10,モリモリ誘拐事件。
「美味しかった。ありがとう」
朝食を終え、レストランの駐車場に停めた車に乗り込む。
助手席に乗り込んだ猪熊獅子は、満足げに腹を撫でながらふぅーと息を吐いた。
「何べんも言ってるが、俺が礼を言われる事じゃあねぇ」
「いや、その……また奢ってもらっちゃったし……」
「急にメシ誘ったのはこっちだ。いちいち気にかけんな」
食べ放題つっても、端金で食えるモンじゃあねぇからな。予定してなかったメシに連れて来といて金は自腹でドーゾとか、さすがにどうよ。
「で、本当に駅までで良いのか?」
「うん。もう電車は動いてるし、さすがに家まで送ってもらうのは申し訳無いし……」
まぁ、考えてみりゃあそうか。いくら高専の同期で現同僚とは言え、他人に住所を教えんのは気が退けるわな。歳は充分に食ったつもりだが、未だにちょいちょい自分の思慮の浅さを知る事がある。人生って長ぇなぁ……。
「んじゃ、駅まで了解……お?」
シートベルトを嵌めた途端、スマホに着信。
送信者は……芦夜所長だ。
「へぇ……」
「……? どうしたの?」
「今日の昼、所長が事務所に顔を出すってよ。またすぐ出張に出るらしいけど」
ついでに、俺が頼んでいた識紙の試作版と出張先の御土産を事務所に置いておく……と言う業務連絡だ。
今年の始めくらいに頼んだ奴なんだが、もう試作段階まで来たのか……やっぱ陰陽師の名家さまからの申請だと、妖怪処理連盟の認可が出るのも早ぇな。所長様様だぜ。
「どうせ今日非番でもやる事なかったし、丁度良いわ」
ちゃっちゃと受け取って、少し慣らし運転をしてみてぇ。
「……ボクも、顔を出そうかな」
「はぁ? テメェも非番だろ?」
「それは……その……あれ」
「あれ?」
「えっと、ほら。所長さん。スカウトされた時から挨拶もできてないし」
「確かに所長はレアキャラだが、ンな休み返上で拝むような面でもねぇぞ。イケメン俳優やアイドルじゃああるまいし。大体、会おうと思っても会えるか怪しいぜ」
「そうなの?」
「『すぐに出る』つってるからな、多分、事務所での滞在時間は秒単位だ」
「えぇ……? 所長さん、すごく忙しいんだね」
「そう言う人なんだよ」
……「よく当たる占い」のせいで、あの人は色んなモンが見え過ぎちまってる。立ち止まる時間が惜しいんだろうさ。
「まぁ、ウチの事務所は上下関係もゆるゆるだ。新人だからって所長の予定に合わせてあーだこーだ気ぃ遣う必要ねぇよ。テメェは帰ってゆっくりしてろ」
「いや、でもその………………」
「あン?」
ンだよ、眼を合わせてくれねぇのはもう毎度の事だが、嫌に挙動不審だな?
車内は狭いからポニテ乱舞は控えて欲しいンだが。
「ボクもキミも、非番な訳だし……」
「そりゃあ、俺もテメェもついさっき仕事あがったばっかだし当然だろ」
「それでその、ボクは二度も御飯を奢ってもらっていて……」
「どっちも気にするような事じゃあねぇ」
「キミ、特にやる事も無いって言ってたし、ボクもそうで……だからその、今日のお昼は――」
「予定が無ぇんなら、徹夜明けだし、ゆっくり休めて良いじゃあねぇか」
ン? どうした猪熊獅子。何で急に固まってんだ?
「……そ、うだよね。徹夜明けだもんね。ゆっくり休んだ方が、良いよね。うん……」
「おう。健康管理は大事だぜ」
腹も膨れて気力充実って感じだろ。あとはゆっくり眠って疲れを取りやがれ。
こいつは変に思いつめたり頑張り過ぎるきらいがあるみてぇだし、休みの重要性は事ある事に説いた方が良さそうだ。
ン? またメッセージ……今度は先輩からか。
――『何か今、ミニミニの鼻にビビッと来たよ!! ろくでなし鈍感男の匂いがプンプンするぜぇ!!』
……相変わらず、あの合法ロリから送られてくるメッセージは意味がわからん。
とりあえず「育ちたいならもっとゆっくり寝ててください」と返信しておこう。
「さて、じゃあ気を取り直して駅に向かうぜ」
「うん……」
猪熊獅子がシートベルトを装着したのを確認してから、エンジンを――
「ッ」
刹那、走り抜けたのは、背筋をずくりと舐めぐられるような悪寒。
「――妖気!?」
ンな馬鹿な――なんてほざく暇は無ぇ。
妖気の出所を探るべく、まずはシートベルトを解除。車外へ飛び出しながら、識紙ポーチに手を突っ込む。手を引き抜くと同時に識刀を起動。識型を地識へ。
猪熊獅子もすぐに察知……なんなら俺より先に察知していたらしい。既に車外へ飛び出して、ポーチに手を持って行った状態で固まっていた。
で、今の妖気は何だ。
どう低く見積もっても上三以上はある感じだったぞ?
素早く周囲を確認、だがそれらしい影は無し。じゃあ、上か!!
