04,業種を問わず残業はクソ。
妖怪処理において慎重さと臆病さは美徳だ。
だが限度ってモンはある。たかが魑魅霊一匹の処理に時間はかけたくねぇ。
つぅ訳で、さっさと準備・確認を済ませて空きビルへと突入する。
「こっちだニャアニャア」
防塵ゴーグルで目と一緒に保護された鼻をスンスンさせながら、四つん這いで先頭を行く先輩。
先輩の鼻を頼りに、今は三階フロアを捜索中。匂いの濃さ的にこの階にいるだろうとの事だ。ここまで罠の類は無し。住処を要塞化するほどの頭は無い個体か、もしくはここに住み着き始めて日が浅いって所か。
ちらりと後方、猪熊獅子の方を確認してみる。
途端に、猪熊獅子はポニーテールがひゅんっと風を切るほどすごい勢いで俺から目を背けた。そろそろ俺だって泣いちゃうぞテメェ。
それはさておき……相変わらずこいつの表情はまったく読めないんだが……雰囲気がこう、どんどん暗くなっているような気がする。空きビルに突入してからはあからさまだ。
……まぁ、妖怪処理で大怪我して四年も姿を消していた訳だし、緊張すんなって方が難しいか。俺も復帰したばっかの頃は、自分で情けなくなるくらい動きが硬かった。
芦夜さんがこいつを俺に任せたのは、安全にリハビリをさせるため……って所か?
面倒だが……まぁ、俺向きではあるわな。
そんな事を考えていると、先輩が「ききーっ!!」とセルフで急ブレーキの効果音を言って急停止。
俺と猪熊獅子も合わせて足を止める。
……いた。
前方、廊下の行き止まり。何も貼り出されていない掲示板の前でふよふよと浮遊する無数の玉……色合いが黒紫なのも相まって、ブドウの妖精か何かに見える。典型的な魑魅霊だ。大きさもまぁ報告通り、先輩と同程度。
右耳に装着した通信機に指を当て、空御津さんへ速やかに報告する。
「遭遇報告。特徴、浮遊する黒紫色の玉の集合体。玉一つの大きさはソフトボール程度。集合体全体の大きさは小児程度。対象を通報にあった害性妖怪、魑魅霊と推定。妖気の放出は未確認。生身では感知できない程度の薄弱な妖気、現状は妖気隠匿の可能性を考慮。暫定的に下級五等または同三等妖怪と評価」
『報告確認。観測データを解析――評価に異論無し。妖気隠匿も考慮不要。対象の種族を魑魅霊、等級を下級四等と断定。初期想定内。このまま処理への移行を許可する』
「承知ッス」
「らじゃーニャア!!」
先輩の大声に反応して、ふよふよと漂っていただけの魑魅霊の動きが変わった。
ひときわ大きな黒紫玉を中心に、無数の黒紫玉たちがぐるぐると回転軌道を描き始める。
早速、臨戦態勢って感じだな。
『妖気の微増を確認。攻撃警戒。鋳森、前衛で陽動。小嵐は中衛から主攻。猪熊獅子は後衛待機、ただ念のため識紙は起動しておけ』
まぁ、いつも通りのフォーメーション、後衛に猪熊獅子が入るってだけだな。
ポーチから識紙を取り出し、識刀を起動する。
「識紙起動、識刀五輪。識型・地識」
俺の言葉に応えて、白い刃が黒く染まっていく。
左手に黒く変色した識刀を構え、右手は念のためいつでも他の識紙を使えるようにしておく。魑魅霊相手なら初手から識刀と飛弾で良いかもだが、まぁ、念のため、だ。妖怪処理なんて慎重に構えて損する事はほとんど無ぇ。
それに、先輩もいるし。
「識紙起動! 識筒飛弾・空御津改式!」
先輩は太い尻尾をばたつかせながら俺の後ろまで下がり、識紙を起動。
識筒飛弾は、本来は拳銃型の識紙。片手で気軽に扱える設計で、遠距離適正の低い識刀と合わせて牽制射撃目的で使われる事が多い。だが先輩の使う飛弾は空御津さんが改良を加えた特別製。拳銃とは呼べない領域まで銃身を含む各パーツが延長・増強され、狙撃用のスコープが追加されている。見てくれはまさに狙撃用ライフルだ。改造元が拳銃型だけあって狙撃銃と言ってもかなり小ぶりだが、合法ロリと呼んで差し支えない先輩には丁度良いサイズ。
丁度良いのは大きさだけじゃない。送り狼と御霊合体している先輩は、嗅覚で相手の正確な位置を特定できる。姿を消す・幻を見せる系の妖怪だろうが余裕で狙撃可能。それにあの太い尻尾をクッションにして発砲の反動も殺せると、総合的にもかなり相性の良い改造識紙だ。
「って、ん?」
猪熊獅子の奴、なに棒立ちしてんだ?
「おい、空御津さんが識紙を起動しとけつってただろ」
「……………………」
俺の言葉を受けて、猪熊獅子はポーチへと手を伸ばすが……ビクッと震えて、また固まった。
……何の冗談だ?
