第9話 再会
イングランド北西部にある湖水地方は、氷河期の名残りを留めているらしい。氷河に削り取られた大地に水が溜まり、大小様々な湖になったのだという。氷河そのものが、溶けて水になったかのよう。
景観の美しいところで、ロッテでなくとも一度は訪れたい場所だ。怪しい連中に追いかけられている最中に観光でもないと思うが、水と草木が織りなす風景に心が和む。
次に泊まることとなったのは、湖畔の古城といった雰囲気のホテルで、およそ百五十年前に、当時の実業家が趣味で建てたもの。
ホテルの入口を抜けてすぐに広いロビーがあり、落ち着いた調度品に、暖炉とシャンデリア。あたたかい照明の下、ゆったりとしたソファに、ちょこんとネヴァンが座っていた。
向こうも驚いていたが、こっちも驚いた。一期一会、一度限りの出会いかと思いきや、まさか次のホテルでも一緒になるとは。
真っ赤な目を見開いて嬉しそうだ。
強面の爺さんは近くにはいない。また会えたわね! と、ロッテが駆け寄る。ゲイルがチェックインの手続きをしている間、なんの話か、ネヴァンと二人で盛り上がっていた。ひとしきり話し終えたところへ、
「また、おまえたちか」
と、不機嫌そうな声だ。顔を見なくてもわかる。ネヴァンの連れの爺さんだった。
「そうよ、またあたしたちよ」
なぜか胸を張って言う。そんなロッテを見て鼻を鳴らしていた爺さんだったが、不意に片膝をついてソファに寄りかかり、ゼーゼーと苦しげな様子だ。
大叔父様! と声をあげてネヴァンが駆け寄り、爺さんの懐を探って薬を取り出した。手を添えて、爺さんの口に含ませる。
しばらくすると落ち着いたようで、爺さんは、ネヴァンの手を振り払って、かくしゃくとした足取りで洗面所へ向かった。僕は、後を追って行こうとするネヴァンを呼び止めた。
「さっきのは何だ? なにか持病があるのなら、病院へ連れて行った方がいいんじゃないのか?」
「病院は、その……」
「なにか事情があるなら話してみろ」
「そうよ!」
と明るいロッテの声が響く。「苦しいことも辛いことも、口に出せば軽くなるものよ。それに、せっかくお友達になったのだもの。ネヴァンの力になりたいわ。いいえ、力にならせてくれなきゃ、邪魔しちゃうわよ」
「どんな理屈だ。だが、こいつは言い出したら聞かないぞ。話すだけでも話してやってくれ」
「まったくです」
とゲイルも。「先ほどの御様子、尋常ではありませんでしたな。お話しください。御嬢様は意志が強くていらっしゃるので、逃げられませんぞ」
なかば脅しのようになっているが、ネヴァンは大叔父との旅について語った。
「大叔父様は少し前まで入院していたんです。それを、無理を言って抜け出すようにして湖水地方へ。
詳しいことは聞かされていませんが、昔、世話になった方がおられるとか。明日にもそちらへ伺う予定なのですが、時折、ああして発作を起こされるのが心配で。付き添いがわたしだけだと……」
と心細そうに。それを聞いたロッテが、間髪おかず声をあげる。
「それなら!」
「それならって、なんだ?」
と僕。嫌な予感しかしない。
「それなら、あたしが一緒に行くわ!」
……これだ。おかしな連中に追われている自覚がない。一応は善意から出ている言葉だけに、あからさまに否定できないし。
ロッテを溺愛するゲイルは、さすが御嬢様、お優しいことで、と涙ぐんでいるし。ここはひとつ物の道理というものを、と口を開きかけたところに、
「小娘が、余計なお世話だ」
と、不機嫌そうに爺さんが割って入ってきた。
「ネヴァン、余計なことを喋るな。途中で死ぬなら、それまでというだけのことよ。こんな連中の付き添いなんぞいらんわ。どうせ金目当て、下心からの言葉だ。もっと人を疑うことを覚えよ」
「ちょっと待て、爺さん」
そのままにしておけば良かったものを、思わず、感情が口をついて出てしまった。
「さっきから聞いていれば勝手なことを。金目当てだの下心だの、ロッテの馬鹿に、そんな気持ちがあるわけないだろ」
「なら、どういう気持ちからだ?」
「友達だからだよ。ネヴァンが心配だからついて行くんだ。勝手にさせてもらうぞ」
「ふん、好きにすればよかろう」
爺さんが踵を返し、珍しく黙ってやり取りを聞いていたロッテが言う。
「パン、ありがとう」
「礼などいらんわい。つい腹が立ってな」
「ふぅん、あんたには下心がありそうだけどね」
「んなもん、あるか! ちょっとだけだ」
「ちょっとはあるんだ……」
あきれた様子のロッテはさておき、翌日には爺さんとネヴァンについて出かけることとなった。