第26話 願い
「その本は嬢ちゃんが持っていきな」
落ち着きを取り戻してなお、本を抱えているトワにフレッドは優しい声音で伝えた。
「いいんですか?」
「この家で誰にも読まれず埃被ったままなんて可哀想だろ。それに多分師匠もそれを望んでる」
フレッドは窓の外をチラリとみる。
太陽はいつの間にか高い位置まで登っており、街も活気に溢れ出していた。
「さて、そろそろ俺は仕事に行くわ。クリスは嬢ちゃん連れてってやりな」
フレッドはクリスの方を見て目配せする。
それを受け取ったクリスは開きかけた口を閉じ、黙って頷いた。
「明日はいつも通りに頼む。諸々の話もその時な」
そう告げると一足先にフレッドは家を出てしまった。
「クリス、すまないんだが」
フレッドを見送ったクリスをトワが上目遣いで見つめる。
両手には大切そうに本を抱え、申し訳なさそうな表情だった。
「本を持って帰るのに鞄を使わせてもらえないだろうか?落として汚したくないし」
いつになくいじらしいトワの様子に口元が綻ぶ。
「元々僕の鞄に入れてきたわけだし、それくらい気にしなくていいよ」
「ありがとう」
差し出された本に右手を伸ばす。
しかしそこで手を止めて、すぐにクリスは左手も差し出した。
両手で本を大切に受け取るとそっと鞄にしまった。
そのまま2人はフレッドの家を出て宿へ歩き始めた。
「結局、原因はわからなかったな」
トワの表情は言葉とは裏腹に明るい。
空を見上げると太陽の眩しさに手をかざす。
「それでも収穫はあったよね」
「ああ、そうだな!」
伸ばした手を握り締めると、トワは表情を少し落ち着けてクリスを見た。
「なあクリス、聞いてほしいんだけど」
「何?」
「クリスはこのままフレッドの所で助手として医者の勉強した方が幸せじゃないだろうか」
握り締めた右手にさらに力を込めると、今の思いをありのまま言葉にした。
「私はこれからもクリスと一緒にいたい。君と出会ってからの旅は楽しかったし、たくさんのものをもらった。君がいなかったらモネのことを誤解したまま生き続ける所だったんだ。だから、クリスには一番良い選択をしてほしい。これだけ沢山のものをくれた君に幸せでいてほしい。そう願っているんだ」
昨日までの考えから少し変化した胸の内は、するすると言葉を紡いでくれた。
「本当は、この街でクリスともエマともレオンハルトとも別れるつもりだった。だって私と長いこと一緒にいたらいつか関係が悪化して嫌な別れ方をしちゃうから。ならいっそ、楽しくて大切な今無理やりにでも別れた方が、私は永遠に大切な思い出を抱えて生き続けられるから。でも、今日モネのことがわかって、そうじゃないんだって思った」
「私は私のことばかりだったんだ。私だけ残されて私だけ消えない悲しみに苦しまなきゃいけない、だったら私は私のために今別れようと。その言い訳にクリスたちの事情を使おうとしてたんだ。それがわかってなんだか情けなくなったよ」
トワは自重気味に笑う。
クリスは優しい眼差しでトワを見守っている。
「だから、これは本当にクリスのことを想って言う。クリスはここに残りたかったり自分の村に帰りたかったらいつでも言ってくれ。それを私は止めないから」
そこで一度言葉は途切れ、トワは俯いた。
ギュッと結ばれたままの右手はわずかに震えている。
「その上で言わせてほしい。私が君にあげられるものはないけど、それでも良ければこれからも一緒に旅をしてほしい」
顔を上げ、クリスを真っ直ぐ見据える。
今にも溢れそうに溜まった涙をグッと堪えて少しだけ高い位置にあるクリスの顔を見つめる。
太陽に照らされた涙が輝いて、クリスも目を離すことができなかった。
「トワは前に言ってくれたよね。僕はどうしたい?って。その答えは今も変わらないよ」
自分の無力さに打ちひしがれ、自己嫌悪の沼に落ちた時、トワがかけてくれた言葉を思い出す。
そして、その日に自分の意思で出せた答え、その日から少しずつ変われたような気がする自分が踏み出した一歩目。
「トワと一緒に旅がしたい。トワの不老不死を治したい。トワのためじゃなくて、僕がそうしたいと願うから一緒にいたいんだ」
「ありがとう」
トワはクリスの胸に顔を預けると、両目をゴシゴシと拭った。
「さあ、戻ろうか」
その目にはもう涙はなかった。
それでもトワの笑顔は変わらず輝いて見ƒえた。
「エマとレオンハルトは私と旅してくれるだろうか」
「心配いらないんじゃないかな?」
「だと良いんだがな」
2人は足取り軽く歩いて行った。




