第32話 小さな貴婦人 後編
ボスの指先からためらいなく発射された光がジョバンナの頭を貫いた、はずだった。
しかし、レーザーのようなそれはジョバンナの目の前で弾けて消えた。明滅する光に、小さな貴婦人の姿が浮かび上がる。
「ほう、忘れられた精霊風情が生意気な」
ボスの周囲に、ぐつぐつと煮えたぎるような大気の塊が出現し、それをジョバンナに向かって投げつける。割って入った小さな貴婦人の姿が、ジョバンナにもはっきり見えたという。日傘を広げて大気の塊を受け止めるが、ぐつぐつと煮えたぎる大気が日傘を溶かし、小さな貴婦人に直撃した。激しい破裂音とともに、ふらりと落ちて姿を消す。
呆然とするジョバンナに向かって、容赦なく二撃目の煮えたぎる大気が投げつけられた。
あわやの時に颯爽と現れたのは、もちろんこの僕、パン少年だ。と言いたいところだが、一歩遅れてしまい、現れたのはピサールだった。あちちち、と声をあげながらも、それを受け止め、空高く放り捨てた。
「へーい、ボス。ご無沙汰してますな。こんなところで、どうされました?」
「おまえたちがのらりくらりやってるから出てきたんじゃないか。その女は始末していく。まさかとは思うが、邪魔する気じゃないだろうね」
「いえ、もう全然。ボスには敵いませんぜ〜」
へらへらと笑いながら、右手を振り払うようにした。同時に、ボスの乗る車が爆発する。
炎上する車に近づいたピサールの足が止まった。その首を背後から巨大な鉤爪に鷲掴みにされている。鉤爪の先はボスの右肩につながっていた。ずれたサングラスを元に戻し、からかうようにボスがいう。
「おいおいおいおい、ピサール。危ないじゃないか。爆殺されるかと思ったよ。冗談もほどほどにな」
「いやぁ、本気も本気、爆殺してやろうと思ったんですがねぇ。いやはや、これはまた屑も屑。女子供に手を出すのだけは許せないたちですから」
「ああ、そうだったな。だが、力なき正義に正義なし。そこの女と一緒に死ぬか?」
「そいつもごめんですぜ〜」
冷や汗を流しているピサールを、黒馬に乗ったゲイルと僕とが、かっさらうようにして助け出した。さらに森の中から、ルト、エヴァ、オイフェの姿も。
自分を敵視する面々を見て、顔をしかめると、ボスはため息をついた。
「ぞろぞろと出てきたな。どいつもこいつも裏切り者というわけか。いや、もともと心服してもいなかったかな」
「その通りです」
ばちばちと指先に光を集めながらルトが応じた。
「ドンヌの家は、もともと助け合いの組織だったのに。あなたが自分のための組織に変えてしまった。力を求め、極めるために」
「おいおいおいおい、ルト。それじゃあ、まるで、先代のボスを裏切って殺して埋めて取って代わったみたいじゃないか」
「裏切り者はあなたです」
「はは、そうだよ。正解だ。ずっと分かっていたことだろう? 疑わしきは罰せずとでも? 疑わしきは殺せばいい。そこの男も裏切り者だ。なあ、ゲイル?」
急に話を振られたゲイルが、狼狽した様子で応じる。
「わ、私はなにも……」
「裏切ってないのかい? 自分の最も大切な者のために他を犠牲にする。それは正しいことだと思うけどね。ゲイルは、ずっと魔剣がどこにあるか、すなわちロッテがどこにいるか教えてくれていたのさ」
「なんだと?」
僕はゲイルを見て、続けてロッテを見た。すると、さっきまで眠っていたのに、折悪く目を覚ましているじゃないか。
「ゲイルが、裏切り者?」
不思議そうに首を傾げているロッテに向かって、ボスが話を続ける。
「この男は、自分の娘を助けるために、愛する御嬢様を裏切っていたんだ。まあ当然のことだろう。詳しいことは本人に聞けばいい」
楽しげに笑うと、ボスは白い竜に姿を変え、空に舞い上がった。そのまま高笑いを残して飛び去っていく。その姿が見えなくなり、ふっと緊張が解けるのを待って、ゲイルに問いかけた。
「おい、いまの話は本当か?」
「私は……」
ゲイルが周囲を見回し、自分を見つめるロッテを見て、観念したように話し出した。
「私には七歳になる娘がおります。まだ幼いころに離婚して、ここ数年は会えてもいませんでしたが。その娘に、蜘蛛のフィルギャが憑いたのです。精霊のようなもので、私の使役する大鴉や黒馬と同じです。
しかし、娘には害にしかならなかった。蜘蛛のフィルギャが出てから、目を覚ますことなく眠り続けています。ボスは、他人の力を模倣することができる。娘の力を模倣して蜘蛛を操り、抑え込むことで娘が眼を覚ますことができたのです。その間だけ。わずかな時間、娘を目覚めさせるためだけに、私は……」
言葉に詰まったゲイルを、ロッテがそっと抱きしめた。
「ゲイルに裏切られるなら本望だわ。事情を言ってくれれば、快く裏切られてあげたのに。娘さんには、ちょっぴり嫉妬しちゃうけど」
「御嬢様……」
と応じるゲイルに、もう一度問いかけた。
「おまえの溺愛っぷりも演技だったのか?」
「いえ? 本気ですとも」
「だろうな。あれで演技だったら、オスカー賞ものだ。娘さんのことは別の手を考えよう。きっと目覚めさせる方法はあるさ。王子様のキスとかね」
「なにを考えているんです?」
「なにって、娘さんを目覚めさせる方法を。キスぐらいいつでもしてやるからな」
「おことわりします」
「なんでだ?」
などと言い合っているところへ、ジョバンナが声をかけてきた。
「ゲイル、娘さんのことは聞いています。あなたが家族のことで変な嘘をつくわけもない。先ほど、私にも小さな貴婦人が見えました。私をかばって消えてしまったけれど。死なせてしまったのでしょうか」
「だいじょうぶよ!」
ロッテが元気よく応じる。
「きっと、だいじょうぶ! 根拠はないけど。精霊や妖精は死んだりしないの。信じている人がいる限り。小窓を開け、暖炉の火を残す人々がいる限り。だから、安心なさい」
「ふふ、御嬢様はいつもおやさしい。わかりました。今回は私の負けです。旅をしなければならないというのなら、そのように」
「本当?」
「ええ、見聞を広める良い機会です。それからゲイル、裏切るとか裏切らないとか、よくわかりませんが、御嬢様を頼みますよ。娘さんの様子は私が気にかけておきますから」
「助かります」
「さて、では、私は歩いて帰るとしましょう。車は爆破されてしまいましたからね」
ふふふ、と笑ってピサールをちらりと見た。
「あ〜、なんだ。悪かったぜ〜」
「以前の私ならおかんむりだったかしら。でも、もういいのです。あなたも、消えてしまった貴婦人も、私を守ってくれたのでしょう? たまには不合理に歩くのも悪くありません」
ジョバンナは、ロッテを抱きしめ、その後は別れを惜しむこともなく、すたすたと街道を歩いて去って行ってしまった。




