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4.巣立ち-4


 *


「……で、君、どうするの」

 猫山が帰って、奥さんも買い物に出かけた。

 猫山の言葉が相当なショックだったのだろう。気持ちを落ち着けさせる意味合いもあったかも知れない。蒼い顔をして出て行った。

「どう、って……」

 百さんの問いに、僕は戸惑う。

「コトリちゃんのこと。君は、どうしたいんだい」

「……そりゃ」

 僕は、がしがしと頭を掻いた。

「あんなところ、コトリが戻ってええとは思いませんよ。それに」

「それに?」

「コトリを引き取って育てるのは、一花の望みやったわけやし……」

 一花が望んでいたこと。最期の望みに、なってしまったけど。

「ふむ」

 百さんは思案気に俯くと、言った。

「私は、君のことを聞いているのだけど」

「僕……?」

 百さんが首を傾げる。

「今、君の言ったことは、コトリちゃんや一花さんが思うことについてだ。そうじゃなくて、『君がどうしたいか』だよ」

 僕は、百さんの問いにドキリとして口を噤んだ。

「『コトリちゃんが可哀想だから』、『一花さんが望んだから』。そんな他人の気持ちに流されて引き取りたいと言うのは、たぶん今は良くてもこれから何かよくない風になるような気がするよ。……あの母親を退かせることは出来ても、猫山さんは説得出来ないだろうね」

「……」

「君がどうしたいか、今一度ちゃんと考えて答えを出しておいた方がいいんじゃないかな。今まで流されてきてしまって、それでもそれなりに楽しく過ごしていたと思うし、私も他の人もまあ楽しんでいたように思うけど。でも、やっぱりちゃんと考えておきなよ」

 君のためにも、あの子のためにも。

 そう言って、百さんは立ち上がった。

「私も、散歩に行って来るよ」

 僕は、その後ろ姿を見送ったあと、ふらふらと自室へ戻った。

 ごろんと畳に寝そべって、天井を見上げる。

 途端に、気怠さが僕をどっと襲った。

 雨音がひっきりなしに聞こえて、湿気がまとわりつく。

 頭が重たくなって、目を瞑った。

 ぐるんぐるんと、先ほどまでの光景が頭を回る。

 コトリの母親、そのヒステリックな声。猫山の嗤い。百さんと奥さんの心配げな顔。

 コトリ。

 泣きそうな顔をした、怯えた顔をした、一花の引き取った子ども。

(僕は)

 手の甲で目を覆った。瞑った上にそれをやると、より濃厚な闇になる。

(どうしたいんやろか)

 このままやったら、コトリは連れて行かれてしまうのか。あの母親に。

 それは、いけないと思う。よろしくないと思う。

 だってコトリは怯えていて、そしてコトリを引き取ることは一花の最期の望みで。

 でも。

『君は、どうしたいの?』

 それだけじゃ駄目だと、百さんは言う。

 僕の望みは、と彼が聞いた。

(一花の望みを叶えてやりたいだけじゃ、あかんのか?)

 僕は、僕自身は、どうしたいんやろか──……。

 ざあああああああああああああああああああああああ。

 身体が、意識が、雨音の底に沈み込む感覚。

 あ、寝てまうな、と思ったけれど、雨音と身体のだるさが勝って、目は開けられなかった。

 もう、ええか。

 そのまま、ぐらぐらと揺れるような心地にはまりこんでいった。


 *


「ちょっと。何寝てんの。起きてよ?」

 声がして、ハッと思わず目を開ける。僕の目に飛び込んで来たのは、呆れた顔をした一花だった。その首元には、マルさんに貰ったヴェネチアングラスのペンダント・トップがきらりと清潔に輝いている。

