第6話 少女との再会
エマと別れてから小一時間山の奥へと進んだところで、クリスは地面に血痕を見つけた。
「これは……」
点々と落ちた血はまだ新しく、水気を帯びている。
クリスは嫌な予感がして、その血を辿るように一目散に走り出した。
程なくして、木の陰から話し声が聞こえた。
クリスは走る足を止め、ゆっくりと気付かれないように木の影に立つと様子を伺った。
すると尻餅をついてた少女とそれを見下ろすように立つアンダーソンの背中が見えた。
「ようやく追い詰めたぞ。手間取らせやがって」
アンダーソンは軽装ではあるものの体を守るための立派な鎧を着ており、立ち姿からは猛々しさを感じる。
対照的に少女は昨日と同じボロボロの服を見に纏い、足には矢が刺さっていた。
昨日と比較しても弱々しく痛々しい姿だ。
「どうせ痛めつけても死なねぇんだ。散々苦労させられたストレス、発散させてもらうぜ」
振り下ろされた剣は少女のふくらはぎを貫いた。
「うぎゃあっ」
少女の悲鳴が響き渡る。
クリスはその光景を信じられず、唖然としていた。
「これだけ足元を痛めつけりゃ、ちょこまかと逃げるなんてもう出来ねぇよなぁ」
アンダーソンの口調に今朝の溌剌とした好漢らしさはなく、嫌味ったらしく卑劣な雰囲気を感じた。
笑顔で語りかけるアンダーソンに対して、少女は毅然とした表情で睨み返す。
(あの子が貴族の家出娘だろうが殺人犯だろうが、これはおかしい。アンダーソンさんはなんでこんなことを……)
クリスは目の前の光景について正しく理解しようと、必死で考えを巡らせていた。
その間に、アンダーソンは少女の腹部に剣を突き刺した。
「ぎゃああっ」
先ほどよりも大きな叫び声が上がる。
思案していたクリスはハッとする。
目の前の光景の意味はわからないが、間違っていることはわかる。
叫び声に目を覚ましたかのようにクリスは走り出し、アンダーソンに体当たりした。
「なっ」
アンダーソンは完全に虚をつかれ、尻餅をついた。
少女も同じように、突然の助けに唖然としていた。
「貴様、村にいたガキか!俺の仕事の邪魔をしやがって、テメェも殺してやろうか」
その言葉を聞き終わらないうちに、クリスは少女を抱えて走り出した。
少女はクリスの腕の中で暴れる。
「おい! 君は自分が何してるのかわかっているのか? 今すぐ私を捨てて逃げるんだ。今ならまだ間に合うはずだ」
「そんなことできるわけないだろ! こんなふうにあちこち刺されて……見捨てられないよ。あいつを撒いたらすぐ手当てするから」
クリスの言葉に少女は驚いた表情をする。
そして大人しくなると少し嬉しそうなしかし寂しそうな声で俯いた。
「私なんか別に良いんだ。それに私と一緒だと逃げ切れないだろう」
「それでもやれるだけやる。だってあんなの間違ってるよ」
言ってみたものの、ジリジリとアンダーソンとの差は迫っていた。
「わかった。それじゃあ私をおろしてくれ」
状況を見かねた少女はクリスの顔を見上げて提案する。
「だから置いていけないってば!」
「違う、私も走って逃げる。もう傷は大丈夫だから」
「そんなわけ……」
クリスは抱えていた少女の足を見て驚いた。
つい先程、剣が刺されたはずの傷口は既に塞がっていた。
傷自体が完全に癒えたわけではなさそうだが、最低限走れるレベルにまで回復しているように見える。
深く剣を突き刺されてできた傷がものの数分で完璧に塞がっている。
そんな状況が普段から怪我を見ているクリスだからこそ、信じられなかった。
「これって、なんで……」
「理由は落ち着いてから話そう、とにかく今は逃げるぞ」
クリスはその場に少女を下ろすと後ろを振り返った。
アンダーソンとの差はまた縮まっている。
少女の言う通り、今あれこれ話している余裕はなさそうだった。
胸に刺さったままになっていた剣を荒っぽく抜き捨てると、少女は胸から血を垂れ流しながら走り出した。
山に慣れたクリスと傷を負うことに躊躇いのない少女のコンビは、軽装とはいえ鎧を着込んだアンダーソンからみるみる差を広げていく。
アンダーソンはすぐに追うのを諦めたようで、程なくして2人は洞穴で休憩を取った。
***
「すぐに応急手当てするから」
リュックから応急セットを取り出してクリスは少女の姿を見た。
しかし、つい先程まで大量の血を吐き出していた胸はすっかり傷口が塞がっていた。
「君は一体……」
クリスが困惑していると、少女は真っ直ぐクリスに向かい合って頭を下げた。
「それは順を追って話そう。まずはありがとう。昨日に続いて2度も助けられたよ。そしてやってしまったな。あの男に目をつけられた以上、君はもはや私同様追われる身になってしまった」
その言葉の意味をクリスは改めて実感する。
この地域を守る騎士団の隊長である彼に反抗したとあってはクリスはタダでは済まないだろう。
ただ、クリスは自分の行動に後悔はしていなかった。
「そうかもしれない……けどあんなの見て見ぬ振りできないし、何か事情があるんだよね?」
「そうだな、今からその事情について話しをさせてもらう」
