09,ポニテが忙しいモーニングタイム。
『陽が登り切る前に帰る。各自現地解散』
影沈さんはそれだけ言い残して、通信を切った。
「んじゃ、おじさんはこっちの道をてくてくしてくから。二人で仲良くお帰りなさいな~」
白む空をバックにニヤニヤする白鐘さん。
そのニヤけ面の意図はよくわからんが、腹立たしい事だけは確かだ。
「んじゃあバイビー……の前に若きモリモリに一個だけ注意。楽しい所に連れ込むのなら、ちゃんと合意を得てからだぞ☆」
「楽しい所ォ……?」
今何時だと思ってんだ、このおっさん。こんな時間に空いてる娯楽施設なんざ無ぇだろ……って、そもそも俺と猪熊獅子はまだそんな風に仲良くどっか遊びに行くような関係性でも無ぇ!
「あ、これ素直でもないしちょっと的外れな事を考えている時のモリモリだわ」
「俺の知らないモリモリを勝手に発見すんのやめてもらえます?」
「ま、冗談はこんくらいにして――」
ふいに、白鐘さんが顔を寄せて耳打ちしてきた。
「あの子、空御津ちゃんに聞いてたより深刻そうだな」
「!」
少しだけ視線を動かして、猪熊獅子の方を見てみる。こちらには気付いていないようだ。
さっきもだったが、少し思いつめたような雰囲気で、自分の手を眺めて黙りこくっている。
……ありゃあ、今日も識紙を使えなかったのを気にしていますって感じだな。
ゆっくりやれって言ってんのに、何を焦ってんだが……。
高専時代のマイペースっぷりは何処に置き去って来たのやら。
「おじさんが下手に踏み込むより、同期のおまえが色々と上手くやんのが最適っぽいと思う。芦夜もそれが良いって判断したみたいだし。つぅ訳で、任せたぞ」
白鐘さんはそれだけ言って離れると、まるでガキ扱いするみたいに俺の頭を軽くポンポンと撫でる。
「上手にできたら、おじさんが美味いモンを奢っちゃろう」
「…………破産させてやる」
「おうおう、恐ろしい囁き声が聞こえやがった。家庭持ちの先輩相手なんだから加減しなさいよ?」
かんらかんらと笑いながら手を振って、白鐘さんは帰路についた。
……基本的におちゃらけてふざけ倒したおっさんだけど、仕事は勿論、同僚への気配りもしっかりしてる。
その広い背中を見送りつつ、軽く深呼吸。
まぁ、先輩さまから直々に任された御仕事だ。仕方無ぇ。
「猪熊獅子。確かテメェ、電車通勤だったよな」
「うん。だから、始発までちょっと時間を潰して帰るね。お疲れ様」
「俺は車だ。もしテメェさえ良けりゃあ送ってやっから、ちょっと付き合え」
って、うおっ。びっくりした。
猪熊獅子のクソ長ポニーテールがすごい勢いで跳ねやがった。
……テメェまじでどういうシステムなのそれ。時々恐くなるんだけど。
あと、また顔が赤くなってないか?
本当に定期的にそうなるのな?
「…………ぁ、え……つ、つきあ……」
「おう。時間的にまぁ選択肢は多くねぇが、朝メシ食って帰ろうぜ」
昨日の昼に行った食べ放題コース有のレストラン、今時では珍しく二四時間営業だったはずだ。
「ぁ、そう言う……」
びちびちとやかましかったポニーテールが、今度はしなっと垂れた。同時に、猪熊獅子の顔からも赤みが引く。
……猪熊獅子の体温とポニーテールの動きは連動している?
「構わないけど……一体、どうして……?」
「さっき不愉快な奴に会ったから、ガッツリ食って気分を変えてぇだけだよ。ついでにどうだってだけの話だ」
このままこいつを独りにして帰したら、いつまで経っても思いつめたような雰囲気で手ぇばっか眺めてそうだ。アホくせぇ。体でも心でもとにかくどっか病んでんなら、余計な事でテンション下げてねぇでメシ食って寝んのが一番だろうが。
白鐘さんに任されたから、その辺のケアはきっちりやるさ。
別に、テメェのそのしみったれた雰囲気を放っとけねぇとか、そう言う訳では断じてない。
「おほっ」
「ン?」
今、甘野さんの奇声が聞こえたような……しかし辺りを見回しても人影は無し。気のせいか。
「で、どうだよ? 行くか?」
「う、うん! あの、その……ありがとう」
「俺がメシ食いに行くついでだ。礼を言われる事じゃあねぇ」
「送ってくれる事とか、御飯の事もだけど……さっき、光井堂さんがボクの事を何か言おうとした時……庇って、くれてたよね?」
……別に、そんなつもりはねぇよ。誰に向けてだろうが、あの手のマウント取りは聞いてて不愉快だから止めただけだ。だからそれも礼を言われる事じゃあねぇ。
そう素直に言っても良かったが……。
ほんのりと嬉しそうな雰囲気が漂っている(ように感じる気がする)猪熊獅子を見て、そんな無粋な事を言う気分ではなくなってしまった。
でも、なんだか肯定するのもこう……何かこう。
「……都合の良いように解釈しやがれ」
「わかった。ありがとう」
まぁ、別に? こいつの好感度を上げて損する事は無いだろうし?
