第8話 剣の心得
朝になって3人で落ち着いて話し合った結果、万が一の時にそのまま逃げられるように町を出る準備をした上でレオンハルトと会うことになった。
いつもの様に市場へ行くとクリスはフロウに偶然会ったので、3日後に町を出ることを伝えた。
「そりゃまた随分と急だな……マスターたちも悲しむだろうよ」
「そうですね……急な話になって申し訳なかったですが、マスターにも受け入れてもらえました」
『両親の手がかりをエマが持ってきてくれたから急だが町を出ることになった』というトワが考えた設定を伝えると、マスターは出会った時と同じ様に涙ながらに受け入れてくれた。
ウィルも鼻をすすりながら名残惜しそうに2人を抱きしめた。
ここまで優しく、暖かく受け入れてくれた2人に対して嘘をついたまま旅立つことが心苦しかった。
しかしレオンハルトの真意を計りかねている今、余計なことを言ってトラブルに巻き込むのは避けたいというのがトワとの総意だ。
「ところでフロウさんは、ずっと一人旅なんですよね?」
「ん? ああそうだけど。それがどうかしたか?」
「護身術とか剣術とか、そういうのって詳しかったりしますか?」
「あーそういうことね。我流だけど突然盗賊に襲われても追っ払えるくらいには強いぜ」
顎に手を当て、全てを理解したようなしたり顔でクリスを見る。
「昨日、襲われた時に何もできなかったもんだから、旅立つ前に教わりたいってわけか?」
「実はその通りで……」
考えを全て見透かされた様に感じ、恥ずかしさから顔を伏せながら答えた。
フロウは昼間の件を話しているのだろうが、その後にしっかりと用心した上でエマに抑え込まれたことがクリスには絶望的だった。
「いいぜ。3日しかないから大したことは教えられないだろうけど、何も知らないよりはマシってことで、いっちょ稽古してやるよ」
マスターの計らいで残る3日間は出発に向けた準備を進められるようにと、仕事の時間を短くしてもらった。
付け焼き刃かも知れないがやらないよりはマシだろうと意を決する。
こうしてフロウによる特訓が始まった。
***
市場を抜けた先にある空き地で稽古することにした。
ろくに手入れされておらず、小石が転がり雑草が生え散らかされたそこは荷物置き場程度にしか使われていないようだった。
「よっしゃ! まずはかかってこいよ」
フロウはクリスに木刀を投げつける。
両腕で抱くように掴みにかかるが、腕の間をすり抜けた木刀はカランと地面で砂埃を立てる。
クリスは慌てて木刀を拾い上げると砂埃を払いながら折れていないかマジマジと観察する。
「あー、傷くらい気にすんな。どうせ使ってりゃ壊れてくんだし。それより打ち込んでこいよ」
退屈そうにクリスの様子を眺めていたフロウが右手を前に出して挑発するように手招きする。
「えっ、いきなりですか?」
「だって時間ないし、クリスがどの程度の実力か俺知らないし。心配しなくてもちゃんと避けるから全力で来い」
言いながらも、今の動きだけでクリスがかなり鈍臭いということはわかっていた。
更に言えば、全力を出されたところで万に一つも攻撃を喰らうことはないという確信がフロウにはあった。
「……それじゃあ、行かせてもらいます」
一瞬迷った後にクリスは木刀を力強く握る。
クリスもまた、フロウが自分の剣を避けられないとは思わなかった。
実際に戦っているところを見たことはないが、おそらくかなり腕が立つのだろう。
なんとなくの雰囲気ではあるが、クリスはフロウがかなりの実力者だと理解していた。
全霊を込めて木刀を振り下ろす。
クリスの予想通り、軽く避けられる。
フロウには慌てた様子もなく、軽やかに避ける様はあらかじめ木刀の軌道を知っていたかの様だった。
「ほらほら、もっと来いよ」
フロウの言葉を受けて、もう一太刀。
さらにブンブンと木刀を振るうが、一向に当たる気配はなかった。
次第に息が切れ、木刀に振り回されるようになってきた。
「よし、ここら辺で終いにしよう」
フロウの言葉を受けて、クリスはその場にへたり込んだ。
時間にして僅か5分。
双方の予想通りの決着に終わった。
「お疲れさん」
フロウは水筒を手渡す。
「ありがとう……ございます」
息も絶え絶えになりながら水を一気に飲む。
「こういうこと言うのもアレだが、クリスまーったく強くないのな」
「うっ……」
村にいた頃から、運動は苦手な方だった。
エマの剣の稽古に付き合った時も全く歯が立たず、次第に相手をされなくなるレベルだ。
しかしながらエマは自分たちより年上の男にも勝つくらいの腕前だったので、自分が弱いわけではないと無意識に逃避していた。
それがここにきて改めて突きつけられる現実にクリスは多大なショックを受ける。
