れ……と言うか、気疲れ、だろうな。


 結局、ここまでの仕事の中で猪熊獅子が識紙を使う事は無かった。


 いや……「使えない」って感じだったな。

 様子を見る度に、ポーチに手を伸ばしては硬直を繰り返していた。


 ありゃあ、多分……。


「とりあえず、時間も時間だ。昼飯にしよう」


 空御津さんの言葉に、先輩が大きくぴょんと跳ねる。


「お昼だ♪ お昼だ♪ ランチタイムだよモリモリ!!」

「先輩、本当に元気ッスね……」

「それだけが取り柄だもの!!」

「他にもあるでしょうよ、一応」

「惜しい!! 一応がついてなければ『普段は先輩を舐め腐ってる生意気後輩が実は先輩を評価している事が露呈する』とか言う胸キュン発言だったのに!!」


 先輩に不整脈をお届けせずに済んで何よりだよ。

 あと社会人としては舐め腐ってるけど、処理屋としてはちゃんと尊敬してますよ。それを言うとクッソ調子に乗って忘れ物の頻度が増えるとか有り得そうだから、絶対に口には出さんけど。


「さて、昼飯……」


 俺はいつも通り、コンビニで適当に何か買ってくるとして。

 空御津さんと先輩は弁当持参組だが、猪熊獅子はどうなんだろうな。いや、別にどうでも良い事ではあるんだけども。同じくコンビニ組だったら、ほら、別々に買いに行くってのは非効率的だから俺がまとめて買ってきてやらんでもないぜ的な話であって……。


「あ、モリモリ! 伝統を忘れちゃダメだよ!!」

「伝統ォ?」


 いきなり何を言ってんだこの小さい生き物は。


「やっぱり忘れてる!! モリモリが入社した時も、ミニミニ先輩もきっちりやってあげたでしょー!!」

「あァ? …………あー、あれッスか」

「伝統……?」


 相変わらずこっちを見ねぇ猪熊獅子の質問。

 心はしんどいけど少し慣れてきた感はある。


「……うちの事務所はな、新人が入ったら教育係が初ランチを奢ってやるのが伝統なんだとよ」


 俺が入社した時は教育係とかつかなかったけど、何か先輩がその伝統で奢ってくれた。


 今回の場合は、俺が猪熊獅子に……って事か。


「モリモリも、たまにはちゃんとしたものを食べる良い機会だよ!!」

「コンビニ飯を舐め過ぎだろ先輩」

「コンビニ飯を信じ過ぎだよ後輩!」


 コンビニ飯つってもミルクプロテインとか玄米おむすびとか冷凍ブロッコリーとか健康志向系もあるんだぞ……まぁ、コンビニ飯への偏見は置いといて。


 猪熊獅子と飯、か……まぁ、伝統だからしゃあない。


「つぅ訳だ。行くぞ猪熊獅子……って、何でいきなり俺の顔を撮ってんスか先輩」

「いや、予想通りスーパー良い笑顔が出たから、グループメッセージでみんなに共有しようかなって」


 そんな良い笑顔は断じてしていないから今すぐ消せ。

 あ、クソッ。もうスマホに通知が!



   ◆



 信号待ち、うんざりしながら通知が鳴りやまないスマホの画面を点けてみる。


「……どいつもこいつも、人の面で笑い散らかしやがって」


 誰だよこの爽やか好青年的なコメントと共に草が生い茂るグループメッセージの通知をオフにして、スマホを消灯。なんとなく肩越しに振り返ると、猪熊獅子と一瞬……いや、刹那だけ目が合ったが、ポニーテールが残像の尾を引く速度で顔を逸らされた。

 ……何かもうあれかな。来世に期待した方が良いのかな。


「……おい、もう顔を見て話せとは言わねぇからよぉ……店か、せめて飯のジャンルくらいリクエストしてくれ。俺は女子が行きたがる店とか食いたがるモンなんて知らねぇんだよ」


 バエルがどうのとかまるで理解できねぇ。

 いや、待てよ……そう言えば行きつけのラーメン屋が「ガチのラーメン女子に捧ぐ」とか言って背脂メガトン級の新メニュー出してたよな? あれで良い……のだろうか? 何か本能がダメだと言っている気がする。


「……その、鋳森くんが連れてってくれるなら、何でも良い……的な……」

「あァ?」


 これが「ごはん何食べたい?」に「何でも良い」と返された時の母の気持ちか。

 今度、実家に帰った時はちゃんと答えるようにしよう。これ結構あれだわ。素直に腹立つ。ナンの専門店にでも誘ってやろうか。


 ……待てよ。インド料理、良くね?

