第14話 太陽は今日も西に沈む
「カイル、あなたに着いていくことはできない」
確信があったわけではない、だがカイルの中で否定されると言う発想は一切なかった。
それ程までに二人が過ごした時間はかけがえのないものだとカイルは信じていたから。
「……なんで?」
唇を噛み締め、動揺を鎮める。
平静を装いながらなんとか声を振り絞る。
「やっぱり、私はこの村好きだしさ、私だけカイルについて出て行ったらズルしてるみたいじゃん」
ズルという言葉がカイルには不快に響いた。
おかしいのは前提であって、ここから逃げ出すことに何の罪もない。
例えそれを後ろ指さされたとしても、それは間違った仕組みに向けられるべきでアリスが非難される謂れはない。
「ズルいのは、君をこんなところに押し込めて、閉じ込めて、素知らぬふりしている皇帝だ!間違っているのは数百年続いてきた帝国の仕組みなんだよ。だから……」
カイルは思わずアリスに手を伸ばす。
感情任せに言葉を捲し立てたせいで、酸素がうまく行き渡らず、指先は僅かに震えていた。
アリスのか細い両の手が優しく包み込む。
「そうだよ。間違っているのは多分、この国なんだよ。でもね、カイルはお兄さんとこれから国を作っていくんでしょ?だからきっと私たちが村を出ても大丈夫な、そんなふうにしてよ。その時は堂々とカイルに会いにいくから、ね?」
アリスの両手には徐々に力が込められ、やがて二人は固くお互いの手を握り合った。
「そうだよな。アリスのお父さんとお母さん、それに村のみんなにも、村の外の世界見てほしいもんな。必ず、俺がこの村の仕組みを変えてみせるよ。だからごめん、もう少しだけ待ってて」
落ち着きを取り戻したカイルはアリスに微笑みかける。
「おばあちゃんになる前に迎えにきてね」
それに応えるように、冗談めかしてアリスも微笑んだ。
「大丈夫だよ。兄さんもこの仕組みに対して不満を持ってた。実際、俺を呼び戻してくれたわけだし、村を出たら最初にどこ行きたいか考えながら待っててくれよ」
するとアリスは少し恥ずかしそうに頬を赤くする。
「実はね、行きたいところはもうあるんだよね」
「本当に?どこなの?」
「海に行きたいの」
言われてカイルは窓の外を見る。
15年間毎日見てきた、青い水平線が広がっていた。
「海って、ここじゃ無くてってことだよね?」
いまいちアリスの意図を読み取れず、カイルは当たり前の質問をしてしまう。
「うん。私は東の海に行きたいの。大陸のちょうど反対側。そこに行って私は、海から昇る朝日が見たいの」
カイルはその言葉にハッとする。
村に来た最初の日、海に沈み行く夕日に対する感動は当然忘れたことはない。
「確かに、この村の夕日は綺麗だけど朝日はここじゃ見られないもんね」
まだ日没には少し早い、水平線の僅かに上で丸い太陽が赤く輝いている。
「そうなの。暗くて静かな海が少しずつ明るくなって、やがて太陽が昇り切る。想像しただけですごくワクワクするの」
アリスの無邪気な笑顔は、太陽に負けないくらい輝いて見えた。
アリスは帝国が大陸の西側にしか領土を持たないことを知らない。
正確には、興味がなくて把握していなかった。
東の海に行くことがどれほど困難か、カイルはそれをアリスに伝えるべきか逡巡したが、結局伝えなかった。
カイルもまた、今の帝国と連邦の関係を正しく把握していなかったからだ。
(この15年で何がどう変わったか、まずはそれを確かめないと。その上で、連邦と和平を結ぶか、最悪制圧するか。いずれにしても遠くない未来にアリスに朝日を見せるんだ)
それから二人は共に過ごした15年を懐かしみ、惜しむように共に過ごした。
そして約束の日が訪れる。
昼過ぎに物資を運んできた馬車と共に、迎えはやってきた。
村人たちはカイルの素性を知った上で、暖かく送り出してくれた。
それぞれが思い思いの言葉を口にして、カイルをもみくちゃにしながら別れを惜しむ。
「カイル、土をいじりたくなったらいつでも戻ってこいよ」
「また帝国でも花を育てられるようにするから、じいちゃんも元気でな」
ジルのしわがれた、されど逞しい手を握る。
「カイル、体に気をつけてね」
アリスはそう言うと手作りの弁当を渡してくる。
「お腹が空いたら食べて。それと、待ってるから」
頬を紅潮させ、すぐにそっぽを向いてしまう。
「ありがとう、向こうに着いたら手紙出すから」
そんなアリスの姿を愛おしく思いながら、カイルはカバンに弁当を詰める。
「カイル様、落としましたよ」
どこからともなく現れたゲイルがそっと声をかける。
カバンを開けた拍子に飛び出したのか、足元にはペンが落ちていた。
カイルが拾おうとしゃがむと、それに合わせてゲイルもしゃがむ。
そして周囲に聞こえないよう、声を顰めてカイルに耳打ちする。
「私は今すぐにでも着いていきたいものですが……カイル様にまだ、その気がないのでここに残るとします。こう見えて約束は守る男です。カイル様がいなくとも村の皆さんに危害は加えませんのでご心配なく」
カイルは顔を伏せたまま、目線だけ向けて睨みつける。
「と言うよりも、もう『祝福』についてここで調べられることは大体終わったので、手を出す前でもありません」
最後まで、ゲイルの卑しい笑いは好きになれなかった。
まとわりつくような言葉を振り切るように、カイルは勢いよく立ち上がる。
それに続いてゲイルはのっそりと立ち上がり、一礼するとカイルの側を離れた。
「私はいつでも準備して待っておりますので」
すれ違い様に一言だけ残して。
その言葉はカイルに居心地の悪い余韻を残した。
馬車が進み始めても、村人たちは手を振り続けてくれた。
一番前に立つアリスは一際大きく両手をブンブン振っている。
ふと、その中にゲイルがいないことに気が付き納得すると同時に、こんな時にまであの男のことを考えてしまうのが堪らなく不快だった。
見送る人々が小さくなり、やがて点となって消える。
出発した時はちょうど真上にあった太陽を追い越して、村からどんどん離れていく。
太陽はいつものように、村の海に向かってゆっくりと高度を下げていくのだろう。
徐々に明るさを失う空が、それだけ村との距離を思わせて、寂寥が込み上げてくる。
アリスにもらった弁当に口をつけ、寂しさも不安も一緒に飲み込む。
お腹と一緒に心が満たされ、明日への活力と覚悟が込み上げる。
15年経って村へ向かった時とはまるで別の風景を眺めながら、ゆっくり時間をかけて馬車は進んでいった。
一眠りして目覚めると、朝日は既に昇っていて15年ぶりの城は目の前だった。