これが落とし所だろう。
「おほっ」
「…………?」
何だ? また甘野さんの奇声が聞こえた気がしたんだが……やっぱ誰もいねぇ。
「どうしたの?」
「いや……」
……昼型生活からいきなり夜勤に入ったから、頭が疲れてんのかな。
慎重に運転しないと、だ。
◆
二人の妖怪処理屋が去った後、薄らと明るくなってきた住宅街のその道に、カツカツと杖を突くような音が鳴る。
……だが、杖を突く者も、杖そのものも姿は無い。
「……で、どうなのよ。あいつは」
誰もいないはずのその場所で、女の声が響く。
「最高の数値ですねぇ。理想値と言っても良いぃ……まさにこのためにいるかのような存在ですよぉ、彼ぇ……」
舌なめずりと共に響くねっとりとした男の声。だがやはり姿は無い。
「じゃあ、これで上手くいく訳ね?」
「ええ、ええ、それはもうバッチリとぉ!」
カツン、とひときわ大きく杖を突く音が鳴った。すると突然、その場に二人の男女が姿を現した。まるで最初からその場にいた者がじわじわと滲み出すように……尋常ではない出現!!
一人は若くして妖怪処理を生業とする会社の長を務める女、光井堂。
そしてもう一人は、妖捜研所属の研究員、甘野。
更に、彼らの前には杖が一本、直立している。
誰が持っている訳でもない、地面に突き刺さっている訳でもない……ただただ木製の杖が直立している!!
――【杖突おばけ】。夜道を歩いていると杖の音だけが追いかけてくる……と言う怪奇現象を引き起こす妖怪。ちなみに、この杖の音に追い越された人間は死ぬ。完全に害性妖怪だ!!
姿を消して追ってくるので、優秀な観測術師のサポート無しでは迎撃はおろか補足すら難しい厄介系……だが、「相手が足の悪い人間であった場合、追い越しても何もしない所か、稀にだがどこからか杖を落として去って行く事がある」と言う益性もあるとされている。
「ふふ、ご苦労様です。ロッドリゲスさん。ありがとうございましたぁ。もう朝ですので、お帰りいただいて結構ですよぉ」
甘野の言葉に反応して、杖突おばけが虚空に溶けるように消える。
隣に立つ光井堂は、そのやり取りを若干引き気味に横目で眺めていた。
「何度か見てるけど……妖怪処理屋としてはやっぱり、害性妖怪が素直に人間の言う事を聞くのって、見てて違和感すごいわ」
「おやおや? 御霊の代名詞である【送り犬】だってぇ、害性側面を持っている妖怪でしょぉ?」
「それはまぁそうだけど……いや、もう良いわ」
光井堂は眩暈に耐えるように眉間を押さえ、溜息。
「何言っても無駄よね。あの杖妖怪を呼び出すために、自分で自分の足を切り落とすようなイカれ野郎だもの」
「右のくるぶしから下だけですよぉ?」
平然と笑いながら、甘野は右足を軽く上げ、爪先で路上を叩く。
その靴の中が義足だと傍から伺い知る事はできない。
「現代社会、片義足で困る場面なんてほとんど無いですしぃ……生足に拘る理由とか、特に無くないですぅ? 研究に必要なら切るのもアリでしょぉ?」
「…………………………」
ああ、狂人め。
そんな蔑みの目を向ける光井堂だが、甘野はまったく気に掛ける様子が無い。
楽しそうに、カタカタとノートパソコンに何かを打ち込んでいる。
「……しっかり頼むわよ。例の実験だけは確実に成功させて」
「ふふふ……光井堂さぁん。あなたよく私の事をイカれていると申されますがぁ……充分、同じ穴のムジナだと思いますよぉ?」
「うるさい。……わかってるわよ。それくらい」
忌々しい、そう世界を呪うように眉間にシワをよせて、光井堂は牙を剥き出しにする。
「どんな手を使ってでも、今度こそ――あたしが一位になってやる」