第19話 エドの正体
「ほらよ」
フレッドは棚から軟膏を取り出すと、クリスに放り投げた。
クリスはそれをお手玉しながらもなんとか受け止める。
「嬢ちゃんにはお前から塗ってやれよ。今日俺のやり方見てただろ」
それをフレッドなりの気遣いと受け取り、クリスはエマの隣に腰掛ける。
「どこ打たれたの?」
「まずはここ」
エマは袖を捲ると右の二の腕を指し示した。
確かに少し赤く腫れていたが、大きな怪我ではなさそうだった。
「それとここ」
次にエマはシャツの裾を少しだけ引き上げる。
左の脇腹にも腕と同じような打身ができていた。
クリスは軟膏を指でひとすくいすると順に薄く塗り広げていった。
フレッドのやり方は特別変わった方法ではなく、先生に習ったものと同じだった。
だからクリスは慣れた手つきでエマの傷に薄く塗り広げていく。
「なんだか懐かしいね」
エマはぽつりと呟く。
エマの傷を手当てするのは幼い頃からクリスの役目だった。
無茶をするエマの後ろをクリスが救急セットの入ったリュックを背負って追いかける。
「そうだね」
かつての光景にクリスは目を細めた。
そしてそんな2人の様子をトワは複雑な表情で見つめていた。
「しかしエドとクリスの連れは遅えなあ。本当に心配ないのか?」
突然逃げ出したエドとそれを追ったレオンハルト、2人を家で待つように提案したのはクリスだった。
レオンハルトの身体能力からすれば並の人間は逃れることはできないだろう。
片足を怪我しているエドなら尚更だ。
下手に追いかけて入れ違うよりもここで待っていた方が確実だという意見に反対はなかった。
「なんか訳ありっぽかったよね」
「確かにな。エドのことをクレイグって呼んでなかったか?」
トワの言葉にフレッドはガタリと立ち上がった。
「お前らの仲間がエドのことをクレイグって呼んでたのか?」
「ああ、そうだが」
フレッドは慌てて台所に行くと包丁を取り出して3人を威嚇する。
「お前ら、帝国の人間だな?あいつをどうするつもりだ!」
レオンハルトは想像以上にエドを捕らえあぐねていた。
身体の状態や体力はレオンハルトに分があったものの、細く入り組んだ路地を熟知したエドの動きに翻弄されていた。
道の端に寄せられた瓦礫の山を時には崩してレオンハルトの邪魔をして近づいては離れてを繰り返す。
それでもその距離は確実に縮まっていき、最後は息を切らしたエドが諦めて立ち止まったことでレオンハルトはその腕を掴むことに成功した。
「クレイグ兄さん……だよね」
エドは顔を伏せたまま肯定も否定もしない。
髪型や服装、醸し出す雰囲気は変わっていたが、レオンハルトはエドの中に確かに亡きクレイグを見出していた。
「なんとか言ってくださいよ!」
レオンハルトが握る手の力は自然と強まり、エドはそれを振り解こうと力なく腕を振る。
「クレイグは死んだよ」
手が決して離れないことを悟り、諦めたのかエドはかろうじて一言だけ絞り出した。
その声は間違いなく、かつて幾度となく聞いたクレイグの声そのものだった。
「だったらあなたは何者なんですか」
その手に籠る力はさらに強くなる。
「痛いから離してくれ。もう逃げる気はないし、逃げる体力もない」
「あっ」
レオンハルトは無意識のうちに込めていた手の力を抜く。
エドの腕はするりと手の中からこぼれ落ちる。
そしてそのままエドはペタリと倒れるように腰を下ろす。
「大きくなったな。レオンハルトは」
エドはレオンハルトを見上げる。
太陽を背にしたレオンハルトの姿は眩しく、すぐに顔ごと目を逸らす。
しかしその直後、強い衝撃を受けて再びレオンハルトの方に向き直る。
「なんで抱きついてるんだ」
「死んだって聞いてたから」
レオンハルトの目からは涙が溢れ、普段の様子からは想像がつかないほど顔をくしゃくしゃにしていた。
「さっきも言ったろ、クレイグは死んだよ。そういうことにした」
エドはレオンハルトを無理矢理引き剥がすと面倒臭そうに頭をかいた。
「5年前、負傷した俺をフレッドさんが助けてくれたんだ。敵国のついさっきまで自分たちに剣を向けてた人間をだ。それで、他にも色々思うところがあってそのまま身を隠してた。そうしたら戦いは終わって、俺は名前と容姿を変えてこの街で生きることにした」
レオンハルトは神妙な面持ちで話を聞いていた。
「……思うところというのは?」
「お前がどういう理由で連邦にいるのかは知らんが、エマって子の話を聞く限りじゃこの街以外にも何箇所か旅してきたんだろ?多分、お前の思うところと大差ないんじゃないかな?」
レオンハルトは自分の胸の内を暴かれたような気がして狼狽した。
連邦に来てからの日々はレオンハルトの帝国で過ごしてきた時間を覆すような出来事も多かった。
帝国で生きる以上、見聞きする話は自然と帝国寄りになることはレオンハルトも理解していた。
だからこそ中立に公正に判断し、その上で正しく剣を振るいたいと願い、実践してきたつもりだった。
だが、前提が違ったのだ。
帝国には『祝福』という概念がそもそも存在しなかった。
存在しないものは疑えない。
戦いの起源に迫るにしても数代に渡る長い歴史を対立し続けてきた2国の戦う理由は常に形を変えてきた。
隠された始まりは一兵卒では暴けない。
現皇帝がなにをどこまで知っているか、レオンハルトにはわからなかった。
ただ、大切な前提を伏せられていたのは事実だ。
しかしそれが必要なことだったのではないか、と言う思いもある。
一度無きものとした『祝福』を掘り返すのは大きな混乱を招く。
だから伏せ続けざるを得なかったのかもしれない。
現皇帝になってからは積極的に連邦と争うことも減ったと聞く。
それを良しとしない老兵も数多いるが、それでも皇帝は争わない道を選ぼうとしているのではないか。
レオンハルトは旅立つ前に皇帝から告げられた言葉を思いだす。
自分の目で見て判断すること。
状況をよく見て判断すること。
今のレオンハルトには判断をつけることはできなかった。




