03,犬がニャンと鳴く。
芦夜妖怪相談事務所の社用車は「よく未だに車検通るな」と呆れ果てるオンボロ軽自動車だ。
その脇腹には格子模様を下地にしたウチのロゴマークが刻まれているが、ほとんど掠れている。
助手席には着脱式のパトランプと年季の入ったハンドスピーカー。
まずはパトランプを取って、運転席の真上にペタっと装着。地安からの案件は基本リアルタイムで被害拡大の可能性がある事件だ。なので、それに対処する妖怪処理屋の移動車両も扱いは緊急車両になる。
パトランプがしっかり接着できているのを確認した後、ハンドスピーカーは合法ロリ先輩に渡して、運転席に入る。
先輩がぴょんぴょこ跳ねながら助手席に乗り込み、猪熊獅子が静かに後部座席に座ってドアを閉めたのを確認。エンジンをかけると共に、点灯したカーナビが通信開始。すぐにオフィスの空御津さんと繋がった。
『おう、聞こえるかい?』
「ばっちりだよ~! 電波ばりさん!!」
「先輩うっさい。車内でスピーカー使わんでください。うッス。聞こえてます」
『対象ポイントは四丁目にある空きビルだよ。詳しい位置情報はナビに送信した。その他の詳細は各員端末に別個送信してある』
ナビを確認しながら、駐車場を出て車を走らせる。
リモコンでパトランプを起動して、助手席側の窓を開放。
「先輩。よろしゃーす」
「あいあいさんでー!!」
鬱陶しいくらい元気の良い返事と共に、先輩が窓の外へニュッとハンドスピーカーを出し、構える。
「やっほー! ご町内の皆さまー!! 朝からうるさくてごめんなさい!! 毎度おなじみ芦夜妖怪相談事務所の愉快な仲間たちでーす!! 悪い妖怪が出て急いでるから道をあけてねーー!!」
平日の朝で通勤通学ラッシュも過ぎた今の時間帯、繁華街の交通量はそれほど多くない。正直、わざわざ道を譲ってもらうまでも無ぇが……まぁ、規則なんで。先輩にはアホみたいなアナウンスを続けてもらう。てかアナウンス無しでこの合法ロリを隣に乗せてっと、絡みが鬱陶しくて仕方無ぇ。
「……あの、ぃ、鋳森くん」
「ン?」
声をかけてきた猪熊獅子をバックミラーで軽く見る。相変わらず、顔を少し赤くして目線を逸らしてやがる……どんだけご立腹なんだよ……ああ、本当に何で昔の俺はあんな乱暴な事をしてくれやがったんだ……永遠に恨むぞ、若き日の俺。
「……ンだよ? 何か質問……って、ああ、そういや、さっき答えてる途中だったな」
確か、芦夜さんの【いつもの】についてか。
俺の推測に、猪熊獅子がこくりと頷くのが見えた。どうやら俺のスカウトの時と違って、芦夜さん自身からは聞いてないみたいだな。
「芦夜さんは代々妖怪処理屋の家系なんだ。俺らみてぇに資格を取って処理屋になった訳じゃなくて、陰陽師の流れを汲んでる世襲系の処理屋。陰陽師は知ってるよな? 高専でも処理屋の歴史として詳しく習うし」
陰陽師ってのは妖怪処理屋の原型になった公務員。妖怪処理業務だけでなく、占星術で国の行く末を見て政治に口を出す時代もあったそうだ。
「だから芦夜さんも占いが得意なんだよ。気持ち悪ぃくらいによく当たる」
「……よく当たる占い……」
「つぅか、予知の領域に片足つっこんでやがるぜ、アレは」
例えば……ある事件をきっかけにやる気を失くし、業界から去った天才がいた。そいつの所在を占い一発で見つけ出し、更にそいつが業界に戻ってくる条件も占いで探り当て、スカウトする……なんて事をあの人はヘラヘラと笑いながらやってのけた。
猪熊獅子がウチに来たのも、あの人が俺の時と同じように……って感じだろう。
「誰かに話すと占いの結果が変わるとかで、いつも後出しでしか教えてくれねぇが……まぁ、ウチの社訓みたいなモンだ。『所長が推す事は、とりあえず実行しとくのが吉』。だからまぁ、所長が俺に教育係をやれって言うからには……そうすりゃあ上手くいく何かがあるって事だろ。今はその何かが何なのか、サッパリわかんねぇけど」
「…………………………」
バックミラーでちらりと様子を伺うと、何やら猪熊獅子の雰囲気が暗くなっているように感じた。やはり表情の変化はほとんどないが……僅かに顔の赤みが引いて、目線が下がったような気がする。
……訳あり、か。それもそうだろうな。
世間で大騒ぎされて、四年くらい完全に公の場から姿を消してたんだ。何も無ぇはずが無ぇって話だ。
詳しく話を聞いた方が良いのかもだが……今は後回しだな。
運転の片手間に聞いて良い話じゃなさそうだ。かと言って、いくら交通量が少ない時間帯でも運転の方を片手間にする訳にもいかねぇ。運転中に気を散らすとかダメ絶対。特にこんな時々そこかしこから謎の快音が鳴るオンボロ車を転がしてる時は。
そろそろ買い替えてくんねぇかなぁ……。
「ちなみに芦夜妖怪相談事務所は本日、期待の新人が入りましたァー!! モリモリ加入以来一年ぶりの可愛い後輩ヤッター!! ミニミニってば後輩ガチャでSSR引き過ぎ問題!! わたしこんな幸せで良いのかしら~~~!! と言う訳でわたしの人生にウイニングロードを、即ちは道をお譲りください!!」
「何の演説してんだあんたは!!」
運転中に気を散らさすな合法ロリィ!!
