第9話 村での暮らし
カイルが村に住み始めてから、穏やかに10年の月日が流れた。
「じいちゃん、おはよう」
あの最初の朝以来、カイルはジルの畑仕事を欠かさず手伝っている。
「おう、来たか」
相変わらず口数の少ないジルだったかが、長い年月を経てカイルとも打ち解けていた。
「今日はみんな何か言ってる?」
カイルは目の前に広がる黄色く花をつけたトマト畑を見ながらジルに尋ねる。
「ああ、今日はいつもより水がたっぷり欲しいんだとよ」
ジルはカイルを見るでもなく、ぶっきらぼうに答える。
これが2人にとって、いつものやりとりになっていた。
「了解、汲んでくるよ」
10年のうちにかなり年老いたジルの代わりに、力仕事はカイルの担当になっている。
マルスとの約束通り、日々鍛錬を欠かさなかったカイルにとってはこれも修行の一部だった。
「なあ」
黙々と水やりをしていると、ジルが突然話しかける。
「どうしたの?」
カイルも作業をしたまま相槌を打つ。
「最初の頃、冷たく当たって悪かったな」
「本当に、突然どうしたのさ。今更気にしてないよ」
思いがけない言葉に思わず、カイルは振り向いた。
「まあ、なんとなく、な。俺もだいぶ体にガタ来てるから言いたいことは言えるうちに言っとかねえとと思ってよ」
しかしジルは俯いたままで、その表情はわからない。
「……そっか」
「俺は元々花を育てる仕事してたんだよ」
ジルは立ち上がると、今度はカイルの顔をしっかりと見つめて話し始めた。
それに釣られて、カイルも作業の手を止める。
「それは初耳だ」
普段、2人は黙々と作業をしていてお互いの身の上を話すような機会はこれまでなかった。
6年前まではアリスも一緒に作業をしていたため、賑やかさはあったものの、アリスが母親の仕事を手伝うようになってからは早朝の畑で流れる時間は静かなものだった。
2人にとっては、この穏やかな時間が心地よく、そのために2人がこれまで交わしてきた言葉は10年という時間に比べるとそう多くない。
「この力のおかげで花の声が聞こえるだろ?だからどうやったら綺麗に咲けるか教えてもらって、それで俺の育てる花は国一番だって誉めそやされた。噂が皇帝にも聞こえたらしくて、俺は今の一つ前の皇帝が妃さんに送る花束を作ることになったんだよ」
皇帝という言葉にカイルの心臓が一瞬はねる。
この村に来てから、自分が皇帝の息子だということは秘密にしていた。
事前に村へ送付された情報も、名前と年齢、『祝福』の詳細程度で、親族などについては明かされていなかった。
それを利用して、カイルは自分を天涯孤独の身と偽っている。
この村に望んで送られる人間はおよそいない。
そして、望まぬ隔離を強いているのは皇帝である。
自分の父親が皇帝であると知られ、村人から糾弾されることをカイルは恐れていたのだ。
村で過ごすうちに、そのような心配が杞憂だったと気がついたが、今更話す内容では無いと今日まで黙っていた。
カイルが生まれた時にはすでに祖父母は亡くなっており、2人の顔は肖像画でしか見たことがなかった。
仲睦まじい祖父母は絵の中で綺麗な花束を一緒に握っていた。
「きっと、すごく綺麗な花束になったんだろうね」
ジルの送った花束だったかはわからないが、カイルはその肖像画に収められた色とりどりの花弁を思い出しながら、呟く。
「ああ」
ジルの表情はとても誇らしげだったが、どこか哀愁があった。
「だけど、それで調子に乗っちまった。皇帝に招かれて、花の育て方を聞かれたんだよ。それで俺が花の声を聞けるって喋っちまったもんだから、それ以降こんな最果てに閉じ込められちまった」
「そんな……」
ジルの境遇を自分に重ねて言葉を失ってしまう。
つい先程思い出した優しい祖父の顔がカイルには何か恐ろしいものに思えて、手に持っていた美しい花の色もあせてしまった。
「まあ、こんな場所でもいろいろ育てられるし、それを喜んで食べてくれる人もいる。言うほど不満は多くねえ。でもよ、俺のこの力は悪いことなのかよ。こんなふうに追放されて何十年と同じ毎日を過ごすほど、許されないことなのかよ。そう思うと俺はあの時のことを悔やみきれねえ。いや、皇帝が恨めしくて仕方がねえ」
ジルの言葉は声量こそ小さいが、確かな想いがこもっていた。
「俺も一緒だからわかりるよ」
「お前は俺よりも若いうちからここに来ちまってるから、俺より辛いだろ。遊びたい盛りの頃からずっとこんな何も無いところで……すまねえな、こんな年寄りの恨み言に付き合わせちまって」
「いいんだよ、俺は話してくれて嬉しいし、やっぱりこの帝国のやり方が間違ってるって確認できたから。だから、俺はきっとこの仕組みを変えてみせるよ」
「随分とでかいこと言うじゃねえか。まあでも、カイルなら本当にできそうな気もするな」
カイルの夢物語をジルは笑うことなく、頷いた。
「もしその時はアリスも連れて行ってやりなよ。ずっとこんな檻の中じゃ可哀想だ。あの子にもいろんな景色を見せてやってくれ」
「もちろんだよ。前から思ってたけど、じいちゃんはアリスには甘いよね」
「そりゃ、生まれた時から見てるんだから孫同然よ。可愛くって仕方ねえ」
ジルは少しイタズラっぽく笑う。
それを見てカイルも笑みをこぼした。
「まあ、お前もこの10年でちっとは孫っぽく思えてきたから、これからも頼むぞ」
ジルはそれだけ言うとすぐにカイルから顔を背けて畑仕事を再開した。
そのまま2人はいつも通りの静寂に包まれた朝を過ごした。