俺が空を仰いだのと同時、影が差した。ビンゴ――って、は?
「…………!?」
驚きの余り疑問が声にならず、喉の奥でこひゅっと変な音が鳴った。
空から真っ直ぐに、俺に迫って来る巨大な白いもの。
白骨の掌だ。それも、ただの骨じゃあねぇ。無数の骨が寄せ集まって一本の巨腕を形成していやがる。握る所か摘まむだけで俺を丸ごと潰せるデカさだ。
それが何なのかは、すぐに理解できた。伊達に妖怪処理屋をやってねぇ。空から降ってくる巨大な白骨の塊なんて、何の妖怪か即座に見当がつく。だが、だからこそ、理解が追い付かなかった。
――何で、【餓者髑髏】がこんな街中に……!?
いや、混乱している場合じゃねぇ、とにかく避けろ。
そう咄嗟に後方へ跳ねて、自分が悪手を打った事にすぐ気付いた。
ダメだ。餓者髑髏の手は避けられない。知っていたはずだのに、混乱の余り判断を誤った。防御するべきだった。一瞬の判断ミス。刹那に気付いても、もう間に合わない。
充分な跳躍で躱したはずの白骨の掌。だが、次の瞬間に空間がねじ曲がり、俺の視界は白骨で埋め尽くされる。
――餓者髑髏の手からは、俊足の獣ですら逃れられない。
白骨の掌に叩き付けられて、俺の意識は暗転した。
◆
――餓者髑髏。
野山に打ち捨てられた亡骸が寄せ集まって生まれるとされる巨大妖怪。目についた生き物をその巨大な掌で掴み、喰らう。一説では、口減らしのために山に捨てられた餓死者たちの怨念に突き動かされて捕食行動を取っているとか。
妖怪としての能力は、「獲物を確実に捕獲する手」。一度、餓者髑髏と遭遇してしまえば最後。天から降ってくるその手は、どこまで逃げても地の果てまで追いかけてくる。
余りにも巨体だからリーチがクソ長い、なんてぬるい話じゃあねぇ。餓者髑髏の手は「絶対に回避できない」と言う概念を持つ理不尽現象だ。
古い文献だと、「生きた牛を一頭差し出すと、それで見逃してもらえる」とか「後日、牛の返礼として山崩れから助けてもらった」なんて記述があるらしい。
と言っても、基本的にはかなり危険な害性妖怪……だが、出自からして現代じゃあほとんど生まれようが無ぇし、もし生まれたとしても山をテリトリーとして自発的に人里へ降りてくる事は無いとされている。
……だのに、どうして?
暗闇の中で答えの無い疑問を投げかけていると、不意に光が戻ってきた。意識が覚醒したのだろう。
餓者髑髏に捕まったはずだのに、生きてンのか……?
もしかして、猪熊獅子が助けてくれ――
「お目覚めかしら? まぁ、それもそうよね。もうお昼過ぎだもの」
「…………光井堂……?」
瞼を上げて最初に目に入った顔は、いつだって不機嫌そうな光井堂の面だった。
……どういう事だ?
餓者髑髏に捕まった俺を助けてくれたのは、猪熊獅子じゃなくて光井堂だったって事か?
何かガッカリしている俺がいるのはさておき。
それなら相手がこいつでも礼を言わなくちゃだ。
そう口を開きかけた時、頭に軽い痛みを覚えたので反射的に手を当てようとした……が、できなかった。
「……あァ……?」
じゃらり、と金属音が鳴る。
背に回す形で、手首を鎖で縛られて杭で固定されてやがる……!?
手だけじゃねぇ。足も同様、鎖と杭でガッチリだ。
どういう状況かと辺りを見回す。
薄暗い部屋。光源は、足元に刻まれた五芒星が放つ淡い光のみ。
……待て、この五芒星、俺が中心だな? んで、星の五端にゃあ何やら梵字を記した布に巻かれた明らかに呪いの物品的なモンが設置されていやがる。もしかしなくても、やべぇ儀式の真っただ中っぽいぞこれ!?
「み、光井堂……? おい光井堂。何これ光井堂?」
「連呼しないでよ、やかましい」
いや、連呼必至だろこの状況。
何がどうして俺はこんな事に? あと猪熊獅子は!?
「おやおや、せめて意識が戻る前に済ませてあげたかったのですがぁ。想定より手間取ってしまって申し訳なぁい……」
「その声は……!」
闇の領域から足音を鳴らして現れた白衣の男――。
光井堂の会社に出向している妖捜研の研究者、ジャック甘野さん……!?
何で餓者髑髏に捕まったはずの俺が、謎の暗い室内で明らかにやべぇ儀式の中心っぽい所に縛り付けられてんの!? そして何でこの場に光井堂と甘野さんが!?
「混乱の極致、と言った感じですねぇ? 余り表に感情を出していない辺りはぁ、さすが妖怪処理屋。理解不能な現象には慣れっこと言う感じですぅ?」
「……訳知りっぽいな、テメェら。ちなみに、訊いたら答えてくれたりする系か?」
「……まぁ、良いわ。教えてあげる」
おう? 光井堂にしてはすんなりだな?
「あたしの栄光のため、あんたは犠牲になる。以上よ」
「…………………………」
…………はぁ?