昨日とは口調も受ける印象もかなり違い、クリスは自然と気圧され身構えていた。
「私は不老不死だ」
「えっ? ふろうふしって老いない死なないって意味の不老不死?」
「そうだ、君自身見ただろうが私は先程受けた傷がほぼ全て完治している。といっても致命傷がかすり傷になるといった具合で、命に関わらない程度に治るとそこからは治りが遅い。ただ、こんな感じで致命傷は即座に治癒するんだ。そんなこんなで300年ちょっと生きている」
クリスにとっては信じられない話であったが、実際に剣で貫かれた足も胸も既に少し痕が残る程度まで回復していたため、受け入れざるを得なかった。
「このことは帝国の皇帝とごく一部の人間しか知らない。そして皇帝は不老不死の研究材料として私を捕らえようとしている。さっきの男も事情を知っている数少ない1人だろう」
「じゃあアンダーソンは君を不死だと知ってて、捕まえるためにあんなふうに痛めつけてた……?」
「まぁそうなるな」
クリスは怒りが込み上げてきた。
先程までの様子を見るに、傷はすぐ治るかもしれないが痛みは不死だろうが変わらず感じているはずだ。
「許せない」
「君は優しいんだな。本当に助かったよ。傷は治るとはいえ逃げ続けてて結構疲れてたから。たださっきも言ったように君もやつに狙われる存在となったのは間違いない。すぐには村へ戻らない方がいいぞ」
少女の警告にクリスは頷く。
「君はこれからどうするの?」
「私はこの山で見つけないといけないものがある。それを見つけるまではこの山から出るつもりはない」
「何を探しているの?」
「君は地元の人間らしいな。実はこの花を探しているんだ。見覚えはあるか?」
少女はポケットからくしゃくしゃの紙を取り出した。
それはこの山の山頂付近に群生する花だった。
「これは……」
採取が難しい場所に咲く上、観賞用以外にこれといった使い道がないため、村で見かけることは全くと言って良いほどないがクリスは図鑑を通して存在を知っていた。
「この花を一体何のために?」
「この花が私を殺してくれるかもしれないんだ」
「……えっ?」
「私は不老不死の体を治して、きちんと死にたいんだ。そのために不老不死を治す方法を求めて旅をしている。実はこの花は万能薬になると言う噂を聞いたんだ。だから、私の不老不死を治すために使えないかと思って探している」
不老不死を治す。
伝説やおとぎ話であれば多くの人が欲し、現実では誰も手にできないはずの不老不死という力をこの少女は持っている。
そしてその力を手放そうとしている。
クリスにとっては途方もない話しに聞こえた。
しかし少女から提示された花には薬のような効能は一切ないとクリスは記憶していた。
不老不死の治療なんて世界中のどこでもおこなわれていないはずだ。
だからこの花に本当にその効果があるのかもしれない。
迷いながらもクリスは自分がこの花について知っている全てを少女へ伝える。
「この花に薬になるような効能はないはずだけど……」
意外にも少女はそれを知っていたかのように頷いた。
「そうかもな。これまでもこの手の話でハズレは引いてきた。ただ、私も他に手がかりがないから試すしかないんだ」
その声はとても寂しそうだった。
だからクリスも彼女を肯定する。
「確かに、誰もこの花を不死の治療に使ったことはないから試す価値はあるのかも」
少女はもう一度頷くと立ち上がった。
「そう言うことで私は今すぐにでもこの花を探そうと思う」
「だったら僕もついていくよ。この花が咲いている大体の位置はわかるから、案内するよ」
「君は本当に優しいんだな」
少女の笑顔はやはり寂しげで儚かった。
2人は洞穴から出ようとしたが、外は雨が降り始めていた。
「この花の群生地は山頂近くで、かなり足場が悪いからこの雨の中行くのは危険だ。天気が落ち着くのを待とう」
「君がそう言うなら従おう」
「意外だね。それでも無理矢理行くって言うのかと思った」
「1人なら無茶もできるが、君は死んでしまうからな。それにもう何百年も待ってるんだ、数時間余計に待つくらいならわけないさ」
少女は諦めて冷たい石の上に腰を下ろす。
「もしよかったらさ、本当に嫌じゃなければで良いんだけど、不老不死になった理由とかを聞いても良いかな? もしかしたら何か手がかりになるかもしれないし……俺も君の望みが叶う方法考えたいんだ」
少女は少し考える素振りを見せたが、すぐにクリスの方を向いて答えた。
「わかった。ここまで協力してもらったんだ、君には知る権利がある。それに私としても何か手がかりが見つかればありがたいからね。ただ、聞いてて楽しい話ではないぞ」
少女の表情が一段険しくなる。
クリスも身構える心持ちになるが、これまでの少女の様子から、それは想像の上だった。
「覚悟の上だよ……その前にもう一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「まだ名前を聞いてなかったなと。ちなみに僕の名前はクリス。よろしくね」
「私はトワだ」
「あれは私が11歳の頃だったかな」
簡単な自己紹介を済ませると少女はゆっくりと語り始めた。