 何か見た目も派手だからSNSがどーの的にも良いだろうし、意外とヘルシーだからイマドキ女子必見だどうたらとネット記事の見出しになっているのを見た事がある。


 この辺にインド料理屋ってあったっけか、と検索すべくスマホを再度点灯させて……。


「ぁの、鋳森くん」

「ん? ンだよ。やっぱ何か食いたいモンがあんのか?」

「……何で、何も言わないの?」

「はァ?」


 いきなり何言ってんだこいつ。


「さっきから何度も何が食いたいか訊いてんだろうが。理不尽の権化かテメェは」

「そうじゃなくて……その………………」

「そうじゃないぃ……?」

「………………」


 テメェは面で何が言いたいか読めねぇから、ハッキリ口に出して欲しいんだが……まぁ、そんな簡単に言える事なら口ごもったりしねぇか。

 信号が青に切り替わったので、歩を進めながら少し首を捻って考えてみる。


 何で何も言わないのか、つまり、普通なら何か言うべき事を俺がスルーしてるって事か?

 再会の挨拶は一応したし、目を合わしやがらねぇ事も、リクエストしやがらねぇ事も何度か言ってるから違うよな……。


 他に何か俺がこいつに言うべき事ってあるか……?


 ああ、もしかしてあれか。前に先輩や空御津さんが言ってた――


「大人っぽくなったよな。化粧とかしてんのか?」


 女子のオシャレはとにかく褒めろ、って奴。


「え、あ、うん……その……ありがとう。今日のために、少し、頑張ってみた……けど、今は違うと思う」


 今は違うのかよ。


 じゃあ何だ?

 歩きながら軽く振り返り、何やら口の端をもにょもにょさせている猪熊獅子の姿を細かく確認してみる。


「あー…………………………髪、切った?」

「切ってないけど……」

「爪……は普通だな」

「うん」

「服は……俺と同じ制服ツナギだもんなぁ……」

「おそろい……」

「…………………………」

「…………………………」


 ……なにこれ、俺は一体なんのクイズに挑戦してんの?


「……すまん、猪熊獅子。サッパリわからん」


 お手上げ以外の言葉が見つからねぇ。


 ふと猪熊獅子の足が止まった。俺も合わせて止まる。


「……その、識紙」

「識紙? ……………………あー、なるほど」


 そう言う事か。


「何で、妖怪と遭遇しても識刀すら起動しやがらねぇのか……って話か?」


 おそるおそると言った感じで、猪熊獅子が頷いた。


 確かに、この一事だけを切り抜けば妖怪処理屋としては理解不能な行動。糾弾すべき愚策の極みだろう。

 だが……。


「いわゆるスランプとか、イップスって奴だろ?」


 過去の失敗がトラウマになって、上手く動けない。

 詳しくはねぇが、スポーツ選手なんかがよく発症する精神的な病気だと記憶している。


 猪熊獅子はかつて、妖怪と戦って、殺されかけた。なら、妖怪との開戦を示唆する『識紙の起動』と言う動作に恐怖を覚えちまうのは、仕方の無ぇ事だと思う。


「精神的なモンにキーキー言うほど世間知らずじゃあねぇよ」

「……でも……何でそんな状態で、処理屋として戻ってきたのか……とか」


 まぁ、妖怪と戦うのに支障のある状態なら、裏方に回るなり、まったく別の職に就くのが普通だろうな。それが常識的だ。特に、妖怪処理屋は仲間の些細なミスで誰かが死ぬ可能性もある危険な仕事だし。


「自分からンな事を言い出すからには、そう言う批難をされるかもって予想はしてた訳だ」

「…………………………」


 こくりと頷く猪熊獅子は、ほんの少しだけ下唇を噛んでいるように見えた。


「……キミが見ていてくれるなら、きっとどうにかなると……思ってた」


 どう言う理屈だ……? 永世一位のプライドにかけて、永世二位の俺の前で情けない所を見せられるか的な気持ちで克服しようとしてたって事か?

 それ俺に直で言う? 学生の時のあの発言と言い、マジで良い度胸してんなこいつ。


「それでもボクは結局……何も、できずに……ただ……迷惑をかけて……」


 ……目線を右往左往させながら、何かから自分を庇うように肘を抱く。

 これがあの猪熊獅子なのかと、少し脳が混乱する姿だった。


「でも、キミも、ミニミニさんも、空御津さんも、誰も……ボクを責めるような素振りが無い……」

「……そりゃあそうだ。経験者だろうが、四年もブランクがありゃあ新人と変わんねぇよ。新人が荷物になるなんざ当たり前だ」


 ……確かに、こいつが識紙を起動できずに固まっている姿を見て、内心、何も思わなかった訳じゃない。こいつが過去の傷を引きずる様に、正直、イライラした。ムカムカした。よくわかんねぇ怒りがこみあげてきてどうしようもなかった。

