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00,ある妖怪処理屋。


 夜道は危険だ。


 どれだけ時代が進み、発展した科学の光が闇を払おうとも、夜の闇に潜む者たちまでは祓えない。

 むしろ、闇の中に潜んでいた【それ】らを暴き出してしまう。

 浮世と闇夜の境界線が曖昧になる。

 空が厚い雲に覆われ、天の目が塞がれた夜などは特に。


 今宵はまさにそんな空模様。場所は閑静な住宅街。

 短い間隔で点在する外灯と自動販売機の光だけが煌々と闇を照らす夜道を、カツカツと靴音を鳴らしながら歩くお姉さんが独り。かなり長身、だのにその後頭部で束ねられた黒いポニーテールの先端は地面に擦りそうなほどに長い。身に纏っているのは闇の中ではとても目立つ白い作業着ツナギ。軍服をイメージしたらしく無骨で厳めしいデザインだ。その右胸には五芒星をベースとしたある大手企業のロゴが刻まれている。


 お姉さんは異様に長ったらしいポニーテールを左右に揺らしながら、夜道を闊歩する。

 わざと靴音を鳴らして、何者かに自分の存在を主張するように。


「……!」


 角を曲がった所で、お姉さんの眉が少しだけ動いた。足が止まる。

 前方に通行人の後ろ姿を発見したのだ。

 シャツ一枚にジーパン、サンダル――かなりのラフスタイル。近所のコンビニにでも向かうのだろうか。だとしても、問題がある。背面から伺う限り、夜道を歩く際に着用を義務付けられている【夜道でもめっちゃ安心セット】の類が見当たらない。

 つまり法令違反者か、あるいは……。


「……不審者を確認。解析要請」


 お姉さんは耳に嵌めていた小型機器に指を当て、その向こうにいるはずの同僚に声をかけるが……反応は無い。


「…………………………」


 ――「もうキミ独りで充分だろ。勝手にやってろよ」


 ……同僚たちの突き放すような言葉が、耳の奥でちくりと刺さる。


 無音の数秒後、通行人の背が遠ざかっていくのに痺れを切らし、お姉さんは返答を諦めて歩き出した。

 真っ直ぐに通行人を追いつつ、腰部のポーチにいつでも手を突っ込めるように構える。


「そこ、止まって。安心セットを装備していないね? こんな時間に丸腰で歩くのは危険だよ。ちょっとボクと来てくれるかい?」


 通行人は立ち止まる様子が無い。

 多少手荒だが仕方無い。最大限警戒しつつ、お姉さんが通行人の肩を掴もうとした……その時、通行人が勢い良くがばっ! と振り向いた。


「!」


 その顔は、のっぺりとした皮膚で覆われている。目も鼻も口も無い。顔面器官は耳のみ。

 お姉さんが目を見開いた次の瞬間、通行人――否、【それ】は口も無いのにけらけらと声を上げて笑った。


「け、けけ、けけけけ!!」


 まるで鼓膜に泥を刷り込まれるような不快感ッ!!

 お姉さんは眉を顰めながら、キレの良いバックステップで距離を取った!


「っ……その顔、この笑い声……!」


 どうせ聞いてはいないだろうとは思いつつも、お姉さんは耳に嵌めた通信機に指を当て報告する。


「遭遇報告。特徴、皮膚に覆われた顔、精神面へ負の干渉をする笑い声――対象を害性妖怪【のっぺらぼう】と推定。妖気の放出は未確認。生身では感知できない程度の薄弱な妖気、現状は妖気隠匿の可能性有り。暫定的に下級五等または同四等妖怪と評価します」


 通常であれば、この報告を受けた通信機の向こうから判断に関して同意か別見解が示され、後にそのまま対処か近隣の同業者と連携するか撤退か等の指示が来るのだが……通信機は、相変わらずの沈黙。