◆
と言う訳で、件の空きビルに到着。
人が立ち入らなくなって日が浅いらしく、廃れた感じのしない小綺麗な五階建ての雑居ビルだった。
どの階にも看板や貸し出し中の表示は無し。代わりに取り壊し工事の着工予定日が貼り付けられている。廃墟にでもなったら妖怪の温床だからな。使わないならとっとと壊してくれるのがありがたい……まぁ、今回は間に合わなかったみたいだが。
入口には立ち入り禁止を訴える黄色いテープが張り巡らされ、それを見張るように青い制服の警察官が二名、直立不動。お勤めご苦労様ですって感じだ。
ビルの前に車を停めて、降りながら右耳に通信機を嵌める。観測通信用識紙【順風耳】。通信機能に加え、装着者の位置情報や周囲の妖気・識反応を細かに記録しつつ観測術師へリアルタイムで送信してくれる便利通信機だ。
警察官のお二人が敬礼と挨拶をしてきたので「お疲れ様です」と会釈を返しつつ、通信開始。
「現着しました。位置情報と音声、その他もろもろの観測系、大丈夫ッスか?」
『問題無いよ。そっちはちゃんと聞こえてる?』
空御津さんの通信機越しの確認に「問題無いッス」と返す。
『まぁ無いとは思うけど念のため確認。識紙ポーチはちゃんと装備してるかい? 突入前に中身の確認もしておきな』
「うッス」
腰のポーチを軽く手で叩く。こいつを忘れて出動とか笑えねぇ。
中身の確認……つっても、俺はそこまで使う識紙や道具が多い方じゃあねぇからな。
識刀、防壁、磔鎖、飛弾、鬼装にそれから特殊防護系と解呪系……あとは先輩をフォローするための用品各種。
それぞれ咄嗟に取り出せるように収納位置を再確認。記憶通りだ。問題無し。
識紙や対妖怪戦闘に必要なモンは常に準備を怠らねぇ。妖怪処理屋に取っては普通の事、だが……。
「あ!」
明らかにやらかした系の声を上げたのは、子供用サイズの防塵ゴーグルを片手に自身のポーチをがさごそしていた先輩。
「マロンに供える用の骨ガム忘れた!」
「だろうと思いましたよ」
ポーチのサイドポケット、通称:先輩フォローゾーンから小型ワンちゃん用のミニ骨ガムを取り出し、先輩に渡す。
「ありがとう! さっすがモリモリ、いっつも頼りになる後輩!」
「いつまでも後輩を頼るなよ先輩」
「いつだってちょいちょい辛辣な後輩ッ!!」
「……骨ガム?」
と、首を傾げつつもしっかり俺から目を逸らしていやがる猪熊獅子。
「先輩は【御霊使い】なんだよ」
どこの物好きトンチキが始めたか知らねぇが、【御霊信仰】っつぅ宗教の考え方をリアルの妖怪に適用した連中が【御霊使い】だ。簡単に言えば「見返りをよこすなら人間に協力するのもやぶさかじゃあないぜ系の妖怪」を使役して妖怪処理を行う処理屋。
妖怪の恩恵でフィジカル面を補強できるから、先輩みたいに小柄で華奢な人向けのスタイルだな。
「ふっふっふ~。それじゃあ早速、ココロンにミニミニ&マロンのコンビプレーを見せつけてあげやう!!」
御霊への供物を忘れやがったとは思えねぇ堂々たる態度。さすが先輩ってか。
先輩はどや顔のまま防塵ゴーグルを装着し、骨ガムを天に掲げて「ここ来いワンワン!!」と元気に叫ぶ。すると、向こうの路地裏からぴょこっと小型犬が顔を出した。柴犬とチワワ辺りの雑種かな。あれが先輩がマロンと名付けて可愛がってる御霊さまだ。
マロンは「わふっ!」と楽し気に吠え、一目散に先輩へと突進。ぴょんぬと跳び、先輩の低い頭にしがみつく。
「いざや見よ、御霊合体!!」