「いち、か……?」

「もう、いろいろ一大事なんだから。寝てちゃ駄目」

 がばっと起き上がると、くわんと視界が揺れた。

「一花……なんで……」

「どうしたの? 大丈夫?」

 僕は、信じられない気持ちで彼女を見て……そして、気が付いた。部屋にあの黄色のカラーボックスが無い。一花の仏壇が。

「……変な、夢みた」

「んん?」

「一花が……事故で。それで、その代わりみたいにコトリが……」

 僕がうわ言のように言うと、はあ? と一花が声を上げた。

「何、縁起でもない夢見てんのん。吃驚するし」

「せやんな。僕も、吃驚やわ……」

 僕は口元を手で押さえてから、ふと、そのまま手を伸ばして一花に触れる。

 温かな頬。唇に触れた親指に感じる息。

 生きている。

 やっと、ほっと息を吐いた。

「……本当に、怖かったんだね」

「そら、そやわ」

 一花は、僕の様子に「仕方ないなあ」と息を吐くと、ぽんぽんと僕の頭を撫でた。

「大丈夫。もう、怖いことは無いよ」

 その笑顔と言葉と温もりに、緊張や不安や……嫌なことはすべてほぐれて溶けていった。

 ふー……と大きな息が自然と漏れる。

「……落ち着いた?」

「うん」

 すり、と一花の手に懐くと、くふくふと可笑しそうに一花が笑った。

「落ち着いたなら、考えないと」

「? 何を?」

「コトリのこと」

「コトリ……」

 あれ、夢ちゃうかったんと言いそうになって慌てて口を閉じたが、一花に伝わったらしい。

「もう。まだ目ぇ覚めてなかったん? コトリまで夢にせんといてよ?」

 と怒られた。

 そうだ。……そう。コトリは、一花が引き取った子ども。

 この四月に、一花から「話がある」と言って引き合わされ、今一緒に暮らしているのだ。これは夢じゃない。

 親子三人、この狭い部屋でわちゃわちゃと暮らしている。

「してへん、してへん。大丈夫」

「そう? ならいいけど」

 コトリ。

 大人しくて、本が好きで、亡くなった動物を放っておけなくて、勉強もお手伝いもまじめにこなす子ども。

 いつも何かに怯えている子ども。

 いつでも、一花はコトリを抱き締めていた。

 こっそり動物を埋葬していることがバレたときも。理系科目が進んでいないことが発覚した時も。

 怯えるコトリを一花は抱き締めて言っていた。

『そんなんで、お母ちゃんがコトリを見捨てるもんか』

 そう言って。

『せっかく、猫山さんっていうコウノトリが運んできてくれた可愛い娘なのに』

 そうだ、そう。

『でも、猫なのにコウノトリって、何やおかしいな。ふはははっ』

 思い出して来た。

「どうすんの。あのおかーさん、また来るって言ってはるよ」

「せやなあ……」

 僕は、手で口を覆って思案する。

「……コトリは、一花にも、百さんたちにも懐いとるし。一花も、コトリと離れたないやろ?」

 僕がそう言えば、一花は首を振った。

「その通りやけど。……でも、違うよ」

「違う?」

「ちぃちゃんが、どう思ってるか。それが、知りたいの」

「僕……?」

 僕は、だから、一花がコトリと離れたくないなら。コトリがこの家に居たいと言うのなら……

 そう言いかけた僕の唇に、一花は人差し指を当て止める。

「駄目。駄目だよ、ちぃちゃん。私は……」

 ううん、と一花が首を横へ振った。

「コトリは、ちぃちゃんの気持ちが知りたいんだよ」

 私がどうとか、コトリがどうとか、そういうのを超えて。

 きっぱりと一花が言う。そこには、力強い響きがあって、僕は何も言えない。

「例えそれが、私やコトリの気持ちと反することであっても、ちぃちゃん自身の気持ちが知りたいの」

「何で……」

 一花が、にっこりと笑った。

 懐かしく、慕わしく、僕がずっと見ていたいと、その笑顔が歳を重ねて深まっていく様をいちばん傍で見ていたいと願った笑顔。

「それが、きっとちぃちゃんやコトリのためになるから」

 ねえ、ちぃちゃん。

 一花の手が、そっと僕の手に重なった。

「ちぃちゃんは、どうしたい?」

「僕は……」

 温かな手を感じながら、僕は思う。

 コトリ。

 僕らが引き取った、僕らの娘。

 怯えがちで、真面目な、優しい子ども。

 彼女が、本当は何を思って埋葬をしているのか。僕は知らない。彼女とあの母親との間に何があったのか。僕は知らない。彼女の眼に世界はどんな風に映っているのか、僕はまだほとんど知らない。