 ――「どうせあの子なら、現場判断だけでどうとでもできるよ」


 そんな風に投げ捨てられた気分だ。


 ……どうして。


「……余計な事を考えちゃダメ。ボクは【妖怪処理屋ようかいしょりや】、何よりも妖怪を処理するのが最優先」


 割り切れない感情を帯びた言葉を吐き捨てて、お姉さんはポーチからあるものを取り出した。

 それは白い長方形の紙。梵字に似た不思議文字列が刻まれている。


識紙シキガミ起動。【識刀五輪シキトウゴリン】」


 言葉と共に、白い紙が発光しながら膨張。瞬く間に、鍔の無い日本刀へと変化した。

 元が紙だった名残か、その柄も刃もまさに白紙の如く真っ白。


識型しきがた設定、識」


 またしてもお姉さんの言葉に呼応して、今度は白い刃が墨汁に浸されたように黒く染まっていく。


 ――【識紙シキガミ】。


 それはかつて【陰陽師】と呼ばれ、今は【妖怪処理屋】と呼ばれる者たちの武器。あらゆる生物が持つ命のパワー、生命力や気力、チャクラ等とも呼ばれる不思議エネルギーこと【シキ】を消費して起動する紙、故に識紙!!

 闇の世界から這い出しては人々を脅かす不思議生物【妖怪】を討ち、祓う事ができる唯一の手段である!!


 今お姉さんが使用している識刀五輪シキトウゴリンは、五つの識型変更モードチェンジ機能により様々な状況に臨機応変な対処ができる汎用的な識紙!

 不思議生物である妖怪との戦いは想定外が当たり前。対応力の高さはとても大事ッ!!

 識刀唯一の欠点として挙げられるのは「遠距離攻撃適正の低さ」だが……遠距離牽制用の補助識紙は星の数ほど開発されているし、そもそも妖怪処理屋は大体フィジカル強者なので射程など脚力でどうとでもなる事が多い。


 お姉さんもまたフィジカル強者。距離を取って識刀を構え、じっと動かない。

 妖怪の出方を慎重に伺う姿勢!


「けけ、けけけ、けけけけけけけけ!」


 臆病者め、と嘲笑するような推定のっぺらぼうの声。

 だが、お姉さんは冷静沈着。そんなわかりきった挑発など意に介さない!

 暫定的に下級妖怪だと断じたが、妖怪は狡猾である。職人の手作業が如くとても丁寧な偽装で自身を弱くみせて油断を誘う者もいる。

 妖怪処理屋に取って、臆病で慎重なスタンスは美徳!


「……………………」


 お姉さんは口の端を堅く結び、呼吸を、鼓動を、発汗を、あらゆる生理を最低限に収めるように意識する。

 少しでも集中が乱される要素を徹底的に排除して、ひたすら待つ!!


 妖怪との対峙――どんな歴戦の処理屋でも、それは心地の良い時間ではない。

 その中での待ち……ああ、例えるならばッ……診察台の上で保定され、予防接種の時を待つ犬か猫の気分!!

 牙を剥く機を測り損なえば、何もできずにブスりとやられてしまう……!

 そんなヒリヒリとした駆け引きの時間ッ!

 お姉さんの心境を表すように、そのクソ長いポニーテールもピンと張り詰める!!


 お姉さんは「焦るな」とつぶやいて、動きたがる足を地面に縫い付けた。


 ここで先手必勝を狙って動ければ、妖怪処理はどれほど楽か……!


 世には「殺られる前に殺れ」と言う非常にクールでクレバーな金言がある。

 しかし妖怪処理においては例外なのだ!!


 害性妖怪――人間を襲う系の妖怪は、基本的に人間よりハイスペック。互いに先手を取り合った場合、人間側に軍配が上がる可能性はとても低め。更には先手を取ったのではなく取らされただけで、厄介な能力に嵌められるケースもある……!!

 先手前提の戦術は、まずアテにならない!!


 妖怪処理屋のスタンダードは後手必殺。事前に古今東西あらゆる妖怪について学び、実戦においてはまず知識と擦り合わせつつ観察重視。慎重に、確実な勝機を探す所から始める。


 妖怪処理屋に取っての金言は「念入りに備えた万全のカウンターで殺せ」だ!!


 故に、妖怪処理開始時は識刀を識に設定するのが定石――いや、常識とされている!

 地識の特性は、シンプルに識刀の強度が上がる。すごく堅い!!

 相手の攻撃を叩き落としたり相手が召喚した障害物を破壊する等、守勢や引き気味の立ち回りに向いている――つまり、初手様子見に適した識型なのだ!!


 妖怪処理業務高等専門学校でもまず最初に習う!


 妖怪を発見したら、とりあえず地識。と!!


