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第10話 一歩踏み出して

「風が心地良いですね」

 城の中庭を3人はゆっくりと歩いている。


 勇気を出して3人で窓を開けてから、小一時間ほど窓辺に座ってそよ風を受けながら談笑した。

 窓が高い位置にあることもあってか、誰の声もレジーナの元へは届かなかった。

 そのおかげで、少し自信が()いたレジーナは自ら部屋の扉を開けて城の中庭まで出てきた。


 中庭では、先ほどまでより少し強い風が時折、3人の間をすり抜けていく。

 噴水の周りをクルクルと歩きながら、日差しの中をゆっくり歩く。

 城の敷地内は人も少ないためか、ここでもやはり声は聞こえなかった。


「どう? 大丈夫?」

 エマはしきりにレジーナを心配する。

「はい、まだどなたの声も聞こえないので大丈夫です。でも、少しくらい声が聞こえてくれないと街へ出た時に一気に声が聞こえそうで少し不安ですね」

 素直に不安を吐露(とろ)するレジーナの表情は部屋にいた時よりも格段に明るく見える。


「じゃあもう少し他のところも散歩してみないか?」

「そうですね。ではこのままお城を一周してみましょう!」

 上機嫌なレジーナは先頭に立って歩いていく。


 建物と建物の間に入ると、日差しが届かずうっすら暗くなる。

 それに伴って風も大雑把に所在なく吹き遊ぶのではなく、細く鋭く一方向を目指しているように駆け抜ける。

 視界の先に日差しを捉えたレジーナはピタリと足元を止めた。


「……聞こえます」

「えっ?」

 レジーナのすぐ後ろにピッタリとついたエマが聞き返す。

 人の声は確かにどこからもしなかった。


 わずかな間、沈黙が生まれる。

「この声は……大丈夫です」

 聞こえたのは侍女であるラナの声だった。

 レジーナはホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら聞こえた声も悪い話ではなかったようだ。


『今日はお天気が良くてお洗濯物がよく乾きそうですね』

『そよ風も心地良い……でもあまり風が強くなってしまうとお嬢様が心配です……』

『いいえ! きっとお嬢様にとっても今日は良き日となるはずです! 1日外で過ごしてお疲れになるはずですから今晩のお茶は疲れを癒せるハーブティーにしましょう』


「誰がなんて言ってたの?」

 エマは好奇心を抑えられずに問いかけた。

「うふふ、内緒です」

 レジーナは悪戯っぽく笑う。

 どんな内容であれ他人に話すことをレジーナは良しとしない。

 もらった暖かい言葉はそっと自分の胸の中に閉じ込めた。


 再び歩き出したところで、今度はトワが足を止めた。

「今、何か音がしなかったか?」

 どこかの部屋で扉が勢いよく閉じられる音をトワは聞き逃さなかった。

「何も聞こえなかったけど?」

「私も気がつきませんでしたわ」


 トワのこの聴覚は300年の間に鍛え上げられていた。

 不老不死の彼女は聴覚が良くなることも悪くなることもない。

 そのため、厳密には周囲の音に対する気の配り方が繊細(せんさい)になっていったのだ。

 それは多くの場面で追われる身、狙われる身だった彼女が今日まで逃げ延びるための処世術(しょせいじゅつ)でもあった。


「レジーナって耳が良いってわけじゃないんだ」

「はい、他の方と変わりません。人の声が風に乗った場合だけ、風からその人の声が聞こえるのです」

「小さい声の方が聞こえるんだよね? 他にも何か条件みたいなのってあるの?」

「そうですね……風が強い程、遠くからの声がきこえます。同じ声でも突風とそよ風だと突風の方が鮮明に聞こえます」

「なんとなくイメージ通りだね」


「あとは、風が強くて人混みにいるといろんな人の声が混じって聞こえますが、聞きたい話や意識がいったものの方がよく聞こえますね。普通の声でも同じでしょう? 人混みでも意識していれば聞きたい声が聞こえるみたいなものです」

「なるほど……あっラナさんだ!」


 中庭を出てから丁度城を半周したところで、ラナは洗濯物を干していた。

 ズラリと並んだ純白のシーツはひらひらと揺れている。

「エマ様、こんにちは。トワ様とお嬢様もお揃いで。これからお買い物でしょうか?」

「はい、リハビリを兼ねて城内を少し散歩してたんです」

「そうでしたか。皆様お気をつけていってらっしゃいませ」


「ありがとう。ラナもお仕事頑張ってください。それと、あまり心配しないでね。なんだかとってもうまくいく気がしてるの」

 想像以上に上機嫌なレジーナを見てラナは驚きながらも、安堵(あんど)した。

「ありがとうございます。そうですね、私も今日はとても素敵な日になるような気がします」

「それじゃあ、いってきますわ」

「はい、いってらっしゃいませ」


 意気揚々と街へと繋がる正門を出るとすぐにレジーナの足はすぐに止まってしまった。

『あいつマジで気持ち悪い』

『また値上げしやがって守銭奴(しゅせんど)が』

『なんで私がこんな目に……』

 対して強くもない風が、街に溢れる憎悪や哀しみを突きつける。


 途端にレジーナの背中から冷や汗がブワッと溢れ出す。

 思い出すのは半年前、自身の陰口を叩かれ、それを聞かされた日々だった。

 2人から何か声をかけられている気がするのに音は耳まで届かない。

 風が告げる声しか聞こえない。


「…………ぉい……おい、レジーナ!」

 トワに肩を強く叩かれて意識を取り戻す。

「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

 言われて自分の表情を確かめるように顔に手を当てる。

 額から流れた汗は輪郭(りんかく)をなぞって顎まで垂れていた。


「一度帰った方が良いんじゃないのか?」

 その言葉に一瞬、甘えそうになる。

 しかしラナの言葉を思い出し、なんとか堪える。

「いえ、ここで戻ったら次はないかもしれませんから……」

 次はない、それほどまでに、このどこにでもあるひと吹きの風は絶望に満ちていた。

「だったら、僕らとずっとお喋りしてようよ。さっき言ってたよね、意識すればその声がよく聞こえるって。まずは僕たちの声に集中してよ」

「ありがとうございます」


 それからエマとトワは間髪入れずにレジーナと会話を繰り返した。

 話が弾むにつれてレジーナの顔色も徐々に戻っていく。

「そろそろ行きましょう」

 緊張から口を真一文字に結びレジーナは一歩踏み出す。


「もう行って大丈夫なのか?」

 先程までよりだいぶ楽になったとはいえ、風の声が全く聞こえなくなったわけではない。

 まだ2人の声に混じって聞きたくもない声が聞こえる。

 それでも、ここに立ち尽くしていても状況は改善しない。

「はい、行けるところまで行かせてください」

 今はただ、前へ進みたいと思った。

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