 僕は。

「知りたい」

 あの子どものことを。

 静かに僕のそばにいてくれた、僕に「痛いの痛いの飛んでいけ」をしてくれたあの子のことを。

「どうやって、あの子のお父ちゃんになったらええのんか、まだわからへんけど。でも、僕は」

「うん」

「コトリのことを知りたい」

 一花が、ふふふ、と本当に心から楽しそうに笑って言った。

「それで、いいんじゃないかな」

 ぎゅっと、手に力が込められる。

「それが、いいと思う。だって、『知りたい』は」


 ちぃちゃんの『好き』だものね!


 一花の、嬉しそうな声が響いた。胸元のヴェネチアングラスが、星のように瞬き美しい。

 そう思ったとき、

「……え」

 ぱち、と目が開いた。

 視界に飛び込んで来たのは、心配そうにこちらを覗き込むコトリの顔と天井だった。

「大丈夫……?」

「コトリ……」

 一花が居ない。

 先ほどまで居たのに。

 僕は混乱して、コトリに問うた。

「いちかは……お母ちゃんは?」

「!」

 コトリは目を丸くして、少しためらったあと。

「……ちょっと、おでかけ」

 と言った。

「さよか……」

 僕は、頭を押さえて起き上がる。ぼうっと部屋を見回して、あ、と気が付いた。

 そこには、黄色のカラーボックス。一瞬、きらっと光った気がするヴェネチアングラス。……ああ、そうか。

「……せや。せやったなあ」

 一花は、居ないのだ。

 さっきまでのが夢で、これが現実。

 ……これが。

 改めて突きつけられた一花の不在に、心がごおっと嵐に呑み込まれそうになる。

 けれど、

「あの……」

 そっと横から重ねられた手に、はっと意識がすくわれる。

 おずおずと、遠慮がちに重ねられた小さな手は、ほの温かかった。

「大丈夫、ですか……? お水とか……」

 心配そうな表情に、ふっと力が抜ける。

 ぽんぽん、とその頭を優しく撫でた。

『ちょっと、おでかけ』

 死んだ人だ、なんて言わず、寝惚けた僕の言葉に合わせてくれた、その優しさがじんわりと僕の心を温める。

 ちょっと、おでかけ。

 その響きの柔らかさが、いいなと思った。

「大丈夫。平気やで」

 それから、僕は居ずまいを正す。慌てて、コトリがそれに合わせた。

「コトリ」

「はい」

「お前の『おかあさん』は、お前を連れ戻す言うてるけど」

「……」

「コトリは、どうしたい?」

 僕の問いに、コトリがぎゅっと唇を引き結び、少し俯く。

 懸命に、何かを考え、迷い、言葉を探している様子に、

(あ、ちゃうな)

 と僕は、気が付いた。

 一花の言っていたことを思い出す。

『私は……コトリは、ちぃちゃんの気持ちが』

「コトリ」

 改めて、彼女を呼ぶ。

 コトリが、僕を見た。

「僕は……」

 僕は、ひとつうなずく。

「お父ちゃんは、コトリとこのままここで暮らしたいって思う」

「!」

「まだ全然、コトリのことをわかってやってへんと思うけど、それをこれから知りたいって僕は思う」

 ここで。

「百さんたちや、……一花と、コトリと、暮らせたらええなって思っとるよ」

 僕の言葉に、コトリは吃驚したような顔をしてから。

「……うん」

 はにかんだ。つぼみが、今か今かと花開くのを待ち侘びているような、それはそんな表情だった。

「私も」

 ぎゅっとコトリは両手を握り締めて、言った。

「私も、ここで、暮らしたいです……っ」

 僕は、自分がにっこりと笑ったのがわかった。

「ほな、暮らそか」

 ここで。

 僕とコトリと……一花と、三人で。改めて。



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