 まぁ、それはさておき。


 推定のっぺらぼうはけらけらと笑い、ゆらゆらと体を前後に揺らしている。

 悪魔を呼び出す踊りめいた不気味さのある動きだ。見ているだけで気が滅入る。

 しばらく揺れ、お姉さんの方からは仕掛けて来ないと察したのだろう。推定のっぺらぼうは新たなアクションを見せた。


「けぇーっ!!」


 高らかな奇声と共に己のシャツの裾を掴み、勢い良く脱衣!!

 瞬間、爆風が如くすさまじい風が一帯に吹き荒れる!!


「脱衣に伴う妖気の増加……!? こんな突風が吹き荒れるほどだなんて、まさか、のっぺらぼうじゃあなくて――」


 ――その妖怪は夜道にて突如、現れる。


 まずはのっぺりとした顔を見せて驚かせる。

 次にいきなり服を脱いで驚かせる。

 トドメと言わんばかりに尻の目玉を見せて驚かせる。

 ダメ押しだ持っていけとその目玉から稲光めいた強烈閃光を放って驚かせる。

 驚異の波状びっくりで相手の肝を完膚無きまでに磨り潰す、『驚かせ』と『脱ぎ』を極めたプロフェッショナル――【ぬっぽりぼう】……またの名を【尻目シリメ】!!


「更新報告。激しい脱衣と共に妖気の急激な増加を確認。対象を【ぬっぽりぼう】と断定。種族から上級確定、妖気量を踏まえ暫定階級評価を上級五等または同三等に修正」


 どうせ返答は無いだろうが、報告義務は怠らない。真面目なお姉さん!


 大事な事なのでまた言うが、妖怪処理屋の基本スタイルは後手必殺!

 つまり受動的な立ち回りが一般的である。故に基本は二~四人単位でチームアップし、いつでも誰かが誰かのフォローをできる盤石な体勢で妖怪処理に臨む。特にチーム連携の要、観測術師かんそくじゅつしへのこまめな報告はとても大事。


 ……現状お姉さんは諸事情により、妖怪処理業務としては異例、完全単独で事に当たっているが。


 お姉さんが辛そうに歯噛みするのとは対照的、ぬっぽりぼうは喧しいほどに笑いを絶やさず、流れるような所作でジーンズに指をかけた。

 人前で脱ぐ事に手馴れている……熟練の動き!


 そして、マズい。


 ぬっぽりぼうは別名で尻目と呼ばれるように、尻こぶたの間に目を持っている。「顔にスペースが有り余っているだろうに何故そこなんだ目の付け所……!!」と言う誰もが抱くだろう解せない気持ちはさておき。問題はその目がただの目ではないと言う事だ。


 尻目ぬっぽりぼうの尻の目は――すごく光る!!

 その輝きは直視すれば眼球崩壊は不可避。しかも瞼を閉じたり遮蔽物に隠れれば済むかと言えばまったく以て否。

 尻目眼光はあらゆる物質を透過し、獲物の眼細胞を焼き尽くす!!


 識紙にはそう言った特殊攻撃から使用者を護るものがいくつかある。一般市民に支給されている安心セットにも含まれているし、最近の住宅は耐妖気性素材の使用が義務付けられているので、屋内への妖怪被害は考慮しなくて良い……だが、尻目眼光の射程は超広範囲。撃たせてしまったら、街のどこで被害が発生するかわからない!!


 これが、尻目ぬっぽりぼうと言うだけで上級妖怪確定――つまり超危険生物として扱われる所以である!


「けけけけけけけけけけけけ!!」


 勝ち誇ったようなぬっぽりぼうの嗤い声!!


 妖怪処理屋として、ぬっぽりぼうをこれ以上つけ上がらせる訳には……これ以上、脱がせる訳にはいかない!

 お姉さんは決意と共に識刀の柄を握り直した。

 その意気を阻むように、ぬっぽりぼうの周囲には先ほどの脱衣で生じた脱ぎの暴風が逆巻いている!

 迂闊には近寄れない、ここは遠距離用の識紙を起動すべき……だが、ぬっぽりぼうはもはや脱衣セットポジション。いくら何でも脱ぎが余りに迅いッ……!

 過去に類を見ない脱衣速度、脱ぐ事に特化した進化個体か!!


 今からでは識紙を起動できても、攻撃する頃にはその尻の目が露わになってしまう……一手分、時間が足りない!