無意味な先輩の掛け声と共に、小型犬が発光。
光が止むと、そこには犬っぽい三角耳とタヌキめいて太いモフモフ尻尾が生え、掌のぷにぷに肉球を自慢げに見せびらかす合法ロリの姿が。
「これぞお仕事がんばるぜと言う意志を纏いし伝説のミニマロン! ニャアアア!!」
「さっきの小型犬は【送り狼】もしくは【送り犬】っつぅ妖怪だ。山道で人を襲う事もある半害性妖怪だが、供物さえ捧げりゃあすぐ人間になつくから、御霊使いの間じゃあポピュラーな妖怪らしいぜ」
「可愛い後輩すぐ無視する!! 悲しみのニャアアアアア!!」
「これぞ後輩の肩によじ登ってわざわざ耳元で騒ぐんじゃねぇよと言う意志を纏いし側頭部への指突」
「にゃだぁ!? ドメスティック・バイオレンス!?」
強いて言うならオフィス・バイオレンスだ。
あとゴーグルの耳ゴム部分を軽く打つ程度で済ませた後輩の優しさに感動しろ。
と、そんな俺と先輩のやり取りを、猪熊獅子はポカンと眺めていた。
テメェも言ってやれ、アホな事ばっかしてんじゃねぇぞって。
「……犬と合体したのに、ニャーって言ってる」
そっちかよ。
「ココロン、ナイスツッコミ!!」
「え、あ、はい……?」
「初めてそこツッコミ入れてもらえたのニャア!! 何年もツッコミ待ちしてるのに誰もツッコんでくれなかったんだニャアアア!! おかげで最初は冗談で付けてた語尾だったのにもう染み着いて直らないニャア!!」
「アホがアホな事をニャアニャア言ってら」
「モリモリアウトォ!!」
おっと失言。
「いつも口が悪くてすんません」
「ちゃんと謝ったから許すニャア!!」
「どうも。んじゃあ先輩。索敵よろしゃす」
「ふっふっふ! 先輩に任せにゃさい!!」
空御津さんからもらった情報によると。
今日の夜明け頃、市民からの通報があったそうだ。
この廃ビルに、ふよふよと浮遊する黒紫色の玉の群れが入っていくのを見た、と。
通報内容の情報は少ないが、まぁ推測される妖怪は【魑魅霊】だろう。
人間の負の感情から零れる識の断片や、妖怪が遺す怨嗟の残滓がそこらの雑草や小動物の識を吸い取って妖怪化したもの、だと言われている。つまり、時間が経てば経つほど力を蓄積していってヤベェ事になる妖怪だ。その危険度は単純に大きさで測れる。
通報内容詳細によると今回の奴の大きさはせいぜい小児くらい……この合法ロリと同じくらいのサイズだろうな。
下級の中でも下の方だろう。
妖怪の力がピークに達するのは夜。
日中は今回のように、廃墟など陰気臭い所に身をひそめる。そこを叩くのが妖怪処理屋の昼勤業務って訳だ。
まぁ、夜よりは弱まってるとは言え、陰気の強い場所じゃあ夜並の強さになる奴もいるから、油断はできない。それに何より、妖怪は基本的に狡猾だ。日中の住処を要塞化していたって何の不思議も無ぇ。
だから、ここは先輩の【鼻】を頼る。
マロンと合体した先輩の鼻は、通常の嗅覚強化に加え妖怪や識の匂いの探知にも秀でる。
妖怪がどんな罠を仕掛けていようが、そいつを探し当てて解除しながら進めるって訳だ。
つぅ訳で頼みましたよ、先輩。
「ふんすふんすのくんかくんか! この匂いは……モリモリ!」
「何スか」
「朝は茹で卵だけで済ませたニャア!? 朝御飯はちゃんと食べないとダメだニャア!!」
「……残り香だけで朝飯を当てるたぁ、恐れいる嗅覚ですよ本当」
「どんなもんだニャア!!」
「ええ、すごいすごい――その調子でちゃんと仕事しろよ合法ロリ」
「後輩の目が何か恐い!!」