 でも、それでぎゃあすか喚き散らしたって「はいわかりました」と問題が解決する訳でも無ぇだろ。


「……識紙も起動できないなんて、新人以下だ」


 なにこいつ。超めんどくせぇ……あれか、何かネットで見たわ。自信を失くした奴が誰かに「そんな事無いよ」って言って欲しくてぐちぐち自虐する的な。でも実際問題として「識紙を起動できないなんて新人以下」って自虐が割と仰る通りですって話なのが死ぬほど面倒くせぇ。


 こりゃあ変に気遣ってフォローするよりも、直球をブン投げた方が良さそうだな。

 ボリボリと顎を掻いて溜息を吐きながら、頑なに目を合わせやがらねぇ猪熊獅子を真っ直ぐに見据える。


「ああ、仰る通りだよ。今のテメェは並の新人以下だ。うちにとやかく言う人がいないってだけで、そんなザマで何で戻って来たんだって文句を言う奴もまぁ世の中にはいるだろうさ」

「……………………」

「それでも、テメェは戻って来たんだろ」


 他に道がある。批難される。

 それを承知の上で、こいつは戻って来た。

 随分と自信無さげだが、腹の底にゃあ確かな覚悟があるはずだ。


 こいつは妖怪との戦いで、心身ともに大きな傷を負ったらしい。

 だがそれでも、こいつの心は折れてねぇ。折れてたら戻ってくるはずがねぇ。


「テメェは今、ちょっと躓いて、起き上がるのに時間がかかってるだけだ。なら、あとは時間の問題だろ。ゆっくりで良いから、そのスランプだかイップスだかを治せば良い。幸い、うちの事務所ならテメェの面倒を見るのもさほど苦じゃねぇし」


 うちは基本的に人員不そ……少数精鋭。昼勤はほぼ俺と先輩の空御津さんの三人組でこなしてきた。下級中級の妖怪なら三人で民間人を護りながらでも立ち回れる実力と経験があるし、上級以上が相手なら俺が鬼装を用いて妖怪の攻撃を引き受けるのがメインの立ち回りになる。猪熊獅子がとち狂って前衛に飛び込んで固まるとかしない限り、いてもいなくても負担は大して変わらねぇ。


 最初の仕事の時にも少し思ったが、芦夜さんがこいつを俺に任せたのはそう言う事だろう。俺の基本スタイルは、こいつが元に戻るまでのサポートとして最適だ。

 何だか、奇縁を感じる。「妖怪にやられて引退した処理屋を、引き戻すきっかけになるかも知れない」と期待されている鬼装が、まさにそれで引退していたこいつを完全復帰させるまでの要になる訳だ。


「心配すんな、フォローは任せろ。テメェは俺が護る。それで問題無ぇ、つぅ訳でこの話は終わりだ」

「…………………………」


 お、ようやく俺の面を見やがった……って、何だそのマヌケ面。

 何かちょっと潤んだ目ぇ見開いて、酸素不足の金魚みてぇに口をパクパクさせて、顔もまさに金魚みてぇに真っ赤で………………もしかして、


「おいおい……テメェまさか風邪でも引いたか?」

「ぇそっ」


 そういや、最初の仕事で雨に打たれて、そのあとは車の除湿空調で乾かしながら……って感じだったモンなぁ……。


「こりゃあ、昼飯どころじゃあねぇか……」


 何だか少し残念な気がするのは何でかサッパリわかんねぇが、心を治す以前に体を壊してちゃあどうしようもねぇ。ここは空御津さんにも連絡して早退させた方が――


「だ、大丈夫だから……!」

「いや、でもなんか目が潤んでるし顔が赤いし……」

「潤んでないし赤くないよ……!!」

「嘘下手か。自撮りしてみろ。茹でトマトみてぇになってんぞ」

「ボクは定期的にこういう顔になるんだ……!!」

「それはそれで何かの病気だろ」

「確かにそうかもだけど……! い、良いから……御飯、行きたいから……!!」


 そう必死に訴える猪熊獅子のポニーテールはまるでプロペラのように回転していた。

 こいつの髪の毛は筋繊維でも通ってんのかと戦慄してしまう。


「お、おう……まぁそこまで言うなら信じて連れてってやるけど……マジで体調キツかったら言えよ?」

「うん……! でも絶対に大丈夫だから……!!」


 必死過ぎるだろ。どんだけ飯を食いたいんだよ……食いしん坊か。

 って、そういやこいつ、高専の時に学食でどんぶりの山を作ってたな。うず高く積まれたそれに対抗心を燃やして、背中合わせに俺も大食いチャレンジした事があったっけ………………。


 ……検索枠に入力しかけていた「インド料理」と言うワードを消し、「食べ放題 大食いチャレンジ」と打ち直す事にした。


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