 普通ならば脱衣妨害を諦め、起動するだけでいい防御用識紙で自身を護るのが最適解の状況。


 しかしお姉さんは、すぅ……と息を吸って、腰を落としながら識刀を振りかぶった。


 現状、お姉さんとぬっぽりぼうの距離は完全に識刀の射程範囲外。暴風のせいで脚力任せの接近は現実的ではない。一般的な妖怪処理屋の識刀では、どうする事もできないだろう。


 一般的な妖怪処理屋のそれでは。


「識型変更――識 。識刀術【水蛇飛翔トビミズチ】」

「けけけけ――け?」


 お姉さんの識刀が青色に染まり、そして目にも止まらぬ神速で振るわれる。

 ひゅんっひゅんっ、と鞭が空を裂くような音が連続――次の瞬間、暴風が四散し、ぬっぽりぼうの頭が地に落ちた。ジーンズを脱ぎ損ねたその体がゆったりと揺れ、膝から崩れて……路上に倒れ伏す前に砕け散り、夜闇に吸われるように消えた。


「……妖怪の消滅を確認。処理完了」


 ――識の識刀は、刃が水になる。


 本来、水分に弱い乾燥系妖怪への嫌がらせ、または刃を瞬間的に変形させて不意打ちするために使われる識型だが……「識を流し込むと比例して刃の水分量が増える」と言う性質があり、瞬間的に大量の識を流し込む事で超高圧水流噴射(ウォーターカッター)状態にできる。そして更に流し込む識の量を追加する事で水の刃を延長、離れた相手を叩き斬る。


 お姉さんが今やったのはそれだけの事……しかし、ぬっぽりぼうの周囲には多少水滴が散っている程度で斬撃痕は一切無い。これはとても脅威的な事である。瞬間的に大出力で識を流し込んで発生させた激流の刃なのだから、当然その制御難度はかなり高い。それを用いて周囲の建造物等に被害を出さず、遠距離にいるターゲットだけを的確に斬り刻む……原始的な大砲でピンポイント狙撃をするようなものだ。

 つまり卓越した識制御技術が無ければ到底、成し得ない!!


 故に奥義。名を識刀術【水蛇飛翔トビミズチ】!!


 妖怪処理屋人口は全国に約二万人。だがこの技を実戦水準で使う事ができ、かつ妖怪処理連盟に市街地での使用を認可されている者は一〇〇人もいない!


 そんな芸当を涼しい顔でやってのけ、お姉さんは周囲を確認。

 妖怪は散り際に怨念の残滓を残していく事がある。それが新たな妖怪になったり、触れた者に霊障と言う害をもたらしてしまうため、妖怪を処理後は残滓確認が基本。


「うん。残滓無し。完璧だ」


 自分の仕事を誇り、お姉さんは少しだけ口角を上げて振り返った。


 そして、誰もいない夜道を見て、口角を定位置に戻す。


 ……もう、そこに彼はいない。

 飽きる事なくこの背中を追いかけてきてくれた彼は、いない。


 どこか忌々し気に、悔し気に……でもちゃんと見てくれていた。賞賛の意思も確かに込められていた。「すげぇな。でも、まだ負けてねぇ。いつか必ず追い越してやる」と言う強い熱を帯びた視線で背筋をくすぐられ、こそばゆくも、心地好くゾクゾクした。もっともっと見ていて欲しいと思える目だった。

 ……もう、ただの思い出話。


 彼の視線を求め過ぎる余り、彼の気を引きたくて、彼に好かれたくて、何か差し出せるものはないかと……浅慮で馬鹿げた提案をしてしまった。ただ見られているだけの興奮で留めておけば良かったのに、と、今でも悔やましい。


「……………………」


 お姉さんは僅かに瞳を潤ませながら、空を見上げる。

 夜である事を差し引いても、酷く黒くて、低くて、重い。これ以上は無いだろう曇り空。


 ……あの日も、こんな空模様だった。


 彼に胸倉を掴まれた感覚を思い出し、お姉さんは頬を紅く染めながら喉元を押さえる。

 曇り空から雨粒は落ちてこない。でも、濡れていく。


鋳森いもりくん……会いたいな」


 静かで暗い、闇の中。

 その独り言は、虚しく響いた。

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