第2話 兄弟の夢
マルスとカイルは2つ違いの兄弟だった。
大陸の半分を領土とする一大国家・セルメギス帝国の皇帝を父に持ち、幼い頃から王となり国を統べるための英才教育を施されていた。
兄であるマルスは文武ともに秀でており、誰もがマルスを次の皇帝として疑わなかった。
そんな兄に勝るとも劣らないのが後に宰相となるカイルだった。
幼いうちは大きな差であろう2歳という年齢差をものともせず、学業においては常にマルスと互角だった。
武においても肉体の成長に伴い徐々にマルスとの実力は拮抗していき、カイルは皇帝としての可能性を遺憾無く発揮していった。
マルスは十分な才覚を発揮していたにもかかわらず、より優れた能力を持つカイルこそ次期皇帝と密かに囁くものが現れ始めた。
カイルという存在に帝国の上層部は少しずつ分裂を始めた。
2人の父親である皇帝がマルスを次期皇帝として譲らなかったことで表沙汰にはならなかったが、幹部たちの結束は目に見えて瓦解し始めていた。
そうした大人たちのいざこざをよそに、2人の兄弟は仲睦まじく切磋琢磨していた。
「カイル、お前もう馬にも乗れるようになったのか。お前は本当にすごいやつだな」
「兄ちゃんの方がすごいよ。俺、まだ思うように乗れないからさ」
「初めのうちはそんなもんだろ。もう少し軸がぶれないように体の使い方を覚えればすぐに慣れるさ」
「じゃあ、兄ちゃんが乗ってる後ろに乗せてよ」
「そうだな。たまにはお前の兄貴らしく、かっこいいとこ見せてやるよ」
そうしてマルスの後ろにカイルがしがみついて、2人で馬を走らせた。
「おいカイル、あんまり体ベタベタ触ったらくすぐったいし危ないだろ。ちゃんとしがみついとけよ」
カイルは右腕をマルスの腰に回して、左手でマルスの肩や背中、お尻や太ももを観察するように触った。
「でも兄ちゃん、こうした方が体の使い方よくわかるからさ」
「はあ、ほどほどにしとけよ。怪我したら父上も母上も心配されるからな」
「うん、気をつけるよ」
言葉とは裏腹に、今度は左腕でマルスの腰を掴むと、右手でマルスの右半身を舐めた。
最後に左右に体を曲げて覗き込むようにマルスの手綱捌きを見ると満足したように元の位置に座り直した。
「気は済んだか」
「うん!体の使い方もなんとなくわかってきた」
「……そうか」
「あのね、兄ちゃん」
「なんだ?」
「俺、大きくなったら兄ちゃんの右腕になるよ」
無邪気に笑うカイルに対して、城内に流れる噂を耳にしていたマルスは返事をしなかった。
「大人たちは勝手なこと言うけどさ、俺は兄ちゃんに皇帝になってほしい。それで俺は兄ちゃんの1番の味方だ」
「お前、知ってたのか」
「うん……でも、あんなの気にすることないよ。だって兄ちゃんの方が2歳も上で俺よりうんといろんなこと知っててできるんだから」
「……そうだな。俺たち2人でこの国をもっと強くして民を幸せにしてやろうな」
兄弟の思いとは裏腹に囁かれていた噂は徐々に大きくなっていった。
「最も優れた御子息を次の王に据えるべきではございませんか?」
皇帝の右腕である宰相がカイル派になったことで、王もいよいよカイル派を制御しきれなくなった。
そして後継論争は遂に勢力を2分させる大きな競り合いに発展した。
マルスが15歳、カイルが13歳になった年、皇帝は2人を呼びつけた。
「すでに、城内で流れている噂を2人とも耳にしているだろう」
「「はい」」
2人は揃って返事をする。
「周りはとやかく言っているが、儂もあやつらも所詮は前時代の人間。お前たちどちらが皇帝になるとて、その時はもはや儂らはおらん。だからこそ、2人の意見を聞きたい」
「父上、俺たちの答えは決まっています。ね、兄さん」