「そう落ち込むなって。クリスは相手に勝ちたいわけじゃないよな?」
あまりの落ち込み具合が気の毒で、フロウは話題を変えてみる。
「どう言うことですか?」
「つまりだ、襲われた時に身を守って逃げ延びることができれば相手に勝てなくても問題ないか? ってことだよ」
「あー……ああ! なるほど! はい、それで大丈夫です!」
フロウの言葉を理解して、クリスは大きく頷いた。
確かに、戦いとは常に勝敗が決まるものではない。
先日のレオンハルトだって明らかにクリスに対して優位に立っていたものの目的を果たせず逃げたという点では決して勝ってはいない。
追っ手に捕まらない、つまり逃げ切ると言うことは追われる身のクリスたちにとっては勝ちに等しい。
むしろトワと出会ってから逃げてばかりのクリスにしてみれば、確実に逃げられることの方が大切かもしれない。
「じゃあ簡単だな。相手を先に疲れさせればいい。そうすれば追いかけようにも追いかけられないだろ?」
「確かにそうですが、どうやって疲れさせるんですか?」
言うのは簡単だが、この10分程度でクリスの体力の無さは露呈していた。
「そりゃあ今の俺みたいに避けまくれば自然と相手から疲れていくだろ」
「あんな風には避けられませんよ」
こともなげに告げたフロウに反論する。
「そんなことはないさ。剣の振りってのは基本単純だ。切り付けてる最中にぐにゃぐにゃ曲がったりはしない。だからクリスみたいに大きく振りかぶってくれる奴が相手なら、簡単に軌道は予想できるよ」
クリスから木刀を受け取るとブンブンと振り回す。
確かに上に振りかざせば下へと振り下ろし、右に構えれば左へ切り裂く。
この軌道が突然別方向へ曲がる様なことはないし、そうしようとすることは使う側の腕への負担が大きい。
「それと攻撃したい時は突くといいぞ」
そう言って今度は木刀を前へ突き出して見せる。
「なるほど。予備動作が少ない分、相手に予測されにくいんですね」
「そう言うことだ。前に出すって軌道自体は、他の振りと同じで変えらんないけど前置きがない分早いし、真っ直ぐ迫ってくるものってのは視覚的に捉えにくいんだよ」
そこからはフロウを相手に避けて突くと言う特訓を行った。
***
「日も暮れてきたしこんなもんだろ。明日も同じ時間にここでいいか?」
「はい……ありがとうございました」
途中からクリスが避ける練習をするために一方的に切り掛かってきていたフロウだったが、息一つ乱すことはなかった。
結局のところ実力差の大きな相手にはこの作戦も効果がないことを身をもって証明されてしまった形ではあるが、クリスの胸には充実感があった。
昨日までの様に無力に終わることはない。
「これで昨日みたいに抑え込まれたとしても、打開できます……あれ?」
クリスは1つの気づきを得た。
「この特訓って、捕まっていない前提ですよね? 抑え込まれたらどうするんですか?」
「今のクリスじゃどうにもなんねえもん。やれることだけやろうぜ。それじゃ、またな」
クリスは項垂れる。
それでも昨日よりはマシになったはずと自分に言い聞かせながら空き地を後にした。
***
「特訓に付き合ってあげるなんて、どう言う風の吹き回しなの?」
路地裏ではダリアとフロウの密会が行われていた。
「どうもこうも暇だったんで付き合ってんだよ」
「本当に? 前は辛口だったのに、今度は随分入れ込んでるんじゃないの?」
ずいっと顔を近づけて覗き込む様に見つめる。
「心配いらねーよ。どっちかって言うと逆だな」
「逆?」
ダリアは不思議そうに見つめる。
「そう、逆」
「何よそれ?」
「なんでもいいじゃねぇか」
「あっそ」
不貞腐れたように吐き捨てる。
「お前の方こそ、俺がいなくなったら寂しいんじゃないのか?」
腰を少しかがめながら、今度はフロウが顔を覗き込む。
「調子に乗るんじゃないの」
その顔を突き放すように、額を押しのける。
「あいにく、今の町での生活に結構満足してるのよ。朝は焼き立てのパンを食べて、昼は市場で買った新鮮な野菜でパスタを作って、夕方にはおしゃれな音楽を聴きながら読書して、夜はいい男のいるバーで美味しいお酒を飲む。こんな人間らしい生活のどこにも不満はないわ」
「それが束の間だったとしても?」
フロウは優しい言葉遣いで、冷徹に現実を突きつける。
「ええ、もちろん。私の中の一番大切なものは変わらないわ。ただ、どうせ楽しめるなら楽しんだものがちじゃない?」
「違いねーな」
2人は顔を突き合わせて微笑みあった。
「じゃあ俺もせいぜいこの後の旅路を楽しむとするかな。ダリアも達者でな」
いつもより少し惜しむようにフロウは路地裏から消えていった。