と、猪熊獅子の異変について思考を割く余裕は無い。
通信機越しに空御津さんの「さらに妖気微増、来るよ!」と言う声が鼓膜を叩く。
「ニンゲン……コロス!!」
わぉ、殺意が直球。魑魅霊なんて大体こんなモンだから驚きは無ぇが。
そしてその殺意を体現するように、魑魅霊を構成していた玉が一斉射。剛速球でこっちへ飛んできた。
まんま直球だな。対処し易くて助かるぜ。
細く短く息を吐いて、識刀を振るう。スイカ割りめいた心地好い反動が、識刀から俺の手に伝播。一つ玉を叩き斬る度に、パァンと軽快な破裂音が響き、汚い黒紫の霧が散った。一、二、三、四、五、六……っと。「他愛無ぇぜ」なんて余裕の一言を吐きたくなるくらい呆気なく、魑魅霊が飛ばしてきた玉はすべて虚空へ霧散した。
「ぎ……!」
それを見ていた本体と思われる大きな玉が呻いたが、直後、パァンッと音を立てて弾け飛ぶ。
先輩が狙撃銃でド真ん中をぶち抜いたのだ。
「ナイスショット。処理完了ッスね」
「えへへのへっそい!! もっと褒め称えて良いぞよ後輩!!」
……と、調子に乗れていたのも束の間。
肌を刺すような気配――強烈な妖気がぶわっと噴き出した。
あー……これ多分、あれだなぁ……。
「はぁ……魑魅霊の死骸から強烈な妖気放出を確認。解析要請」
『あいよ。妖気照合――ヒット。まぁ予想はついていると思うけど、【陰摩羅鬼】だね。妖気から等級は上級二等と断定』
「【残業鳥】を引いちまったか……それも上二かよ」
「ついてないニャア」
陰摩羅鬼……生物の死骸から死骸へ転移して渡り歩く鳥型の害性妖怪だ。主にできたてホヤホヤの死骸からわき、その周囲にいる生物を喰らう。別名を【羅刹鳥】。こうして処理した妖怪の死骸からわいてくる事もあるので、妖怪処理屋界隈では【残業鳥】と呼ばれ忌み嫌われているクソったれ。
何がクソかって、終わったーと言う達成感をぶち壊しにされる挙句に……普通にクソ厄介なんだよなぁ。
「クエエエエエエ!!」
ああ、できれば聞きたくなかった甲高い鳴き声。霧散していく黒紫の玉を引き裂いて、鋼の嘴が顕現する。本当に見ているだけで嫌になる。嘴も、羽毛も、鶏冠も、爪も、何から何まで鋼鉄製のメタリック鶏野郎。大きさも成人男性を一口でぺろりといけそうなメガ盛り巨体ときた。
陰摩羅鬼の巨体が突然転移してきたせいで、天井や壁がバキバキと破壊されていく。
「……やべぇな、天井が崩れそうだ。一旦退避しましょう」
「異議無しだニャア」
『サイズが大きい。そのビルじゃあ屋内戦は無理だね。屋上まで誘導しな。緊急事態だ、邪魔なドアや壁は破壊して良し。全部妖怪のせいにして報告するから余計な配慮は不要だよ』
妖怪のせいなのねそうなのねってか。
修繕費をケチった代償が命とか冗談じゃあねぇからな、助かる。
さて、相手は陰摩羅鬼。何をせずとも手近な生物――俺たちを追っかけてきてくれるだろう。誘導に関しては問題無いが……普通に走って逃げたら余裕で追いつかれる。まずは少し足止めだ。
「識紙時間差起動。即席防壁、捕縛磔鎖」
識を流し込んだ識紙を二枚、陰摩羅鬼の方へ放る。時間差で起動し、まず出現したのは地面からボコっと生えだす即席の黒い壁。加えて、そこに組み込んだもう一枚の識紙が起動。黒い壁の表面を穿ち、黒い無数の鎖が陰摩羅鬼へと噛みついて拘束開始。
「クェエエア!?」
近年開発された最新版二大足止め識紙、その合わせ技だ。真っ黒な見た目通りどっちも強度全振りの地識タイプだぜ。上級二等とは言え、何秒かは動けねぇだろ。せいぜいピィピィ鳴いてろ。
つぅ訳で急ぎ踵を返して――って、あんの動物園、いつまで固まってんだ!?
「おい、猪熊獅子!!」
「ぇ、あ……」
ったく……ダメだこりゃあ。完全に体が動きませんごめんなさいって感じだ。
……まぁ、仕方無ぇわな。事情は知らんけど、四年ぶりの復帰戦だ。そんくらいのヘマは大目にみてやるし、教育係らしく世話も焼いたらぁ!!
「後でセクハラとか言うなよ!」
「……!?」
擦れ違い様、猪熊獅子の腹に手を回して、掬い上げる形で肩に担ぐ。お、腹筋はきっちり堅いな。もしぷにぷにだったら「いや、処理屋に復帰すんなら体造りサボってんじゃねぇよ!」とお説教してた所だ。
「ぃ、いも、いもも、いももももも……」
「いもいもうっせぇ! 芋が食いてぇなら後で奢ってやっから黙ってろ! 舌ぁ噛むぞ!」
「ちがっ、いも、鋳森くん、その、自分、自分で走れるから下ろ、おろろろろろろろろ」
「うおおおおお吐いてないよな!? 吐いてないよね!? 何なのマジで情緒と体調大丈夫!? つぅかテメェ俺の一張羅にゲロついてたらマジで許さねぇかんな!?」
あとクソ長ポニーテールがめっちゃビチビチビチビチと跳ね回ってて鬱陶しいんですけど!?
テメェこの仕事終わったら髪の毛おだんご結びにしてやるから覚悟しとけよ!?