「はい、俺が父上の後を継ぎます。そしてカイルには宰相として俺の一番近くで補佐をしてもらいたいと考えています」
「それが2人の考えなのだな」
「はい」
肯定の返事はカイルだけのものだった。
マルスは一呼吸置いてから、話を続ける。
「ただし、今の俺が皇帝に相応しいかは正直迷っています」
「兄さん何言ってるんだ」
「最近は文武ともにカイルが俺より優っています。このまま差が広がるようであれば、俺よりもカイルが皇帝に相応しいと言わざるを得ません」
実際、カイルは既にマルスを超える知識を有していた。
武においてもあらゆる武術や武器の使いこなしにおいて、カイルは即座に習得し、そうした総合力から戦闘面においてもマルスを凌駕していた。
「話が違うじゃないか!」
それでも兄が皇帝であることを疑わないカイルは怒りをあらわにする。
「話はまだ終わってないから落ち着くんだ」
マルスはそんな弟を見て少し微笑むと、すぐに話を続けた。
「だから、俺はカイルを越えようと思います。2年早く生まれて先を歩いていたのは俺です。カイルが追い抜けたのであれば、俺が今一度抜き返すことも可能でしょう。だからカイル、これからも俺と切磋琢磨してくれ」
「兄さん……もちろんだよ!」
「うむ、2人の考えはよく理解した。異論はない。これからも2人で高めあうのだぞ」
「「はい」」
2人の返事は再び揃った。
「ところでカイル、お前は教わったことは大体1発でマスターしちまうけど、何か特別な覚え方とかあるのか?」
それは皇帝と後継の会話が終わり、父と2人の息子の何気ない会話だった。
「覚え方とかはないけど、実は俺、記憶力がめちゃくちゃ良いんだよ。だから一度教えてもらったことは絶対に忘れない。それに体の動かし方とかも一度見たら覚えちゃうからあとは風呂とか寝るときに思い出して同じように動かすだけだよ」
カイルは大したことはないと言った風に告げた。
「いや、それ普通できねえよ。やっぱお前ってすげえやつだったんだな」
特別な才能を持つ弟に対してマルスは嫉妬するよりも素直に尊敬の言葉を口にした。
しかし、父である皇帝は別だった。
困惑と何かに対する恐怖が混ざった表情でカイルを見ていた。
「カイルよ……たとえばだ。たとえば、去年の今日、何があったか覚えておるか?」
「もちろんですよ。去年の今日は朝トーストを2枚食べてから弓の稽古をして、お昼は兄さんと馬に乗って近くの川辺まで行きました。で、そこで釣りをして獲った魚を焼いて食べました」
カイルはつい先程の出来事のように迷いなく状況を伝えた。
「もう良い。マルスよ、その後のことは覚えてますか?」
「いえ、まさか。釣りしたことだって今言われて思い出しましたが、本当に去年の今日だったかは覚えてないです。魚焼く時に服を焦がして母上に怒られたのもその日だっけ?」
「いやいや、兄さん、それはさらに2ヶ月と13日前だよ」
「わかった、わかったからもうやめてよい」
皇帝はカイルの言葉を遮るように割って入る。
「話はよくわかった。少し考えたいことがある。2人はもう戻って良い」
「わかりました」
2人は父の様子を疑問に思いながら部屋を出ることにした。
「カイルよ、先の話は決して誰にも話してはならぬぞ」
「服を焦がした話ですか?」
「違う!記憶力の件だ。絶対に他言してはならん」
「なぜですか?」
わざわざ話すような内容ではないが、ここまで言われるとカイルも逆に理由が聞きたくなった。
「それについては後日、改めて話す場を設ける。良いか、必ず黙っておくのだ」
父の有無を言わせぬ態度にカイルもマルスも疑念を抱いたが、威圧するような眼差しに押され、そのまま部屋を出ることにした。
「まさかカイルが『祝福』を受けていたとは……」
皇帝は1人、部屋に残って頭を抱えていた。




